孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takさんからのお便り 2020年2月5日

東大寺薬院」の「東大寺 薬湯」を頂いて:

知人から「東大寺 薬湯・天真」という品物を頂きました。この時期・冬には格好な
品物かもしれません。使用方法はお湯をはったバスタブに袋を入れて中の薬草などを
もみだすというもので、「冷え症、神経痛、腰痛、しもやけ、リウマチ」など多くの
症状に効果・効能があるとの説明があり、トウキ、センキュウ、オウバク、チンピな
どの成分表示も記されています。袋の後ろを見ると「財団法人 東大寺薬院」発売
元とあります。確かに東大寺は保育園から高等学校までの教育施設やリハビリなどの
療養所・医療施設なども併設・運用しており、「施薬院」という漢方などを中心とし
た医薬品や薬草なども扱っている部門も事業としているのです。「天真」は天真爛
漫?それとも岡倉天心

「薬湯 天真」の紹介サイト: 

 http://www.arainodendo.com/nikki/2017/10/post-23.html



●「大法輪」誌・2月号(87―2号)を立ち読みして:

大法輪・目次

https://www.fujisan.co.jp/product/1281680555/?utm_source=Criteo
<https://www.fujisan.co.jp/product/1281680555/?utm_source=Criteo&utm_medium=
remarketing&utm_campaign=1281680555
>
&utm_medium=remarketing&utm_campaign=1281680555

ビューワーを視る=最新号の試し読み=HTML5で開く

最寄書店店頭で、「目の眼」誌を手に取った時に隣の書棚にあった「大法輪」誌が目
に留まり、ついでに立ち読みをしてしまいました。本誌の特集は「徹底比較・真言
教と天台密教」とありました。目次を見ると『インド密教は中国を経て我が国へ伝わ
り、真言密教天台密教という二つの大輪の花を咲かせました。本特集では様々な切
り口で両者を比較し、その相違点と共通点を明らかにします。』とのコメントがつ
き、第一部:真言密教編、第二部:天台密教編、第三部:真言密教天台密教の違
い、と大きく分けて関係する宗教者や学者が各々の章・単元を受け持って執筆してい
ます。

後ろのページをめくると、「仏像を守る」第7章・興福寺 歴史の継承② 荒廃から
再興へ」興福寺執事兼境内管理室長・辻明俊師が数ページに亘っていろいろと興味深
い事柄を著しています。明治の「神仏判然令」、「寺社領上地令」時の混乱した事態
や、寺域、尊像の離散についてなど、現在に残るガラス乾版などの古写真が当時を知
らしめており、それからの尊像の修理、維持保存の努力の変遷から現在に至っている
ことの感慨を紹介しています。この件で昨年の「興福寺佛教文化講座」での山口隆
研究員の古写真発表がある。辻明俊師は、その残った写真の中で①弥勒菩薩立像・快
慶作・ボストン美術館蔵と②帝釈天立像・定慶作・根津美術館蔵を取り上げて、「快
慶展」で弥勒菩薩立像を拝した際のこと、現在は根津美術館蔵の帝釈天立像について
は写真では尊顔が失われていたが「新納忠之介」の修理?とその後梵天立像との離
散から、一昨年根津美術館での「再会」を果たしたことを紹介しています。また、当
時の荒廃した「金堂」は一時お寺の手を離れたことから堂内の須弥壇は撤去され、そ
の際に発掘された「鎮壇具」が国の持物になり現在は「東京国立博物館」蔵となって
いる。また、興福寺の伽藍、教学、仏像などの保存維持を熱心に推し進めた「多田仲
基」師と「朝倉景隆」師についても多くの事績を紹介しています。また、「岡倉覚三
(天心)」と「フェノロサ」が興福寺の調査を行なった時のことを記して、彼らの努
力により現在の「国宝、重要文化財」の指定に繋がっていることを著して、時代の絶
望の中から何とか文化財や教学、伽藍を残そうとした人々の先徳の遺徳を偲んでいま
す。この話しは次号に続くようですので期待しましょう。また立ち読みで・・・。



●「目の眼」誌・2月号(No.521)を読んで:

・特集「出雲と大和 古代のたま」

巻頭寄稿に『出雲と大和をつなぐ玉 玉と「出雲国造神賀詞」奏上儀礼―記・紀には
みられない出雲と大和に関する儀礼―』(瀧音能之・駒沢大学教授)に書かれている
ことが興味を持った。私もどちらかと云えば仏像を意識して2度ほど拝観して来まし
たが、この特集からももっと他に眼を向けねばと思い、近日中にも仏像ばかりでなく
このような視点でも再度拝観してみたい。むしろこちらが展覧会のメインテーマなの
でしょうから。

・「ほっとけない仏たち」50―栃木3・安楽寺薬師如来那須烏山市)青木淳・多
美術大学教授

「医王山宝生院安楽寺」の「薬師如来坐像」(県指定)と左右に立ち並ぶ「十二神将
像」の堂内安置写真入りで紹介されています。この記事を読んで以前に拝観計画を立
てながら実現出来なかったことが気になりました、拝観実現させたいです。青木教授
の記事にはもうひとつ、「菩薩形立像」統一新羅時代(8世紀)、銅造鍍金、像高20.
7㎝、栃木県指定文化財、個人蔵のかわいい全身像画像が眼を引きます。昔の栃木
(下野、上野地域)の地での渡来人とのつながりが示されているものとして注目され
ます。こちらの仏さまも拝観してみたいものです。



●TV番組で「五反田」やいくつかの番組の放送予定を知って:

TV番組表に「五反田」の文字。よく見てみるとTV東京「出没!アド街ック天国」で五
反田駅、島津山周辺を紹介する番組でした。さっそく録画予約して後刻再生して観て
みましょう。当然「史跡・旧岩崎邸」の「清泉女子大学キャンパス」も紹介されるで
しょう。コンドルの遺作の本館内部も紹介されるなら見てみたいですし、坂道の途中
の大学の眼の前の垢抜けした数件の洋食店も併せて紹介されるかもしれません。最近
は、清泉女子大学のキャンパスも訪れることが少なくなり、門衛の方にも昨日久し振
りの挨拶をしましたが、それでも本館の礼拝室のキリスト像や教室のマリア像などが
静かに佇んで学生を見守っているのかと、何時も気にしてしまいます。特にマリア様
像は以前に撮影をしたものをA4サイズにしてPCデスク近くの壁に貼っていつでも眼に
しています。最近は本館は史跡に指定されていて一般訪問者に説明会が行われている
そうです。、シックな館内の階段や手摺、廊下、礼拝室などの扉や窓、階段踊り場の
ホールの綺麗なステンドガラス窓など、受講の日にはしばしば早めに出掛けて行っ
て、何時も静かな雰囲気の中でぶらぶらと歩き回ったことが思い出されます。

そして、番組表では続いて「新美の巨人たち」では、以前は多くのご家庭の食卓や街
の大衆食堂にあったあの大ヒット商品「キッコーマン卓上醤油ビン」を取り上げ、考
案・制作者のGKデザインの「榮久庵憲司」(父親が僧侶?東京芸大デザイン科卒)や
インダストリアルデザインについて放送予定のようです。これも番組録画予約してお
きましょう。

ついでに記すると、同じTV番組表の中からBS181チャンネル「令和の法隆寺~千四
百年の伝承と聖徳太子の残響~」という放送番組も録画予約しておきました。TV東京
と同じでCMが気になりますが止むを得ないので、後刻再生して観ましょう。

他にも1~2週間単位で、これはという番組を事前にTV番組予約操作をして、同時間帯
に2番組までの録画予約が出来るのでかなりアバウトに予約してしまって、後になっ
てからHDDに溜まった20~30本の録画記録から再生を選択して、主に深夜に再生視聴
(1本の番組録画の一部分を再生確認だけをとりあえず済ませて次の録画分に移る)
している状況です。NHKの番組が大半ですがそれでも歴史ものでは一部BS民放番組
(「至福の京都ぶらり歴史散歩」、「歴史科学捜査班」、「京都浪漫悠久の物語」、
「にっぽん歴史鑑定」など)も含まれます。



大津市歴史博物館「れきはく講座」(近年発見された快慶工房の作例について)は
残念ながら聴講出来ず:

私は、最近の持病の悪化のために数日間にわたり満足に歩けなくなり、遠方へ出掛け
ることは諦めました。しばらくで体調は落ち着き既に何とか気を付けながら普段通り
までに動けるようになりました。無理をしないように気を付けて生活しなくてはなり
ません、と云うことで残念ながら楽しみにしていた寺島先生の講義は聴講出来ません
でした。



●久し振りに大橋一章・早大名誉教授にお会いして:

大橋一章・早大名誉教授には、昨年春に体調不良と云うことで楽しみにしていたお話
しを伺うことが出来ずにいましたが、この度久し振りにお会いしてお話しを伺うこと
が出来ました。かなり体調には気を遣っていらっしゃるようで心配になるほどです。
大橋教授の著書にはしばしば眼を通して来ましたが、特に「薬師寺」研究の著書は
いっぱいあり著書、論文を探してコピーをするだけでも大変です。数年前に薬師寺
東塔の件で東京で講演会があった時に購入した『薬師寺 千三百年の精華―美術史研
究のあゆみー』(里文出版、大橋一章 松原智美編著、H12年12月25日発行)内の論
文の総論「薬師寺の創立と移転」を手始めに、肥田路美氏、林南壽(イムナムス)
氏、片岡直樹氏ほかの各テーマにあわせた論文執筆が、浅学の私にとって大変ために
なる書物になっています。その中で會津八一や安藤更生や小林剛や町田甲一の書籍・
論文を知る事になりました。

今回の話しのなかでは、2016年に解体修理中の「薬師寺東塔」で心柱と部材数点が8
世紀前半に伐採されたヒノキ材を用いていたことが「年輪年代測定法」で判明した、
と「奈良文化財研究所」が発表したことが分かり、「扶桑略記」にある東塔建立年代
の記述と合致することから、藤原京から部材ごと移築したのか新たに材料を調達して
建立したのかが明治時代からの移転論争について、大橋教授は「天武、持統天皇
造った寺と一目でわかるよう平城京で創建時と同じ様式で建立したのだろう」という
お話しでした。

2019年に楢原市の「本薬師寺跡」(7世紀末)で「南門」跡が発掘発見されたことが
報告された。「国家主導で建築された特別な施設にしか見られない規格を採用してお
り、藤原京の一等地に立つ国家寺院・本薬師寺だ」と云ことで注目された史跡が紹介
されました。この史跡は西の京にある「薬師寺」の前身寺院で、平城京遷都にともな
い寺院移築されたために跡地が本薬師寺と呼ばれるようになったそうで、現在でも域
内には多くの基壇、塔心礎、礎石類が残っているそうです。

大阪・あべのハルカス美術館で開催される「薬師寺東塔落慶記念・薬師寺展」への展
覧会拝観の前に格好なお話しを伺えました。



●久し振りに「安藤更生」の書籍と「會津八一」の歌集に眼を通して:

安藤更生著『南都逍遥』

見つけました。「奈良の美人」・・・「日吉館の先代、松太郎爺さんは、このKの家
では松太郎夫妻が感心に働いてくれるといふので、今の日吉館の後半部の方を増築し
て、下宿屋を出させてくれた。それが日吉館の始まりである。爺さんは貧乏な暮らし
から、致頭一軒の店が持てるやうに出世したといふので、俺は日吉丸が太閤さまに
なったやうなものだ、というので、店を日吉館と名づけたのである。この話しはあの
ころ美術が好きで奈良にゐた者なら誰でも知ってゐたことで、・・・ところが近ごろ
聞くと、今の日吉館の寅さん夫婦さへ店の名前の由来がわからないさうだから、ここ
に書いておくことにする。・・・」。との文章がありました。

因みに『をじか なく ふるき みやこ の さむき よ を いへ は おもはず
 いにしへ おもふ に』、『かすがの の よ を さむみ か も さをしか 
の まち の ちまた を なき わたり ゆく』は日吉館投宿中の会津八一の詠ん
だ歌です。現在歌を詠んだ石碑は、日吉館跡地の近辺にある「飛鳥園」跡地奥の庭に
2基の石碑が残っていますが、飛鳥園が閉店されたために眼に出来ません。

安藤更生は、もともと東洋美術研究、歴史研究家として、「鑑真和上」のことについ
て小説家・井上靖氏の「天平の甍」執筆の重要な情報提供をしたことで小説が完成し
たという逸話を聞いたことがあります。



會津八一編『南都新唱』

大橋一章・早大名誉教授が「早大会津八一記念館」館長の時に、幾度か早稲田大学
キャンパスに脚を運んだ覚えがあり、最近では2年前の展覧会の時だったと記憶して
います。久し振りの歌集「鹿鳴集」や「南都新唱」をひっくり返してみました。歌人
「秋艸道人」(しゅうそうどうじん)の世界にはいつもながら癒しの気持ちと歴史を
巡らしてしまいます。これからは會津八一の歴史研究者としての「法隆寺法起寺
法輪寺建立年代の研究」(1933年、東洋文庫刊、早大文学部に提出して翌1934年に文
学博士学位取得することになる)を神田の古書店街で探して眼にしたいと願っていま
す。





2020年2月5日  AM0:00   Tak