孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

私の 仏像との出会い



勿論近所にお寺は幾つもあります。そこには一部の例外を除いて仏像が在ります。しかしそんな仏像から仏像に興味は普通持ちません。 私も 仏像との出会いは中学の修学旅行での奈良・京都でした。 何も分からぬままに 「仏像って良いなと思い」 ほのかな憧れを持ち、最初は修学旅行での拝観以外に 拝観旅行など 思いのほかでした。 修学旅行の時に買った 旅行ガイドブックを眺め読むのが最初でした。 仏像の本の最初は 保育社仏像 そのプロフィル (カラーブックス 111)   
文庫でした。唯、仏像の写真を 「きれいな仏像!」と眺めるだけでした。 青春期に特有の青春期特有のロマンチシズムの鑑賞でした。  すでにその頃も仏像ブームだったと思います。 そして仏像写真家の写真に 陶酔していたのです。 そして 今度は一人で奈良・京都の仏像めぐりをあこがれました。 そして修学旅行では無い 仏像拝観の実施 本で眺めあこがれていた仏像を 実際に見て、 文通の相手にようやく合えた様な気持ちでした。 相しますと青春期特有のロマンチシズムとともに 仏像へのあこがれは恋の様なモナだったのかもしれませんね! 恋人のことは知りたく思うもの。
 それで、仏像の本を幾つかめぐって、学生時代に NHK(NHKブックス仏像 心とかたち 単行本に巡り合いました。 3人の共著で、各章の前半で仏像の成立の歴史を美術史家である望月と仏教図像学の第一人者佐和が述べ、後半に信仰のかたちを(西洋出身の)哲学者梅原が述べるという体裁の高いコスト・パフォーマンスの本と絶賛してました。この本で、仏像の図像学的鑑賞に目覚めたのだと思います。 それからは、美術史もありますが、尊像別の図像学の方に興味でして、サラリーマン退職後の仏像趣味再開後は  「仏像が良く分かる本」(瓜生中)    「ほとけを知る」(北進一)の 仏像辞典(真鍋俊照)の仏像辞典などの仏尊別の解説書がお気に入りでした。
そしてその後、五年ほど前は、中公新書 「日本の仏像 」(長岡竜作)の・・・、釈迦に会いたい。そう願ったからこそ、仏を描写し現世に再現しようと、古来、人々は心を砕いてきた。本書は、仏像を造り、祈った人々に注目し、仏像に残る の表情と荘厳を読み解く。日本の仏像の起源、祈りと美の原風景をたずねるまなざしに傾倒していました。

最近は、東博の特別展「運慶」 関連講演会や興福寺文化講座(東京)の 受講等のを機会に 、金子啓明 元興福寺国宝館館長(最近退官され、(?明治)大学に移られるとか移られたとか?)の仏教・仏教史に根差した、仏像解説(特に法相教学からの無著世親像の解析)には、実に感服 しました、読んでいました「仏像のかたちと心――白鳳から天平」 に続き「運慶のまなざし――宗教彫刻のかたちと霊性」を面白く読みました。

戦前の、仏像巡りのバイブルであった、和辻哲郎の古寺巡礼を、私はまだ読んでいないので、読もうかと思い始めてます。もはや古びて 実証美術史的には問題と見られているとのことですので、 現在の自分の美術史知識で どのくらい和辻の美術史認識の誤謬や問題点をを見つけられるかも楽しみです。本書には学術的な疑念は有るとされていますが、それよりも和辻固有の魅力が有るとの評、それを感じてみたく思い始めました。

その後の看板 美術史家の、會津弥一の書籍も読んでいないのですが、その 會津弥一も、良くした 門下生との奈良旅行は 和辻の「古寺巡礼」に触発されたところがあったからと、喜多上が2013年に研究誌 『書論』に「古寺巡礼の系譜 ー和辻哲郎から會津弥一へ」の中で書かれているとのことです。
會津弥一は、また和辻の「古寺巡礼」本に 書き込みをよくして、いっぱいとなり、もう一冊求めたともあります。そこまでも、もう一人の異才に愛された書籍 、それに関心です。

(以下 中公文庫「仏像と日本人』宗教と美の近現代  碧海寿広 著  66ページ~67ページより転裁)
會津弥一と奈良の有名歌人であった 竹尾ちよが 、異才の会津と、歌の捜索をめぐ語り合った際次のような次のような問いを彼に投げかけている。いわく、自分の歌は、どこの寺の仏さまでも同じように詠んでいるが、それにくらべて、あなたの歌う仏さまは一体に気持ちを変えて別々に詠んでいる。どうしたら、そのようにできるのだろうか、と。
會津は答えて曰く、自分も以前から両者の違いに感づいていたが、これは互いの性分流義の違いから
来るので仕方がない。あなたは、人間として、とりわけ若い女性としての感傷で、仏にすがって詠んでいる。それゆえ、仏像としての様式や技術には、こだわりのない歌が出来上がる。仏教的には、そのほうがずっと神妙である。 一方、自分は美術のほうの心遣いを持っているので、同じ仏像でも、知らず知らずのうちに差別をつけて、一体ごとに詠み分けてしまう。仏さんの方から見たら、これは決して良い態度ではないのだろう[會津弥一『渾齋随筆』中公文庫1978年]
會津の仏像をテーマにした歌の性格が、歌人自らによって開設されており、興味深い。

(以上、中公文庫「仏像と日本人』宗教と美の近現代  碧海寿広 著  66・67ページより 転裁)
仏像の拝観の仕方にも、同じような こ事が言えませんか?」孤思庵