孤思庵の仏像ブログ

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Takさんの投稿 興福寺中金堂落慶記念 東京特別講演「天平文化空間の再構成」


弧思庵さんからこの講演会聴講のことが投稿されていました。それが契機で私も投稿してみようと思いました。会場でメモをしたノートをめくって、思い出しながら書き留めたことを簡単に書いてみます。講演会の内容や様子が少しでもイメージ出来ればと思います。Gouさん、Yamさんのご感想も聞いてみたいです。
 
319日(火)興福寺中金堂落慶記念 東京特別講演「天平文化空間の再構成」
会場・銀座ブロッサム 13001535 2部構成
講演会開催案内パンフレット:  https://www.nara-np.co.jp/common/event/ev1812a_1.pdf
 
私は初めての会場だったので、少し早めに出掛けました。会場は、最寄駅から田園都市線田町駅乗り換えメトロ有楽町線新富町駅下車で徒歩数分、中央区役所のすぐ目の前です。到着した時には既にハガキを手にした230人かの聴講者が並んでいました。しばらくでGouさん弧思庵さんがお見えになり、入場後は3人で2階の最前列中央に席を確保しました。ステージには少し遠いのですが、前席の聴講者に邪魔されず、最前列の前には荷物が置けるスペースがあり、ゆっくりと着席が出来るメリットがあります。Gouさんから軽食の差し入れも戴きました。その後にYamさんもお見えになり並んで開演を待ちました。アナウンスでは満員の聴講予定とのことでしたが、1階・2階ともに若干の空席があったようです。
 
1部は、ロバート・キャンベル・日本の近世文学の研究者で東京大学教授で、長く日本に居住しています。ドナルド・キーン氏が亡くなられた今となっては、在住外国人の日本文化・文学研究の第一人者といえるでしょう。テーマは、「奈良と興福寺に関して」というタイトルでしたが、最初は日本文学の研究者が講師ということに若干の違和感がありましたが、もともと専門の研究者ではないので、概略的な話しになると思って聞き始めました。しかし、彼は数年前の奈良新聞70周年記念事業「奈良遺産70」という企画行事の検討メンバーに選ばれて、奈良について歴史や文化、祭りなどいくつもの奈良の魅力や事柄を検討して紹介していたことを知りました。最初は日本や奈良についての全般的な話しとして、日本の歴史は有史以来ひとつの言語で単独の民族で、1300年間にわたって継続した文化・生活習慣や信仰の継承を遂げてきた、そのことを物語り、記録・記述してきたという歴史を語りました。そして他の世界の国々とは違った独自な特異な歴史を歩んできたことを、分かり易く話されました。そしてそこに流れている日本人の精神は、神道山岳信仰をはじめ古代からの自然崇拝だと語ります。彼の専門の江戸文学の世界では、日本の回帰は常に奈良に戻る、文化の中心が奈良にあるという。京都は国学、漢学、音楽など公家社会の文化があり、長崎は先進の医術、技術が海を渡ってきた、そして奈良は既に人々が回帰する思想、信仰の原点があるという。彼の専門の日本文学の紹介では本居宣長の「菅笠日記(すげがさにっき)」を紹介します。これは名文で知られているそうですが、古典文学の発祥地を巡り、いにしえの人々の生活や精神を掘り下げて、驚き感銘を共有することが出来ることに注目、実感出来るという。また、堀辰雄「大和路」、彼はこの本は一読の価値ありと推奨されましたが、この記述も本居宣長を意識したきらいはあるそうですが、共通していにしえの人々の心の機微の模様を歌に残す、日記に書き記していることで、いま眼を閉じても当時と同じ空気・雰囲気を感じることが出来るという。いにしえの世界の様子が現在の日本や奈良の世界と混然となって感じられる、という。彼は、いにしえの人々の自然に対する混然とした畏敬の念と霊力を持つ信仰などに結び付く日本人の、外国人にはない感受性、感得性について説明されていました。彼は長い間日本に暮らし日本を愛した生活から、流暢な日本語は私などの足元にも及ばない語彙(ボキャブラリー)が豊富で、表現力豊かな外国人学者です。
奈良遺産70プロジェクト:   https://www.nara-np.co.jp/special/heritage70/  
 
2部は、興福寺多川俊映貫首の「天平文化空間の再構成」とのタイトルでの講演でした。私が聴講した限りでは昨秋の中金堂落慶法要の結願の時に挨拶された言葉(他にも同じような趣旨で幾度となく各所でお話しをされています)を基本とされたようでした。彼独特のザックバランな話し口で、最初は中金堂発掘の様子(スライド画面あり)と、平成の再建ではその史跡を遺した上にコンクリートなどで覆って再建するという工夫とその苦労を述べられました。建物の柱は既に日本国内では探してものこっていないほどの巨木が必要で、止むを得ずアフリカ産のケヤキ材を調達せざるを得なかったという苦労も紹介しました。また彼は、平城京の遷都や平城京の外京の高台の端の位置に築かれた興福寺藤原氏の権勢の時代からの歴史について、トツトツと語られました。中金堂の歴史上7回の焼失を経た上での「七転び八起き」、そしてこの時期にお寺として長い期間にわたって中心となるお堂(金堂)が無かったことへの願いが叶えられたこと、再建前の叢林で荒れた様子から歌人會津八一が「鹿鳴集」に詠んだ「ほとけの庭」を紹介し、最後は天平時代の願経、光明子光明皇后)の筆跡から結んだ「端正、典雅、剛勁」の3文字に、彼は興福寺の再建計画を天平時代への回帰とこれからの伽藍復興への覚悟と希望を、語られたものと感じました。
 
 
2019323日 AM030  Tak