尊名の 勉強 ①
◆ 青字部分を追記しました。
【天部】
天部(サンスクリット देव, deva, देवता, devatā)は、仏教において天界に住む者の総称。インドの古来のバラモン教やヒンドゥー教の神が仏教に取り入れられて護法神となったものである。 天・天部は サンスクリットのdevaデーヴァの意訳です。 天部には、梵天、帝釈天、吉祥天、弁才天、伎芸天、鬼子母神、大黒天、四天王、竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、天龍八部衆、十二神将、二十八部衆などの天部が存在し、貴顕天部(容姿や服装から貴人の姿の天部のこと)と武人天部に二分される。仏教の尊像においては、如来、菩薩、明王、天という4区分の4番目にあたる。
インド以外の神で、仏教に取り入れられたものは、天とは呼ばずに 神(シンorジン)や権現の称号を持ちます。
【梵天】
、
ブラフマー(梵、ヒンディー語: ब्रह्मा Brahmā)は創造神でして、普遍的な「原則」であるブラフマンを擬人化し目に見える象徴としたものとしての創造神のブラフマー神が登場したと仮定する説もある。(仮説の根拠「ブラフマン」というコンセプトは「ブラフマー神」の登場よりも ずっと古い事を根拠に・・・、)
梵天は、以上のように古代インドの最高神であり、仏教の天部でも最高に位置するために、通常天部は使えない蓮華座を台座にすることが在ります。梵天 帝釈天と並ぶ場合も 梵天の台座は蓮華座でも、 対の 帝釈天jの台座は荷葉座 です。(瀧山寺の 聖観音 三尊を参照)
梵天の姿には顕教のそれと、密教のそれで違いが在ります。我が国では密教以前の梵天像は中国風の貴人の服装の一面二臂の像です。頭には宝髻を結って、手には払子や鏡、柄香炉を持つなど、唐時代の貴人の服装をしている。
密教の梵天像は東寺講堂や滝山寺の運慶作のそれ等でして、四面四臂の像です。でして東寺講堂像は、坐像で、その蓮華座は、四羽の鵞鳥に支えられる。これらの表現は、胎蔵曼荼羅中の梵天に近似している。概して密教像は 古代インドの神々の像が基ですので、多面多臂の像は多くあります。古代インドの聖鳥 「ハンサ」と呼ばれる白い鵞鳥に乗る梵天も、ヒンドゥーの神の姿です。
【帝釈天】
バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でして、(前1350年頃交わされたといわれる両国間の不可侵を誓う)ヒッタイト・ミタンニ条文にも見られるインドラ(梵: इंद्र、इन्द्र)「強力な神々の中の帝王」と同一の神。
インドラ(Indra、梵: इंद्र、इन्द्र) 名称は「サンスクリット語:śakro devānām indraḥ 法華経には、釋提桓因(しゃくだいかんいん)とも記載される。釋は字(あざな)、提桓因は天主のこと。帝釈天の名は、一見意訳に思いがちですが、インドラの名前のシャックロー・デーヴァーナーン・インドラハ(梵: Śakro devānām indraḥ, 巴: Sakko devānam indo)のうち、śakraを釈と音訳したものに、devaを天と意訳して後部に付け足し、indra(神) を帝と意訳して冠したもの。 śakro音写釈 + devānām意訳 + 天 indra(神) 意訳で、帝 と訳し・・・、帝釈天となる。 śakro devānām indraḥで、「強力な神々の中の帝王」を意味する。
インドラ(Indra、梵: इंद्र、इन्द्र) 名称は「サンスクリット語:śakro devānām indraḥ 法華経には、釋提桓因(しゃくだいかんいん)とも記載される。釋は字(あざな)、提桓因は天主のこと。帝釈天の名は、一見意訳に思いがちですが、インドラの名前のシャックロー・デーヴァーナーン・インドラハ(梵: Śakro devānām indraḥ, 巴: Sakko devānam indo)のうち、śakraを釈と音訳したものに、devaを天と意訳して後部に付け足し、indra(神) を帝と意訳して冠したもの。 śakro音写釈 + devānām意訳 + 天 indra(神) 意訳で、帝 と訳し・・・、帝釈天となる。 śakro devānām indraḥで、「強力な神々の中の帝王」を意味する。
居所は須弥山の地続きの頂上 の忉利天(サンスクリット語: त्रायस्त्रिंश Trāyastriṃśa(トラーヤストゥリンシャ)の音写 また、忉利天は三十二天とも呼称される。(何故かは 仏像質問箱の問題とします!)
帝釈天は、仏教に取り入れられてからは、梵天と並ぶ仏教の二大護法神となり、釈迦の脇侍は何種類かある中、梵天と帝釈天の場合もある。 梵釈は本生譚などで、釈迦の修業時代から側にいて、悟りを開くのを応援した話は多くあります。密教以前の帝釈天は、ほとんど梵天と一対で扱われることがつねでして、その姿は、梵天に近く中国風の貴人の服装の一面二臂の像です。梵天の解説の中でも触れていますが、 梵天が最高神であるのに対し、帝釈天は武装神 ですので、 甲冑をつけます。 但し、四天王他の姿とは違い・・・、その甲冑上にゆったりと袈裟をつけます。これは四天王の上司、 武装天の最高位を示しています。梵天が、軍事の最高宰相の首相 相当に対し、帝釈天は 制服組の最高位の統合幕僚長軍服組といったところでしょう。
密教の帝釈天は護世八方天の一尊で、十二天の中に組み込まれ、図像化されている。現図 胎蔵生では、外金剛部院の東門北方と北門西方に二種が描かれている。東門北方のそれは、甲冑姿で宝冠はなく、右手に独鈷杵を握り、左手は拳にして腰にあてる。
北門西方のは、宝冠をいただき、一面三目で、両手は、前者に同じです。左辺に花を捧げる妃を伴う。
我が国では、密教以前の顕教の梵天像は、中国風の貴人の服装の一面二臂の像です。著名像は 東大寺法華堂の 帝釈天との一対の巨像ですが、此処の梵天は衣の下に鎧を着け、左手に巻物を持っています。一方の帝釈天は衣しか着ていません。しかし、通例では戦いの神である帝釈天か鎧を着ています。長い歴史の途中で間違って伝えられたというのが定説です。
すでに書いていますが、梵天と帝釈天像の見極め方の整理としては、 梵天は、天部の中の最高天(四天王の上司)ですので、衣をつけた 中国の貴人の文官衣装です。 また普通 天部では乗れない台座である 蓮華座に乗ることもあります。
帝釈天は 武装天でありますので、 鎧をつけることが在ります。 その鎧ですが四天王の場合とは相違で、 あからさまの鎧の着用では無しに、 その上に衣(袈裟)を纏います。 これは武装天の最高位を示します。 台座に関しては、梵天とは相違で 決して蓮華座には乗りません。 そんなところを観察しますと、それぞれの上下関係が見えてきます。
を持ちます。
役割・身分の もう一つ例を挙げますと、四天王と十二神将は、ともに武装の天、鎧姿で似ていますが、十二神将は十二夜叉大将ともいわれますように、夜叉の身分なのです。 四天王は 須弥山の頂上忉利天に住む帝釈天に仕える配下で、須弥山の中腹の四天王宮に住みます。 中腹のその下に 夜叉の住む夜叉宮があり、 その夜叉たちの上司が叉大将なのです。 その序列表現が邪鬼を足下に踏まえる 四天王像なのです。四天王宮に住む四天王達は 下界の夜叉宮に住む 夜叉(邪鬼)を足下に踏まえる のです。 ところが十二神将は夜叉の類ですので、その下界の夜叉宮に住むのではない 夜叉(邪鬼)夜叉(邪鬼)を足下に踏まえる 事はないのです。
斯様に 図像学的に読み込んでゆくと 仏像感傷は 面白いと 私は思うのですが・・・、 如何ですか?!
【次回の 尊名の勉強②に続く】