孤思庵の仏像ブログ

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梵字はさほどに古い、古代インドの文字ではない!

2011年08月07日15:33
過日の日記の「目から鱗と銘打った 婆羅門=梵 」のお話にかなりコメントを頂き意外でした。

いい気に成り「梵」繋がりで梵字のお話をさせて頂きます。

昨日、東博の帰り途中の喫茶店で先達的友人より聞いたお話の受け売りです。聞いたばかりでまだ検証前なのですが、これまた目から鱗でしたので、未整理ですが日記とします。(今後勉強が進みましたらまた整理して日記にさせてもらいます)

サンスクリリット語=梵語と思っていました。中国、日本に於いてはそれでよいのかもしれませんが、正確には、いささか違うようでした。

古代インド語にサンスクリットとパーリー語があるのはサンスクリット経典パーリー語経典と聞いたことがありますので知っていました。サンスクリイトは文語体で、パーリーは口語体かと思ってましたら、サンスクリイトは優雅なとか洗練された言葉の様です。話す人口は少ないながらも現在インドでも公用語の一つで宗教(:ヒンドゥー教・仏教等)・学術・文学等の分野でも幅広く普及しているとの事でした。なんと驚いたことに釈尊はこのサンスクリイトは話さず、パーリー語を話すとの事でした。パーリー語この言語は、スリランカビルマ(ミャンマー)、タイ、ラオスなどに伝わった南伝仏教聖典に用いられている言語です。

インドの言語というとサンスクリット(梵語)が有名ですが、サンスクリットがその「完成された、洗練された」という名のとおり、磨きのかけられた文語であるのに対して、より俗語、日常語に近い言語のことをプラークリットと呼ぶそうで、そのプラークリットの中の代表がパーリー語だそうです。 従来は釈尊(ゴータマ・ブッダ)が説法に使用した言葉こそこのパーリ語であると考えられていたこともありますが、最新の研究では、西方インドで話されていた言語はマガタ語で、それが口伝で残され、紀元前一世紀頃、パーリ語に置き換えられといわれているそうです。南伝においてはパーリ語口伝で流布したそうです。

目から鱗、ともあれ釈尊の言語はマガダ語でサンスクリットではないのです。

ともあれ言えます事実は最古の仏典スッタ・ニパータはその繋がりのあるパーリー語だそうです。

またサンスクリットの文字が梵字だと思ってましたら。サンスクリットの文字にはそれ以前にカロシティ文字と言うのなどがあるそうです。そういえば先の平山郁夫展での陳列品に舎利容器、仏像光背にカロシティ文字が在ったのを思い出しました。

彼いわく、サンスクリットは言語で、それを表記する文字は幾つもあって未解読のインダス文字を除けば、ブラーフミー文字とその姉妹カローシュティー文字がインド最古の音素文字の代表であり、カローシュティー文字は北西インドでのみ使われたが、ブラーフミー文字インド亜大陸全域で使われたそうです。音標文字だそうです。

ブラーフミーは「ブラフマン(梵)の創造した文字」を意味するそうです。

そしてそして、その文字が梵字という事でしょう。

我々が梵字と言ってしまうのは、正しくは悉曇文字(しったんもじ)と言うそうです。

繰り返しになりますが、梵字(ぼんじ)はインドで使用されるブラーフミー文字の漢訳名である。ブラーフミーは「ブラフマン(梵)の創造した文字」を意味する。また、単に「梵語サンスクリット)を表記するための文字」とも解される。日本では歴史的・伝統的に悉曇文字(しったんもじ)を指すことが多くとの事でした。

そしてその悉曇文字(梵字)は前述のカローシュティー文字(紀元前)よりははるかに後の、西暦六世紀から九世紀にかけて北インドで流行した字体の一つであり、 現在使用してゐるのは主に日本の密教系仏教のみとの事で、これまた目から鱗でした。

昨日聞いたばかりのお話を思い出しながらの日記ですので誤謬もあると存じます。後に訂正があるかもしれません。

また詳しい向きにおかれましては指摘のコメントを頂ければ幸いです。

梵字=サンストリックという私の認識の甘さ、不正確さのお話でした。