孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

「運慶展」情報。「壺中之天」のこと。(Takさん 投稿)

以下、「仏像愛好の集」のメンバーのTakさん寄りの投稿です。

 
1.運慶展内覧会」
「運慶展」が近付き、サイトやサークルスクエアを拝見すると、集いのメンバーの方もいろいろ情報交換して、準備されているようですね。
私も、池袋の書店での山本勉先生の講演会があることを知って、集いの会に公報した時に、あわせて小学館のサイトで、8誌連合企画の「特別内覧会」のイベントニュースを知りました。特に今まで公報していませんでしたが、8誌の各誌の購読・応募から、「特別内覧会」に招待されるかもしれない、というものです。内覧会期日は、117日(火)閉館後の19002100 というものです。
公報サイト: http://www.shogakukan.co.jp/pr/unkeievent/  何か対象となっている雑誌を購入して、応募してみてはいかがでしょうか?
 
 
2芸術新潮10月号(925日発売)のご案内
ご存知の方も多いことと思いますが、月刊誌「芸術新潮10月号は、特集「運慶大百科」として現存全作品掲載というキャッチフレーズで、従来の装幀を大幅に変更して発売だそうです。
916日(土)にお会いした金沢文庫・瀬谷貴之先生のお話しでは、山本勉先生とタイアップして、東博金沢文庫での展覧会の案内を含めて、編集しているそうです。「期待していてくれよ!」とのことで、「藝術新潮は藝術雑誌としては、毎号レベルの高い内容と第一線の執筆・監修者で、充実しているよ」とのお話しでした。瀬谷先生の太鼓判の発売に期待しましょう。因みに私も「春日大社」特集の号を購入したことがありましたが、他の美術誌とは違った感じで、充実した編集でした。なお藝術新潮9月号(現在店頭販売中)は「日本アニメベスト10」で、「新世紀エヴァンゲリオン」、「機動戦士ガンダム」、「宇宙戦艦ヤマト」などがランキング上位だそうです。
 
私が金沢文庫の図書閲覧室で、他に利用者がいないことを幸いに職員の方と話しをしながら、「金沢文庫研究」320号(H203月号)の「特集・光明院所蔵 運慶作 大威徳明王坐像」という、像の発見報告と、「シンポジウム・仏師運慶をめぐる新発見と課題」というタイトルの掲載文書をコピーしていた時に、うしろから瀬谷先生に声をかけられ、ビックリしました。なお、コピーしていた資料は、彫刻史研究会の主催により、金沢文庫の地下の会議室で研究者が大勢集まって行われた時の記録です。参加者は、パネラーとして清水真澄氏(成城大学学長)、奥健夫氏(文化庁文化財調査官)、山本勉氏(清泉女子大学教授)、瀬谷貴之氏(金沢文庫学芸員)、他に発言者として西岡芳文氏(金沢文庫学芸課長)、横内裕人氏、水野敬三郎氏、麻木脩平氏、田邉三郎助氏、西川杏太郎氏です。内容は、大威徳明王坐像発見と横内氏の「類聚世要抄」による興福寺西金堂像についての発表の2点を中心に議論されているものです。旧聞になるものです。瀬谷先生にバッチリ覗き込まれましたが、幸いに瀬谷先生自慢の仏像発見の資料だったので、ご機嫌だったようです。私が瀬谷先生にお会いした時は、金沢文庫開催の「運慶展」の新リーフレット初稿上がりで、これから校正をするということでした。
暫くの立ち話しで、①「運慶展」に関連した企画(講演会や他のイベントなど)については、検討中で発表には暫くかかる。あまりにも「快慶展」と「運慶展」の関連イベントの力の入れようが半端でなく、対抗できるようなこれ以上のアイデアと予算が無い。②現在の「宝生寺展」出展中の「厨子入薬師三尊+十二神将+四天王像」も「運慶展」に出展する。十二神将像が「大倉薬師堂」の形式にもとづく、四天王像も大仏殿様四天王像の形式である、など運慶につながる像である東国の仏さまだから。⓷山本勉先生とのトークイベントは期待して下さい。とのお話しがありました。
 
 
3lakagu」神楽坂でのイベント
神楽坂の通りと直交する通り(昔は都電が通っていた大久保通り)に面したファッションビルでのイベントで、上記「芸術新潮」企画にタイアップした新潮社の面目躍如たる企画ものです。山本勉先生と瀬谷貴之先生のトークイベントです。
1011日(水)19002030、神楽坂lakagu 2Fレクチャースペース 聴講料金・2,000円。
私は、小学生、中学生の頃に神楽坂の近くに住んでおり、新潮社本社や旺文社は眼の前でしたし、当時はlakaguの場所の近くも、毘沙門天社があり、製本会社が多く集まった場所で、友達も住んでいたよく通った場所なので、行きたいのはやまやまなのですが、別件があり残念ながらパスです。
 
 
4「壺中之天」のこと、興福寺で「宝瓶」のお話しを伺う
99日(土)に、奈良・興福寺会館で行われた講演会を聴講した後で、興福寺の寺僧の方とお話しをする機会がありました。たまたま「愛染明王像」の「宝瓶」(ほうびょう)のことに話しが及んだことから、彼は私に、そもそも噺しをしてくださいました。私が知る奈良博などに展示されている「愛染明王像」の「宝瓶」は過度に荘厳が目立ち、他の仏さまの周囲のものとの違いが目立ちます。ちょうどよかったので、拝聴することとしました。いつものノートを取り出しスタートです。
仏教世界では、衆生の幸福をもたらしてくれるものとして「宝瓶」があるそうです。「法華経」を紐解くと、「薬王菩薩本事品第二十三」には、(1.)宝樹荘厳。宝帳覆上。垂宝華幡。宝瓶香炉… 仏の国の宝石でできた樹木は宝石の帳で覆われ、宝石で出来た華飾りの布も垂らされている。宝瓶と香炉は国中の広く至る所に満ちている。(2.)供養佛身。而以焼之。火滅巳後。収取舎利。作八萬四千宝瓶。以起八萬四千塔… 仏身を供養してこれを焼き奉った。火が消えた後に遺骨を集めて八万四千の宝瓶を作って、それをもって八万四千の塔を建てた。とある。塔の歴史などによく出てくる話です。宝瓶の起源は46世紀ごろのインド・グプタ朝の彫刻などに見られる「満瓶」(まんびょう・プールナ・ガタ)だそうで、生命の根源となる聖水をたたえた瓶で、あらゆるものを生み出すエネルギーの源とされるということです。「満瓶」は「宝瓶」として、インドから中国の東伝し、北魏時代の龍門石窟などに彫られ、瓶からは蓮が生え、渦巻き状の唐草となり、蓮華から新たな仏が誕生している(蓮華化生)という。蓮華は豊穣多産を象徴するものだそうです。「宝瓶」は仏教伝来とともに、日本にも伝播し、仏像持物、仏画、仏具として幅広く造形化されたのです。飛鳥時代の「百済観音立像」(法隆寺)、奈良時代の「漆胡瓶」(しっこへい・正倉院)などに見られたり、平安時代の「天台高僧像」(一乗寺)に添わされた「浄瓶」が、それと解釈されているそうです。その後、平安末期から鎌倉時代になり、「愛染王法」という秘密修法に活かされた「愛染明王図」の仏画の中に、「宝瓶」が描かれるようになってくると、敬愛を中心に出産や安産祈願などにも利用され、主に後白河院摂関家などの上層貴族の信仰として支持された。愛染明王は、殆んどが「宝瓶」から生まれ出る「化生」する構図だそうで、「宝瓶」の口からは、他にも宝珠や宝物が次々にあふれ出しているというのです。今まで愛染明王像の仏画を見ていましたが、そんなに「宝瓶」からあふれ出ていたとは、あまり考えずに見ていたことに悔やみました。そして、もっと興味の涌くことを聞かしてもらいました。日本では、「宝瓶」は「壺中之天」のイメージが混ざっているのではないか、というのです。「壺中之天」って何? 寺僧は、熱心に話して下さいました。
「壺中之天」(こちゅうのてん)は、簡単に言うと壺の中の世界、別世界、別天地というような感じで、壺の中にまた地上のような世界が広がっているというイメージで、寺僧の話しでは「漢書」(かんじょ)の方術伝(術を使う人物の伝記)にある話だという。漢代の「費長房」(ひちょうぼう)という人物が、かつて市の役人をしていたが、いつも気になっている老いた商人がいた。建物の2階から市の様子を眺めていた時、市の中の店で薬売りの老人の姿を追いかけてみると、店が終わると壺を一つぶら提げて、周囲を見渡して人がいないことを確かめたうえで、老人はヒョイと壺の口から中に入っていってしまった。この様子を見た長房は、その後老薬売りに会いに行って、土産の酒を渡した。薬売りは、長房に「明日来るように」と伝えたので、長房は出かけて行き、店の中で薬売りと一緒に、壺の中に入ったところ、思いがけずそこには輝くばかりの荘厳な御殿に降り立つこととなり、御殿には豊富な贅沢な料理や酒があり、二人で十分に満足して壺から出てきて、薬売りは長房に「私は神仙だ。罪があり下界に送られてきたが、刑期が終わったので帰る。酒を送るので、飲み交わそう」と云ったが、長房の配下の者を取りに行かせたが、その酒の壺はどうやっても動かなかったのに、薬売りは一本の指でぶら提げてきて、また二人で飲み明かした。長房は、彼の道術を修めたくなり、家族の眼をごまかし、長房が首をくくったと思わせたため、家族は自分の葬儀まで挙げてくれた。神仙は彼を深山に連れて行き、野に一人置き去りにしたが、彼は恐ろしい蛇や虫などの襲ってくるにもかかわらず、不動であった。神仙は長房の姿を見て、ものになると判断し、更に彼に糞を食させた。長房は思わず吐きそうになったので、神仙は、「もう少しで術を会得するところだったのにダメだった」とあきらめる様に伝えた。長房が諦めて帰ろうとすると、神仙は一本の竹の杖をくれた。そして「これで地上の悪鬼を懲らしめよ」と伝えた。長房は竹杖にまたがって、瞬時に地上の自分の家に着いた。家族がビックリして疑ったが、既に十数年が過ぎていたという。その後、長房は人々の病を治すことが出来、喜ばれる一方、徘徊する悪鬼を懲らしめることが出来た。…。
と寺僧にここまで話しを聞いたところで、閉門の時間ということで、興福寺会館から締め出されてしまった。もともと話しを聞きながらの、いつものノートにメモるのは大変で、寺僧に聞き直しながら、まだ解らないことが多く、彼にノートに書いてもらうような次第で、時間が掛かってしまった。殴り書きのノートは、後で読み返そうとしても、自分で記した文字が読めないこともあり、再現は苦労です。寺僧は仕事があるそうで、そそくさと奥へ辞してしまったので、中途半端になってしまったり、よく確かめられないままに終わってしまったりで、ガッカリしてしまった。それも寺僧の名前も知らずのままで、ガッカリの2乗となってしまった。寺僧の話しの続きは、自分で調べねば、と思い直したが苦労すること必至です。壺の存在が、現世から観ると仙郷(パラダイス)と感じられたので、多産、豊穣祈願になぞらえて宝瓶がもてはやされた風があるということで、先の愛染明王像がその逸話を物語っているようです。日本では、古来から「うつわ」には、宝瓶が伝わった時から、このような物に寄せる有難い、崇めるべき、生活だけでなく精神や信仰を進めるための道具となったようで、埴輪時代や神道世界の祭祀具から続く、日本人の精神世界の具現化になったのではないでしょうか。もっと誤解を恐れずに云うと、同じ中国から伝来したものでも、一方で茶道が隆盛となった時代にも茶碗や水差し、花瓶にも、こうした宝瓶の感覚が続いているのかもしれません。うまくまとまりませんが、自分としては新知見もあり、こんなことしか思いが浮かばずに終わりました。「宝瓶」について、集いの会の皆様にもご教授願えれば、幸甚です。
機会があれば、「荒川正明」先生にでも教授してもらうことが出来ればよいのですが、的外れかも。荒川正明先生は、日本美術史家(陶器専門)で、「出光美術館学芸員勤務し、「古唐津」、「古九谷」の焼き物から乾山などの工芸家研究でも知られています。「古伊万里」の大橋康二氏と並んで、現在の陶器研究の気鋭学者でしょう。
 
2017917日 1200  Tak