「仏像の基礎勉強会」用の草稿 「平安初期の仏像 その1」
明日1月19日 「仏像の基礎勉強会」をします。新入も歓迎です。どなた様も お気軽にご参集ください!今回は新規の方が来られるとの連絡を頂いてます。 (詳細はこの前に日記記事に 掲載されてます。)
明日の「仏像の基礎勉強会」の課題
テキスト日本仏像史講義 (別冊太陽 創刊40周年記念号) の予習。
用の予習草稿の冒頭を掲載します。
【9世紀~12世紀の約400年間】
平安初期(前期):794~901年
【9世紀の107年間(約100年間)】
【平安初期の元号】
8C末
9C
(大道 5年) 806年~810年
(天長 11年)
◉承和年間 : 834年~848年 15年間
9C中頃
(嘉祥 4年)
(仁寿 4年)
(天安 3年)
(元慶9年)
(仁和5年)
(寛平10)
10C
昌泰4年(901年)菅原道真左遷
【(奈良末~)平安初期の仏像】
法隆寺伝法堂 興福院
〔8Ⅽ後半~〕 【唐招提寺旧講堂の木彫群】
【唐招提寺旧講堂の木彫群】厳しい表情や豊かな体躯など、大陸風のにおいの強く、鑑真に随行の唐の工人と東大寺仏所OBの関係を伺える。唐風 代用壇像 乾漆像の残影 平安初期特徴の萌芽で、平安初期の木彫仏像彫刻、特に革新派の仏像群に影響与えた。
・ 伝衆宝王菩薩立像<重要文化財>・・・・・・同上で、不空羂索像と見える。彫口に乾漆像を思わせる衣皺が見られる。
・ 十一面観音立像<重要文化財> ・・・・・・ 唐招提寺山内にあった西山別院の像であったと伝えられます カヤの一木造で、胴を長く表わし肉付きは少なく、内刳りはされていない。
現在ほぼ全身素地を表わしているが、宝冠上面の頭髪部や天衣の一部などに木屎漆を盛ってあります。 作風は中国で8世紀半ば頃に数多く作られた小ぶりの檀像と似ています、 木目の美しさを生かし、切れ長の目や強く反りあがった唇のほか、胸飾りなどの細かな装飾も本体から直接に掘り出しており、精緻な檀像の影響を感じさせる代用壇像す。 大陸の壇像、木彫様式の作例の一です。
現在ほぼ全身素地を表わしているが、宝冠上面の頭髪部や天衣の一部などに木屎漆を盛ってあります。 作風は中国で8世紀半ば頃に数多く作られた小ぶりの檀像と似ています、 木目の美しさを生かし、切れ長の目や強く反りあがった唇のほか、胸飾りなどの細かな装飾も本体から直接に掘り出しており、精緻な檀像の影響を感じさせる代用壇像す。 大陸の壇像、木彫様式の作例の一です。
・ 如来形立像<重要文化財> ・・・・・・後頭部の破損で見える内刳や、適度な肉付けをした腹部、両腿部の肉付、腰の衲衣のY字型衣文など、元興寺薬師如来、神護寺薬師如来などに似た作りになっているや、衣文の彫り口は非常に強く、かつ右袖の外側には翻波式衣文が見られるので、平安初期の9世紀の作と見る見解もある。先述の薬師、獅子吼、衆宝王と比べて、やや和風化している。一時代下がった平安初期、9世紀に入った頃の作で、鑑真のもたらした唐風像と日本古来の仏像が融和した姿をしているのではないだろうか。服制、臂の残る部分から施無畏印を結び、左手で薬壺を持つ薬師如来立像の推測がなされる。 http://msp.c.yimg.jp/yjimage?q=_YhW3dUXyLFmO8o1iA0YZuNns2MADvr66dTTCqI4.jHIHCxf2sIrXZKZQlyZjRNy5whMoncainyKWmLIyhKf4JWXYKGV880Nk_F0Se3FvtGq6vcMpRbjeiFmGr6AMeMDoSmoict_N43oytkpoXXl&sig=13at8f6ji&x=116&y=279http://msp.c.yimg.jp/yjimage?q=fD6Ia1MXyLHzru7.Okg6yqL4SBvyc5cWcMzsj7jO6zbVKrI342qVP1URV04B2hDgR7p9lB_L3xnR9I12kEkbb4NiNWHbXRce4E77Qr2HoP8s7BUTIEbU1PG1R7RH.xvtFl1jkPBUdyoWehfYyQ--&sig=13806f6sf&x=102&y=300 http://www.toshodaiji.jp/images/about_shinhouzohph5.jpg
伝薬師如来像 伝獅子吼菩薩像 伝衆宝王菩薩像 十一面観音菩薩像 如来形像
伝薬師如来像 伝獅子吼菩薩像 伝衆宝王菩薩像 十一面観音菩薩像 如来形像
〔8Ⅽ後半~〕 【大安寺の「大安寺様式」彫刻群】
・ 楊柳観音立像<重要文化財> ・・・・・・二臂の菩薩像で両目をいからせた忿怒形である。尊名の根拠は寺伝によるため、本来どのような仏像であったかは判然としない。衣の部分にはわずかに彩色の跡が残っている。菩薩像にしては珍しく岩座を使用したり、腹部上辺まで下裳を伸ばす形式など他に類を見ない特異な像である。肩から胸にかけて強い張りを持たせ、上体を伸ばした姿は唐招提寺講堂の木彫群と共通している。また、瓔珞の形式や、本体を構成している材から胸飾を彫り出すことなど、唐風の特徴を示し、唐招提寺像との何らかの関連があるのか?
・ 伝馬頭観音(重文指定名称 千手観音)・不空羂索観音・聖観音・十一面観音<重要文化財> ・・・・・・ いずれも榧の一木造による木造彩色像。仏像は全て当初の尊名が確定できない。いずれの菩薩像も、胸飾の形制、衣文の彫り口、岩座上の踏割蓮華の形制など、共通点が多く、一具の群像として造立された可能性もあり、先の楊柳観音(馬頭観音?)と合わせて一具の六観音であったという説もある。
伝馬頭観音 不空羂索観音 聖観音 十一面観音
・ 四天王立像<重要文化財> ・・・・・・ 木造素地、榧材による一木造。いずれの像も破損が著しく、全ての像の腕が後補であるなど、当初の形相はよく分からない、正確な像の名称も配当出来ない。装飾性豊かな天平盛期の特徴を示しているが、頭頂から岩座までを一本の材から彫り出す技法は唐招提寺木彫群と共通しており、次代への過渡期にあたっていることをあらわしている。
【唐招提寺旧講堂・大安寺仏像群についての考察】
唐招提寺・大安寺の仏像群は彫刻史において類似するところが多い。両者ともに正確な造立年次が不明のため、どちらが先とはいえないのだが、こういった特異な共通点を持った仏像が、何の関係性もなく作られる事は考えにくく、同一工房の作か、同系列の後なる成仏像群が、先の遺作を意識参考にしたと見て良いだろう。同系列で無ければ、此処まで共通はしないと思います。
唐招提寺・大安寺の仏像群は彫刻史において類似するところが多い。両者ともに正確な造立年次が不明のため、どちらが先とはいえないのだが、こういった特異な共通点を持った仏像が、何の関係性もなく作られる事は考えにくく、同一工房の作か、同系列の後なる成仏像群が、先の遺作を意識参考にしたと見て良いだろう。同系列で無ければ、此処まで共通はしないと思います。
歴史から見て、おそらく 唐招提寺の諸仏は鑑真が唐からもたらしたと思われる唐風の仏像彫刻が多く残されている。旧講堂木彫群が見せる特異性、厳しい表情や体部を強調することなどは、それまでの日本の仏像の王道である天平仏に多く見られる写実性などからは大きく離れるものであった。この仏像群がのちの彫刻史に与えた影響については不明確であるが、少なくとも仏像彫刻の一方向を示したものとして考えなくてはならない。
また、大安寺の仏像はほとんどが尊名、伝来等が不詳の仏像群である。その像容はそれまでの天平仏に見られるような写実性は影をひそめており、どちらかというと唐風の感じを受ける。未だ学説は分かれるところであるが、唐招提寺の仏像が大安寺の仏像に影響を与えたと考えるのが有力の様です。
両寺の木彫群が、平安初期の仏像の先駆的存在として、平安と云う木彫仏像興隆の時代の中で、主に革新派の諸像系譜に何らかの影響を与えたといえるのではないだろうか。
天平末の特異木彫群 - nifty homepage3.nifty.com/chigakubu/sousaku/.../toushoudaiji.htm を参考にしました。
(この記事は1月19日の「仏像基礎勉強会」の予習としてノートしたものです。後日に続編を又掲載の予定です。)