孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takさんからのお便り 2020年1月26日

先日(122日・水)は昼頃に自宅を出て、東博「出雲と大和」展の第二回目の拝観となりました。第一回目の際に気になった石仏などや銅鐸の文様の変遷などを主に時間をかけて巡ったつもりです。以前東博の講演会で講師をされていて私も聴講した大学の先生(氏名を失念)が会場にお見えで、数人の中年の男女の人たちと一緒にゆっくりと作例を巡って歓談をしていたので、私は先生に最初にご挨拶をしてから最初は彼らの塊の後ろからそしていつの間にか一緒にいろいろな話しを伺いながらご一緒しました。彼らも私に拘るでもなく仲間として先生を中心に勝手なお話しをしながら会場を移動していきました。しばらくしたら先生の都合からか所定の時間制限からかある場所で三々五々解散となりました。私もある男女のお二人としばらくご一緒してからお別れしました。最後までどのような集まりだったのか不明でしたが、学校の先生の関係での勉強会だったのでしょう。

 

私はその後「東洋館」をめぐってから東博を後にし、メトロ銀座線「三越前」駅で下車し、寒いので馴染みのスタンド蕎麦屋でいつもの「かき揚げうどん」を超遅い昼飯あるいは早い夕食として食べました。うどんの出汁は薄口でソバとは別の出汁で、この時期では必ず「柚子」の小さな切片をいくつか載せて下さり、香り風味が良くいつも気に入っています。元気なお店の叔母さんも相変わらずです。

 

 

 

西山厚先生の講義を聴講(122日):

 

既に街中は暗くなり日本橋の通りの街路灯が眩しく映るビルのウインドーを横目に、講義会場を目指しました。日本橋の会場の2階受付で封筒入りの資料を受け取り、何時もの狭い会場へ。普段の教室型の机配置ではなく3人掛けのテーブルを縦横に向かい合わせに配置しており、席位置によっては首を横へ向けて正面の画面を見るような格好になるのが気になりました。そこで最後部分の画面正面に向いた端の席を確保しました。隣は和服を着た婦人でした。テーブルには奈良産の緑茶のペットボトルが置かれており、着席した後では主宰者の方々が「柿の葉寿司」を2個ずつ配って下りました。結局私は近くのスタンド蕎麦屋で食事をしたばかりだったので、リュックに放り込み持ち帰りました。

 

しばらくで、「西山厚先生」(半蔵門ミュージアム館長、手塚山大學客員教授)が狭い会場内にお見えになりました。私もさっそくご挨拶。昨年の6月の奈良・浄教寺本堂での「フェノロサ、ビゲロー」講座の際に講義後にお堂内の片付けの横で遅くまで西山先生にお話しを伺った経験があったので、西山先生の「フェノロサ観」を知り得たその時の様子をお話ししたのと、来月の「菩提僊那と霊仙寺」についても若干質問をして私の相手をしていただきました。菩提僊那については先月の東大寺での講座や昨年の「東大寺GBS講座」での断片的な話しは伺っていたのですが、まさに東大寺・上司永照師に指摘された通り、東大寺での菩提僊那の事績は「鑑真和上」以上に遺っていないことをつくづく説明されたものですが、今度は西山先生に少しでもお話しをしていただけたらという気持ちです。

 

 

 

私は前の晩に2015年(H27年)に東博で開催された「唐招提寺金堂大修理記念・唐招提寺と国宝鑑真和上像と毘盧遮那仏」展覧会の図録から掲載論文「鑑真和上」(作家・故陳舜臣著)と「鑑真和上と仏像」(当時東博・岩佐光?学芸員著)と「鑑真和上略年譜」、「唐招提寺略年表」をコピーして眼を通して行きました。講義のテーマは「渡来僧と日本」ということだったので、鑑真が苦労の末に日本にたどり着いた経緯の話しか、あるいは東大寺での戒壇律宗との話しかとどちらかだろうと考えて出掛けました。

 

西山厚先生の話しの中心は、鑑真和上の渡日の苦労話でした。△△・・・。持参した「鑑真和上略年譜」コピーが大変に役立ち、鑑真和上に付き従ってきた弟子僧の活動なども時代順に説明下さったので、これまで判らなかったその時の様子を知ることも出来ました。特に西山先生の穏やかな軽やかなゆっくりとした口調は、私の頭の中の

理解を脳内に浸透させるに適している感じでした。また、西山先生が実際に「鑑真和上」の中国での活動寺院や渡日までの7回の渡航チャレンジの様子にあわせて揚州、寧波などを探訪して巡った様子をご自分の姿を写し込んだ画像を多く紹介して下さり、中国の様子も感じられて面白かったです。

 

 

 

「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より 他に見えるものはなし 嗚呼 砕け散る宿命(さだめ)の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ」谷村新司作詞・作曲のこの曲「昴」(すばる)が、井上靖の小説「天平の甍」の映画化で出来た曲だということを知ったのは、私がこの曲を口ずさむようになったずいぶん昔の若い頃のことでした。鑑真が日本へ渡る苦労の最中に盲目となったと知った時にこの曲がすごく身に染みた覚えがあって、まてよしかし何も見えなくても眼を開ければ道のみが見える、それでは鑑真は盲目ではなかったのではないかと、単純にこれまで長いことそう思っていました。

 

まさに西山厚先生はそのことを講義中何度も繰り返されました。だいぶ以前に唐招提寺金堂前でイベントがあった時に西山厚先生と檀ふみさんがゲストで登壇した際に、檀ふみさんから「昴」を唱ってください、とのリクエストがあり、大勢の観衆の前でそれも谷村新司氏が目の前にいる場所で、唱ったことがあったそうです。西山厚先生は当時の様子をスライド画像をいっぱい映写しながらまんざらでもない表情で解説されていました。

 

『東征伝』・・・「明を失せり」、「一切経の誤りを正す」、「諸々の薬物を分類する」、 『唐招提寺流記』・・・「稍生難視之想」(ようやく難視の想いを生じ)

 

 

 

鈴木善博・奈良博研究員の講義を聴講(124日):

 

昼から奈良博研究員・鈴木善博氏が講師の少人数での講義で、先生の深く関与した「東大寺南大門金剛力士像」解体修理時の紹介と格別な画像公開、阿吽像の部位別対比に込めた仏師の意匠、「重源上人像」の対比による仏師の「意匠と彫り」に心を込めた様子を、彼なりの観点で解説していただきました。この話しは鈴木研究員が昨年11月に出版された平易な仏像解説書「対比でみる日本の仏像」(パイインタ―ナショナル、201911月刊)のPR講座みたいなものでしたから、気軽に聴講が出来ました。

講義会場に持ち込まれた新書版ほどの図書を拝見すると、面白いことにこの新書版のページ面はイラストを多用しており、文章には英文も対訳されて記述されていて外国人観光客向けの冊子にもなっているようです。タイトルの通り日本語と英語の対比になっているという企画です。対になった仏像や同じ仏像でも時代の違う仏像などについて視点の違いや部位の違い、あるいは着衣の質感、体躯の量的な差異、腕・脚部のアングル、肉付き、姿勢の前傾度合いなどやいろいろと比較することにより、同じ仏様でも受ける印象が変化して行く様子を知ることが出来る、というものです。特に南大門金剛力士像については仏師「運慶」、「快慶」の作風などからどちらの像をどちらの仏師が製作したのか、ということが昔から議論になってきたのですから。同じように「興福寺北円堂無着・世親像」などは対比の対象です。また同じ像でも「東大寺俊乗堂・重源上人像」も研究者の間で議論があります。また上人像は「別所」3か所にある同じ上人像との対比も話題になります。確かに参加者に同じ画像を提示して意見を聞いてみても、各人各様に印象が違うことが知れて、思いがけない印象を感じられます。仏像鑑賞者の立場での視点と、一方製作者である仏師の製作上の想いの発現が彫像の彫りの様子に現れているものであることを考慮した視点があることを気に留めた鑑賞・拝観が必要だという。そして「堂内に安置されている仏さまの表情は正面からしか拝せずその発するオーラが感じられないことが多いが、最近は展覧会では四周から拝することで製作者の意匠力、構想力や信仰心などを知ることが出来るはず」とのことでした。

 

別途、私と鈴木研究員との個別の歓談の中で、「根立研介」京都大学教授が著わした「運慶の挑戦」という著書・論文による「南大門金剛力士像」の説・主張についてと、もうひとつ「重源」の作善集の記述の解釈についても少し細かく解説をしていただきました。

 

次回は如意輪観音菩薩像の対比を試みてくださるとのことでしたが、法隆寺金堂壁画と百済観音像の解説の後になるそうで、今日の話しの様子では4月になってからの実施となりそうです。

 

 

 

東大寺・上司永照師がラジオ番組でお話しをされていました(125日):

 

125日の未明(午前3時~4時頃?)、NHKFM放送の番組で「東大寺・上司永照師」がNHK桜井アナとの対談で、時節柄の話題で彼がこれまでに「東大寺・修二会」に参加して来た経験を、克明に面白くお話しをされていました。「修二会・別火」など「練行衆」でなければ分からない様子を、ベッドの中で横になりながら聞くことが出来ました。上司師の相変わらずの早口のペースでしたが私は結局その話を最後まで聞いてしまい、その後も寝つけず完全に徹夜をしてしまいました。

 

 

 

山本勉教授の最終講義を聴講(125日):

 

町内会「ゴミネット」を来週の当番である隣家の御主人に渡し終えてから出掛けました。

 

大学の文化史学科の助手で事務局のウリュウキョウコさんから届いたメールでは、開場時間1210、受付開始1210、開会1305、最終講義13101440とのことであったので、メールコピーを手にして出掛けました。思えば昨年の7月の「ラファエラアカデミア」講義以来と云うことで、すごく久しい感じでJRの最寄り駅を降りて裏

道をのんびり歩いて学校の正門の顔馴染みの守衛さんに挨拶をして石段を登りました。

 

講義会場の建物の玄関前には既に数人の聴講参加者が寒い風の吹く中で並んでいました。その列の前から2番目にはいつもの皆さんの仲間である顔馴染みの男性の後姿が見かけられました。私はまだ時間があるので、何時もの岩崎邸の建物の中で、学生課事務室のあるホールと地下の温かい学生ロビーで休憩をしていました。到着後20分くらいで講義受付時間になったので講堂側の建物に向かい、受付を済ませて4階へ向かいました。

 

会場入口でお会いしたのは、いろいろな講義などの時によく見かける小柄な女性で、昔から「清泉ラファエラ」講座には「金沢文庫・瀬谷貴之」学芸員の講義の際にも教室最前列で熱心に聴講していた方で、昨年も「興福寺藤原不比等遠忌法要」などでもお会いしたくらいの熱心な行動的な方で顔馴染みの方でした。先に入場した馴染みの彼もいつもの定位置のような場所に着席をしていたので、会釈をして別れました。私はこの講堂でのいつもの定位置に荷物を置いてみたのですが、今日の講義はいつもと違い、学生や学校の関係者で一杯、しかも連れ立って聴講されると思い、演壇正面の最上段に座席を変えました。最上段正面の座席は三脚付きの大型ビデオカメラが固定されており、隣に女学生が録画用にスタンバイしていました。イベントの様子を録画して茶話会の会場でも紹介するということでした。その女学生と山本勉先生のプライベートなことでおしゃべり(愛猫家、卒論レポートの文章や文字表現のこだわり、おしゃべりが長く時間オーバー)などで短時間だったが気軽におしゃべりが出来ました。演壇の背面壁面には3面のスクリーンが並び着席位置による視聴の不具合は無く、特に私は正面に位置しているので、3面すべてにほぼ正面に綺麗に観ることが出来ました。私の近くの席は、首からぶら下がる受講証で判別できるように多くの学内・学外の研究者や学校の関係者で満席でした。

 

最終講義は、文化史学科主任・狐塚裕子教授の挨拶に続いて山本勉教授の紹介を高野禎子教授からあり、学内・学科内の方々には教授の退官を惜しむ声がしきりだということが分かりました。そして山本勉教授の最終講義が始まりました。講義後は坂田奈々絵専任講師からの花束贈呈、閉会辞を井上まどか准教授によって取り行われました。

 

 

 

山本勉教授の講義演題は『運慶と像内納入品』として、いつものようにA4判用紙に6コマ編輯のレジメが8ページとともに、講義に資する参考文献の一覧が両面印刷された1ページ用紙が配布されていました。そしていつもと違うのは「山本勉先生へのメッセージ」というタイトルのB5版用紙が添付されており、講義終了後回収して先生にお渡しするということだったので、私も幾多の講義や論文など多くの新知見やモノを視る視点や作例の意匠の捉え方などご教示を頂いたことを感謝し、金沢文庫の展示会場でお逢いしたことが直近でお話しをした思い出だったということを付け加えた。

そして私の亡妻が山本勉教授の奥様が立教大学での活動を知り、私ども2人の話題になったことや不慮な事故で若くして亡くなられたことを偲んだことがあったことなど、小さな文字で書き留めて会場退出時に学生に手渡した。しかし今思い返してみるとメッセージに私の名前を書き記すのを忘れていたことが残念至極。

 

山本教授の講義内容は、既に皆さんもよくご存じの事柄が多く、改めて新しい知見も無いくらいだが、それでもきちんとまとまった整理された内容で、誰が聴講しても分かり易いものとなっていました。

 

大きな単元としては、1.運慶(活動略歴・造像事績●■印、仏師系図など)、2.像内納入品(作例紹介、納入品種類など、円成寺大日如来像と醍醐寺三宝弥勒菩薩像の後頭部下方の窓開き蓋板の事例)、3.像内納入品解説-1(願成就院六波羅蜜寺)、4.像内納入品―2(浄楽寺、真如苑、光得寺)、5.像内納入品―3興福寺北円堂弥勒仏像)。特に山本教授の話しのなかでは、全体を通じての論点の中心となった運慶の像内納入品として「浄楽寺」から「真如苑」、「光得寺」そして最後の「興福寺・北円堂」への歴史の流れと納入の「胸」位置というこだわりと工夫と意匠にこだわった「心月輪」にかける信仰心、仏さまの「こころ」としての思いの強さが強調されていました。ちなみに結縁や経典中心の快慶の像内納入品との違いを引き合いに出されて、比較されてお話しをされていました。最後に山本教授も「北円堂・弥勒仏像」の像内納入品の心月輪をご自分の眼で確かめてみたいという願いを吐露されていました。あとの講義内容の詳細については、聴講された「集いの会」の馴染みの研究者にお伺いくださった方がよく判るでしょう。

 

講義後は撮影カメラの撤去作業を手伝ってあげた後で女学生の手許にあった講義のレジメを1部頂いて彼女らと分かれました。これでレジメは2部となりました。お望みでしたらコピーして、何かの折にお渡しすることは可能です。私は講義終了後にほぼ聴講者が退場された後遅くになって退出し、階段で地下まで行ってみましたが、会場にまで行き着かないほどに混雑していたので様子を確認するまでもなくその場を離れました。もともと「茶話会」には参加する意思はないのでそのまま建物の外に出て帰途に就きました。馴染みの彼は姿を見なかったのでもしかしたら茶話会に参加していたかもしれません。顔馴染みの女性とは屋外で合流してJR渋谷駅まで一緒することとなりました。

 

 

 

今後の予定:

 

128日(火):東京芸大「卒業・修了作品展」(1/282/2

 

21日(土):大津歴博「近年発見された快慶工房の作例について」(寺島典人・

学芸員

 

26日(木):奈良博「毘沙門天―北方鎮護のカミー」展覧会拝観

 

27日(金):薬師寺東塔修理落慶講座「薬師寺復興について」(大谷徹奘・薬師

寺執事長)

 

212日(水):奈良博「毘沙門天―北方鎮護のカミー」特別鑑賞会(1630~)

 

 

 

2020126日  2300 Tak