孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

1) 仏像勉強の前段勉強 『図像学』 序 ・サンスクリットの性別

仏像の質問で 比較的に多いのは 「観音菩薩は女性それとも 男性ですか?」 なんんて言うのではないでしょうか?!
試しに 上の「」内のキーワードでネット検索してみました。 在ります在ります…が、Yahoo 知恵袋に同様の質問そして そのベストアンサー がヒットします。

でも、なかなか満足のゆく説明に行き当たりません! 中ではやはり「観音菩薩 - Wikipedia」が見識だと思いました。

よく仏像の本にも 仏・菩薩は 性別を超えた状態といわれ、天部はインドの神様が仏教化したものだから、性別は在りと書かれます。 天部のそれらはインドの神様ですので、当然にインド名があります。弁才天(弁財天)はヒンドゥー教の女神であるSarasvatī「サラスヴァティー」この最終部分が
tiティもティーでも、あまり大した関係でもなさそうに思うかもですが、サンスくリットに於いては、女性名詞の決め手と成っているのです。

サンスクリット*・パーリー語は共に性別を持ってます。(男性・女性ばかりでなく、なんと中性名詞もあるとの事です) 上のSarasvatīを例にしますと最後の母音tīティーに成ってしまってます子音のiが、マクロン(長母音記号)を付けてīに成ってまして、最後はティーなのですが、この
マクロン(長母音記号)が重要でして、女性名詞と判明できます。

サンズクリットでは 【 最終母音が長母音の場合は女性名詞と成る 】 のです!

前出のサンスクリット*に*を付けました。
サンスクリット*:サンスクリットを訳せば「完成された言語・雅語」 であります、それにさらに語を付ければ 完成された語語で、日本語語 と言ってる様に成ってしまうので サンスクリット語と、語を付けて言わない方が良さそうです。

サンスクリットには男性名詞女性名詞の他にも中性名詞も在るそうで、3つの性(gender)[男性、女性、中性]、それどころか 3つの数(number)[単数、両数、複数]、 8つの格(case)[主格、対格、具格、為格、従格、属格、処格、呼格]があります。
形容詞では、修飾する名詞 (述語となっている形容詞の場合は主語の名詞) の性・数・格と一致しなければならないので、 男性形、女性形、中性形のすべての形を持ちます。
と解説を読んでもちんぷんかんぷんです。またある解説では13種類(実際の単語に使われない文字を含めると14種類)の母音、35種類の子音から成る。と云うので発音もさぞや大変であろうと想像します。
全く分からないのですが、サンスクリットはとても複雑な言語の様です。
数(number)も、英語単数形Iに対して複数Weとはいかずに…単数と複数だけの二通りだけの区別ではではおさまらず、単数(singular)は1つ、 両数(dual)は2つ、 複数(plural)は3つ以上に使う。と云うから驚きです。

サンスクリットて形容詞は修飾する名詞 (述語となっている形容詞の場合は主語の名詞) の性・数・格と一致しなければならないので、 男性形、女性形、中性形のすべての形を持ちます。 でビックリです、その上、数(number)なれば、単数(singular)は1つ、 両数(dual)は2つ、 複数(plural)は3つ以上に使います。 と在りました。

サンスクリットって 雅な上流言語とは聞いてましたが、 その文法を垣間見て、驚きですが…、それに付けても、アーリア人(Aryan)のインド古代史には驚きで、ますます興味が深く成ります!

勿論 とんでもない言語と入り口で知りまして、お蔭でサンスクリット勉強しょうなんて気はサラサラ起きませんネッ!自分の友人はある程度なのしょうか?サンスクリットが分かるようで、辞書を持ってるようです!これまた驚異で これから接する態度が変わってしまうかもです。また彼は悉曇文字(通称 梵字)も読みまして…、そして言語のサンスクリットは最古部は紀元前1500年頃までさかのぼり古いが、表音文字梵字の原形は6世紀ごろまでと比較的に新しいのだと教えてくれました。
サンズクリットでは最終母音が長母音は女性名詞言うのも、彼からの請売りです。

余談はさておき『サラスヴァティー』Saraswatiーは女性名詞ですから、女神と成り、弁才天は女尊と成ります。この様に緒尊のインド名(梵名)サンスクリット名を調べますと性別は分かるという事に成ります。

阿弥陀如来サンスクリット名はAmitāyus(無 量寿と漢訳)又は Amitābha(無量光と漢訳)で 最終母音を伸ばしません尾で、男性名詞と成ります。

捕捉として阿弥陀如来を考察してみます。 Amitā(無量の意味を持つ)の中国での音写は阿弥陀となり、漢訳(意訳)では無量寿(時間の無限)・無量光(空間の無限)と成ります。無量寿如来は 聴いた事ありますよネ! で、阿弥陀如来(無限の命=死なない)・(遠くに居る)仏様と成ります。さらに阿弥陀Amitā(アミダ)という言葉は、阿・弥陀「ア・ミダー」と分けることができます。阿「ア」Aは否定の言葉「~でない・不・非・無」 という意味、英語のunやnonに近い言葉です。弥陀「ミダ」の語源は「ミター」、これが 西洋に伝わると「メータ」となります。電気メータ、スピードメータ、1メータなどのメータです 。)

でAmitāyus・ Amitābha の最終母音はマクロン(長母音記号)が付いて居ませんので 男性名詞 と成り阿弥陀如来は男性と見られることにしたいのですが如何でしょう。

阿弥陀如来に限らず如来は男性ばかりの様です。 


如来の三十二相の内には馬陰蔵相(ばおんぞうそう). 馬のように陰相が隠されている( 男根が体内に密蔵される)と云うのがありまして 、男根を有する事が明記されて居ます。自分は、この事は、男根勃起の真逆で 男根が胎内にめり込むと考えまして、性欲を滅した男性と解釈してます。
以上の事などで、つまり、如来は男性でなければ成れないという事です。その当初は ゴータマ・シッダールタがモデルと成っているからですね!) 仏教発生の当時では、男尊女卑の風潮が強かったのです。 しかしカーストを否定(平等主義)の釈尊は男尊女卑の思想も持たないと思います。 只、修行者に異性は迷いを生さすとの思いで、ためらいがあったかと思いますが、結局 女性の弟子も許しています。

話を戻します。女性はより業が深いので成仏できないとされてましたが、変成男子(へんじょうなんし)と云う経過をたどればいったん 男子(男性)に成ることで、成仏することができるようになるとした思想(法華経提婆達多 品etc.)があります。


wikipedia-如来 には、如来(別称に如去)は元になったサンスクリットは(tathāgata タターガタ)であり、ひとまず「如 (tathā タター) 」の後に来る語を「去れる (gata ガタ) 」とするか「来れる (āgata アーガタ) 」とするかで如去、如来と漢訳し分けられる。
音写として多陀阿伽陀(ただあがだ)がある。 しかしながら実際の意味は、そのパーリ・サンスクリットなどの原語から解釈したものや、「如来」「如去」という漢訳語から再解釈したものなど多岐に渡るため、一概に決定説を挙げることはできない。

仏教学者・中村元によれば、「タターガタ」(tathāgata)とは本来、「そのように行きし者」「あのように立派な行いをした人」という語義で、仏教・ジャイナ教・その他の古代インド当時の諸宗教全般で「修行完成者」を意味する語であり、「如来」という漢訳表現には「人々を救うためにかくのごとく来たりし者」という後世の大乗仏教的な見解がひそんでおり、初期仏教における語義とは乖離があると『ブッダ最後の旅』中村元 岩波文庫 pp263-264にて指摘してます。



本題に戻ります。 先にも触れてますが」、如来のモデルは原始仏教ではゴータマ・シッダールタであり、その後 釈尊も多くの仏陀一人で応身された仏と解されれるように成り、複数の如来を生んだ大乗仏教です。その大乗仏教の進化形の密教では、法身仏としての盧舎那仏を発展させ大日如来総慰して、全ほとけを統合してた構想で曼荼羅を造り、全ての仏菩薩と明王は、大日如来の分身と考えれ、それらは男性で、インド語尊名には ほぼ男性名詞を持つ、仏菩薩明王が配当されていると思います。

依って 如来は総て男性と思います。次に菩薩ですが菩薩には 例外的に女性名詞の尊名を持つも在るのです。

その辺は、次の菩薩の勉強の中で捕捉してみたいと思ます。 

【次に続く】