孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

興福寺文化講座(東京)の「運慶と鎌倉彫刻の新様式」講師 金子啓明

去年の春 此処のブログ  2016/2/11(木) 午後 1:38 の過日2月6日の 第62回「仏像愛好の集in東博 の中で。十二神将の鑑賞の方法について語った事が在りました。 

数日前の9月21日【興福寺文化講座(東京)】の第1講:「運慶と鎌倉彫刻の新様式」興福寺国宝館長 金子啓明氏の 講演に同じような見解が在って、自分もそれに少し似ていたと感じ 嬉しかったです。
受講から時間が立ち、小生 記憶力が悪い方ですので・・・、 其の講演の概要は忘却ですが、 自分も同様に考えてましたので、 十二神将の鑑賞の仕方の解説は強く印象に残りました。 金子氏の論調に、彫刻空間と云うものが在って、十二神将の鑑賞は その像だけの鑑賞に留まらないと云うものでした。 十二神将は守護神ですので、其処には仏敵の存在が在り、その仏敵との距離、 それにて、其れとの臨戦態勢の程度の差が、在るというものでした。 

本文最初に紹介の 拙ブログに 同じような事を書いたのですが・・・、 流石に先生、それをはるかに超えていまして、私の及ばざるを痛感しました。 私も神将と仏敵の距離、臨戦状況には注目してましたが、それは場面の切り取りの画像的に留まって居ました。先生の、その鑑賞は、静止画像に留まらず、動画でして、これからどの様に展開するか迄、推測鑑賞されてまして、其処には、対峙の場面に留まらず、その次の場面を描かれてました。 私の鑑賞は場面に留まり、神将が武器を執り、仏敵と対峙との解釈だけですが、先生の解釈は、 その神将の剣が仏敵に刺さり、仏敵が倒れるまでに及んでいるのでした。 そしてその動画は無声映画に在らずして、トーキーでして、音が聞こえ、 音楽さえも聞こえているのでした。 また其の表現は神将のアクションに留まらず、神将に吹き付ける風さえも感じとっているのでした。 私の神将の姿勢の静止画的把握はそこだけのプアーなものでしたが、先生の把握は、動画で、場面転換もあり、音楽まで含んだ時間藝術として感じ取っていらっしゃるのです。感服致しました。 

金子氏的鑑賞まで行かずとも、 十二神将の鑑賞は 戦いのポーズの妙で、 その写実たるは鎌倉彫刻の妙。 さすれば 十二神将の鑑賞の最高の醍醐味は、鎌倉期の慶派と言えると思います。 また逆に、鎌倉期の慶派の面白さは、十二神将の動きと言えると思います。その動きは左右の動きに留まらず、前後の動きに、上下の動きも在ると、金子先生!更には。そこに吹く風までも・・・。

以前の金子氏の講演で、無着・世親像の解説時には 無着・世親の両師は、菩薩の域に達して居り、兄 無着は、菩薩行の「下化衆生」の目であり、弟世親の境地はそこまで及ばずで、菩薩行 「上部菩提」の境地で 上を向く 眼差しとの、解説をされました。 それは唯識学を踏まえた 菩薩境地段階の 教学的解説で、それはそれで大いに感心したのでしたが、今回の十二神将の鑑賞は、打って変わって、 美術・美学的でして、一種の耽美なのでしょうが、しかし その解説はボキャが豊富で、その数々の適切な表現に感心しきりとなりました。 今回は、その方向の違いに驚き、金子先生の幅の広さに感嘆! 益々の憧憬となりました。稚拙な評ですが、先生の大ファンです。 

鎌倉彫刻の新様式についての名講演だったと感じました。 「十二神将は慶派、 慶派の面白さは十二神将」との 諺を作ってみました。 如何なものでしようか?!