孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takさんから Eメール があり 見落としてました。 遅ればせながらブログに転載します。

孤思庵 さん
 
14日の東博・「国華展」記念講演会「日本美術鑑賞への誘い」では、想定外の事でお会い出来ず残念でした。 講演直前まで開場入口でボランティアの人とロビーのほうを気にしていましたが、いらっしゃらなかったので、職員に着席するように促され、受講証のもう一人が見えたら教えてほしい旨伝えたが、出来ないとのことで、時間以降の来場は受講証無しの扱いで、会場に空きがあればということだった。今回はわりと後方の席が空いていたので、見えても入場可能だ、ということで止む無しと思い、遅くなっても入場出来ればと思いました。帰り際に会場やロビーを見まわしたりしましたが、貴兄の姿を認めることが出来なかったのが、気がかりでした。後刻メールにより受講が出来たことを知り、良かったと思いました。今後は、今回の事例から反省して、受講証のやり取りは、必ず事前に手渡しておくことが必要だと考えました。
講演会の概要はブログ・コメントにも書きましたが、ステージにパネラー3氏が上がり、自己紹介とともに進行役の瀬谷愛・東博主任研究員により、日本美術各領域での推奨作品を各々3点ずつ紹介されるという趣向でした。河野氏の時々脱線する軽妙な話しと、同世代の同じ領域・研究機関といったことから、小林氏、河野氏、瀬谷女史の話しが淀みなく早く進むことから、時間の経つのがすごく早く感じました。本当はもう少し時間をかけてスライドの説明もして欲しかったのですが・・・。特に、小林氏の「普賢菩薩像」、河野氏の「白鷗図」、瀬谷女史の「聖徳太子絵伝」。帰宅してから「國華展」の図録をじっくり眼を通すことにしました。
 
小林忠・国華主幹・岡田美術館長:著名な近世日本美術史家で、江戸時代絵画史専門。東博学習院教授、千葉市美術館長を経て現職。
推奨作品:
1.「松林図屏風」長谷川等伯 安土桃山時代。 2.「普賢菩薩像」平安時代。 3.「見返り美人図」菱川師宣 江戸時代。
河野元昭・国華編輯委員、静嘉堂文庫美術館:日本中世・近世絵画史家、江戸時代絵画史専門。文化財研究所、東大教授、京都美術工芸大学長を経て現職。
推奨作品:
1.「白鷗図」伊藤若冲 江戸時代。 2.「野童女岸田劉生 大正時代。 3.「八橋蒔絵螺鈿硯箱」尾形光琳 江戸時代。
推奨作品:
瀬谷愛・東博主任研究員:日本絵画史、中世佛教絵画専門。山口県立美術館学芸員を経て東博
1.「聖徳太子絵伝」秦致貞 平安時代。 2.「伝薬師如以来立像」唐招提寺 奈良時代。 3.「四季花鳥図屏風」雪舟等楊 室町時代
 
鑑賞のポイントは、「絵の中に入り込む気持ち、感情移入、自然に同化していく」、「図像解釈学、感情移入」。
講演後にステージ下で河野元昭氏、瀬谷愛女史に挨拶をしてお話しを伺いました。残念ながら小林忠氏には、近づけないほどに「国華」誌を囲んで人垣が出来てしまった状況でした。「小松大秀」氏(永青文庫美術館長)の事も話しが出来ず悔やむことしきりでした。河野氏には静嘉堂文庫の「十二神将像修復」、「曜変天目茶碗」、「岩崎邸」の事など、瀬谷女史には「一遍聖絵展」、仏画関係、「春日権現験記絵」の事、ご主人のことなどを簡単に話しました。特に「唐招提寺・伝薬師如来立像」を取り上げたのは、他のパネラーが専門外の彫刻関係作品を取り上げておらず、日本美術の特異性は「木彫・木造」の「木の文化」であるということから、ご主人の専門領域にも影響されて取り上げたものではないか?との私の問い合わせに、女史もその点を考慮したとのことだそうです。最後に参加者がすでに退出されていて他に誰もいなくなり、講師と共に出口扉を探してウロウロと焦ってしまいました。
 
東博「國華展」講演会終了後、予定通り新宿で開催(18302000)の某スクール主催の「対談・運慶のひみつ―運慶大全刊行記念」シンポジウムに参加してきました。高層ビル内11階のあまり広くない教室で、40名程度の参加者を前にして、山本勉・清泉女子大学教授と、橋本麻里・永青文庫副館長・美術ライターのお二人の対談でした。遅くなった「運慶大全」刊行記念対談ということでしたが、少人数の聴講が最適ということで企画されたようです。書籍は発刊以来、短期間で少部数毎に版を重ね、現在は7版になるそうです。会場では、「大全」は一人のみが購入されていましたが、比較的高価な書籍であることや、山本先生から講演などで日頃から解説されていることが多いことで、主な内容について知らされていることが、仏像特に運慶や鎌倉時代彫刻などに関心のある勉強熱心な方々には、購入に至らないのかもしれません(これは私の感想)。
 
橋本女史の進行と質問、テーマ紹介などに、山本先生が最新の調査・研究状況を踏まえて、解説をされるという形式になりました。円成寺大日如来坐像の11か月掛かった造像期間での学習時代別の作例や快慶との比較(橋本女史からは、運慶・快慶を「長嶋・王」になぞられた山本氏の話しも紹介されました。他日、王氏は、「運慶は自由奔放な人だったのですね」と答えられたそうです。しかし、仏様といえば、一般的に定朝の像とともに、快慶の作り出した様式は現在でも仏様のスタンダードになっている、運慶の作った仏様は現代の様式に影響していない)、造像方法の特徴(正中剥ぎ上げ底像底方式、玉眼・彫眼などの使用の配慮)、像内納入物(仏様は人間とは違うということで清凉寺釈迦の五臓六腑品の具象化したものとは別の、「魂」「心月輪」を籠める考えと造形化、生身信仰につながる)の話しや、京都での仏所活動やクライアントとの関係朝廷(後白河院=蓮華王院他、康慶時代からのつながりがあった、これからの研究テーマである)との関係興福寺・四天王像の事(「運慶展」の様子や浅見龍介氏や展示方法の考えも含め)など、奈良・鎌倉・京都をめぐる運慶の活動(造像仏所、東国下向など)の様子修復による造像研究の発展と技量の充実(京都・東寺講堂の修理活動)、写実表現のこと運慶工房・快慶工房の交流は?(技術・造像思想などの交流・継承がない?)など、運慶の生涯を追いながら平易なそれでいて的確な解説で、橋本女史や我々と掛け合う形で話しが進められました。昨秋に私が朝日新聞記事を紹介した、山本先生の年少時代のウラ話(漫画家志望であったこと)まで飛び出して、笑いを誘うほどの対談になりました。「半蔵門ミュージアム」の案内(無料、常設を強調)や、つい数日前に刊行・店頭販売が始まった山本氏監修の「切手に取り上げられた仏像を中心にした小冊子」の案内もされていました。
 
肝心の山本氏からの解説の具体例では、上記の橋本女史の話しの展開にあわせて、運慶作品認定レベルをもとにした作例の紹介がありました。例によって●■□△の認定レベルによって、各像の解説をされ、折々に橋本女史に誘導されて特徴や歴史的な解説、他との比較などを交えて解説されました。
円成寺大日如来坐像(定朝様の古代から中世への転換、平安密教彫刻の影響=東寺講堂諸像、あるいは康慶造像の蓮華王院・五重塔五智如来像の影響、宝冠を外したカラー写真は「大全」が初、芸大・藤曲氏の模刻と研究の話し、上半身を後方へ反る身体の姿勢や足裏の質感の技量、身体から腕を離すという阿弥陀定印と智拳印の空間の違い=平面的と立体的=定朝・平等院との比較)、
運慶願経(注目は女大施主と阿古丸のこと、別に如意の土地を巡る文書のことなど)、
興福寺釈迦如来仏頭(古文書の資料発見から、白毫が無くとも光を放ったという故事)、
成就院阿弥陀如来坐像他諸像(運慶30代半ばの充実期、出来の良い像として挙げられる、あまり小仏師が十分に使えない時代の出来が良い、しかし丸尾彰三郎先生は顔が悪いと評価した)、
浄楽寺・阿弥陀三尊他諸像
六波羅蜜寺地蔵菩薩坐像(寺の位置が重要、京都の工房の近くで、後白河院などの朝廷・公家とのつながりが深くなる)、
真如苑大日如来坐像(ボアスコープによる内刳り処置発見、胎内納入物、清凉寺釈迦如来立像との違い、揚げ底式像底と納入品について)、
金剛峯寺八大童子立像(玉眼の強調、像に確証なし)、
光得寺・大日如来坐像厨子の事や、周囲の荘厳、台座框の獅子像、足利義兼のこと)、
滝山寺聖観音菩薩三尊像(山本氏が、もしかしたら近いうちに彩色改修があるかも?との言葉を漏らす)、
東大寺・重源上人坐像(重源と関係の深い仏師の造像説、東大寺別当・弁暁の残した晩年の重源の容体記録あり=寿像?)、
東大寺・南大門・仁王像(定説をひっくり返した平成修理の墨書銘で確定、阿形=快慶、吽形=定覚・湛慶=運慶)、
興福寺・北円堂・弥勒坐像他諸像(本尊像そのものは円成寺像ほど出来は良くない、指導・統括的な技量が優れている、無着・世親像の玉眼について)、
称名寺・光明院・大威徳明王(大弐局発願や3体一具のうちの一体、幕府から京都公家へそして真言律宗の関係から称名寺へ、鎌倉→京都→鎌倉へ、残りの像が見たい)。
橋本麻里女史には、初めて間近でお会いしました。話しが上手で柔和な落ち着いた素敵な方でした。もっと時間が長くお話しが聞ければと、悔やむことしきりでした。対談後は、参加者からの質問などが出来ず、すぐに係員に誘導されて退出されたので、私は質問・感想を用意していたのですが、残念ながら実現しませんでした。
 
 
2018416日  AM100 Tak