孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

① 仏像の前段勉強 『仏教』 【輪廻】

仏像の前提としての自身の為の勉強ですが、同志募集中でもあります、ご応募ください!

まず、蔵書やネット検索などで、独学予習開始、そのノート的を文章にして、ここに日記投稿させてもらいます。
 ①仏教 ・ 1)図像学 ・ 【1】仏像美術史  の3テーマ別に 数字のフォームを上記のように変えて、同時並行して投稿させて頂きます。

≪ ①仏像の前段勉強 『仏教』 【輪廻】 【縁起】≫

【三業】
衆生の 身、口、意 の行為・行動には その結果である果報が生じる。→ 輪廻転生

【仏教以前の思想・哲学における輪廻転生概念】
次の生、(輪廻転生)を論じ、世間の生き方を脱して涅槃(悟り)を開かない限り、衆生は無限にこの輪廻を続けると言う。

この思想はインド由来の宗教や哲学に普遍的にみられる要素だが、輪廻や解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴である。

【三界皆苦】・【解脱】人の世は苦しみに満ち溢れている。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦しみにも原因が存在する。したがって、苦しみの原因を取り除けば人は苦しみから抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である。

【中道の輪廻】仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明し、
輪廻の主体(魂)を立てず、心を構成する認識機能が生前と別の場所に発生し、生前と転生後の意識が因果関係を保ち連続しているとし、この心の連続体(心相続=)によって、断滅でもなく、常住でもない中道の新しい輪廻転生を説く。

仏教における「心」とは、現象の認識を意味し、現象認識は生じることも、破壊されることもなく、ただ変容することのみが可能と考え、輪廻転生とは、個人の現象認識が継続し続ける連続性(心相続)の中で単に変容することで、その連続性(心相続)の変容が転生した他の身体という物質的土台で起きることです。

五蘊ひとつひとつについて「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説かれる。、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」という主張を含んでいると考えられる。

人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつについて「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説かれる。この表現形式は、ウパニシャッドアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。1)ここでは、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」という主張を含んでいると考えられる。

 アートマン(我)は、単なる自己ではなく、それによって現象界の個体が成立する永遠不変の本質あるいは原理と見なされた。
このような思想に批判として、「諸法無我」は、「すべての事物は我(永遠不変の本質)をもたない」と解釈されるようになる。一般に無我説には、このような意味が含まれる。


次回日記② では 「縁起」勉強します。