孤思庵の仏像ブログ

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NHK-BS『空海・至宝と人生(第1回)仏像革命』を観て

2011年08月14日00:54
NHK-BS『空海・至宝と人生(第1回)仏像革命』は何度も番組宣伝も流れていて随分前から期待し、そして、ついに7日の晩に見ました。

感想は、期待が大きすぎた勢か、仏像ファンとしては期待はずれでした。目新しい
事はないし、また感心する見所も無かった。まあ、このテーマに特段の感心をもってない一般に向けた番組と解せば、それで良しとせねば成らぬでありましょうが・・・。

同感の意見が百出かと、ネット検索してみましたが あまり意見は無い様で、辛口批評は唯一、blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/2f04a4e49dab3529e7c129a5b71e1f62がありました。私も近しいかもしれません。

先ずは我が国最初の不動明王の造像をドラマの中では仏師忍忠(架空は良いとしても)一個人仏師に用命はおかしい、官立寺の仏像が個人の仏師に制作依頼はありえない、まだ律令体制の中、造東大寺司の流れを汲む造寺司は存在し、造東寺司か造東寺所という仏師集団が不動明王像を含む東寺の緒尊像の制作を担ったはずでありましょう。ドラマのように一個人仏師があの不動明王像の制作はありえないはずです。

また東寺講堂の群像・立体曼荼羅に関しての密教図像学者・田中公明氏に対する夢枕獏氏の対話の絡み方は一致していな居ように感じました。田中氏は国家鎮護を言うのに対して、夢枕氏は、空海思想の特に怒りの仏明王よすがに「理趣経」を持ち出し、(その現世肯定の世界観と明王との繋がりが不可解のままで、それは良しとしても、怒りの仏による「衆生個人の救済」を主眼としていましが、それでは田中氏の話に絡まないと思うのですが・・・。

創建当初の東寺はもともと平安京鎮護のため立てられた寺院、のち嵯峨天皇より空海弘法大師)に下賜された経緯の後、現在の正式寺号は 「教王護国寺」さらに正式名として「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」というとおりに。金光明経(法華経・仁王経とともに護国三部経のひとつに数えられる経典)等による国家と皇室の 安泰を祈るための国家鎮護の法会の方が主眼で在ったはず。また羯磨曼荼羅とも言われる立体曼荼羅は、まだ明確に空海が何による立体曼荼羅の思想か?いまひとつ明確でないものの「金剛頂経」と「仁王経」を基にするらしい。つまり国家鎮護の密教寺院という意味合いが込められているのに、それを表に出さずに、(理趣経を持ち出しは?)衆生個人救済の怒りの仏と、綺麗に纏め描きすぎていました。

【金光明経】:ちなみにこの経典はは空の思想を基調とし、この経を広めまた読誦して正法をもって国王が施政すれば国は豊かになり、四天王をはじめ諸天が国を守護するとされる経典です。
【仁王経】大乗経典のひとつ。「仁王般若経」とも称される。なお、この経典は仏教における国王のあり方について述べた経典であり、天部に分類される仁王(=二王:仁王尊)について述べた経典ではない。

【東寺・教王護国寺】:も一つ今回、勉強しました。東寺、教王護国寺と、どちらの名前も気にせずに来ましたが、東寺 - Wikipediaによると、「近代以降の法人名としては教王護国寺が正式名称であるといえる。ただし、東寺という名称も単なる通称・俗称ではなく、創建当時から使用されてきた歴史的名称である。平安時代以降近世まで、公式の文書・記録等には原則として「東寺」という表記が用いられ、それが正式名称であり、「教王護国寺」という呼称は特殊な場合以外には用いられなかった[3]。教王護国寺という名称は平安時代の記録類には一切見えず、正式の文書におけるこの寺号の初出は仁治元年(1240年)である[4]。後宇多天皇宸翰の国宝「東寺興隆条々事書」(延慶8年=1308年)、後宇多天皇宸翰「庄園敷地施入状」、豊臣秀吉が2,030石の知行を認めた天正19年(1591年)の朱印状など、寺の歴史に関わる最重要文書にも明確に東寺と表記されている。現代においても、南大門前の石柱には「真言宗総本山 東寺」とあり、南大門、北大門、慶賀門などに掲げられた寺名入りの提灯には「東寺」とあり、宝物館の名称を「東寺宝物館」とするなど、寺側でも通常は東寺の呼称を使用している。」と記載があります。


我が家にはDVDレコーダーが無いので、友人録画のそれ待ちの状況でして、一度しか見ていませんので、DVD到着、再見したら書き直したくなるやも知れませんが、以上が取り急ぎ、NHK-BS『空海・至宝と人生(第1回)仏像革命』に対しての今のところの寸評です。

実を言いますと、番組の終了の後日に、日本仏教史料の研究員で、修理仏師でもある友人との番組に付いての電話がありまして、その内容に由るところ大でして、それも主には彼の意見であり、私は相槌程度が正直なところなのです。

過日の2回目の東博・特別展「空海密教美術展」に一緒しての帰りの喫茶店でも、いろいろ教えてもらいました。

一つには、経典は大日経金剛頂経が大事だとは両界曼荼羅の事で知ってはいたが、その他に「蘇悉地経」(特に台密で大事にする密教聖典で、大日三部経の一息災・増益・調伏の3種の護摩法、灌頂法、供養法などを説く。蘇悉地羯羅経。)と「理趣経」(真言宗の読誦経典。不空訳。大般若経理趣分に相当する。万物の本体が清浄であることを明らかにし、即身成仏の教義を説く。男女の愛欲などの欲望肯定的傾向が強い。般若理趣経。)の存在を教わった。

(上求菩提・下化衆生とは遥かに、おこがまし過ぎですが・・・・ )日頃、他の人に仏像関係のお話をするのも好きですが、このように薀蓄を聴く事も大好きです。