孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

奈良西大寺展 ご一緒観覧 ご希望者は 居ませんか?


「仏像愛好の集」のメンバーには既にご観覧済や、ご計画のある方が多いと存じますが、まだ日程を決めてなくて、メンバーと同行を望まれます方は、此処のコメント欄に 「ご一緒しませんかのコメントを付けてください。」 直接にコメントが付けられない環境の方は、孤思庵宛てに連絡ください、代行コメント させて頂きます! 打合せて、ご一緒の観覧をなさいませんか?!」孤思庵


http://saidaiji.exhn.jp/img/common/img_foot_01.png

総本山西大寺
寺宝を一堂に

創建1250年を記念し、西大寺蔵の彫刻や絵画、工芸、古文書など国宝、重要文化財を含む名宝の数々を公開します。新たに国宝に指定された「興正(こうしょう)菩薩坐像」と重要文化財愛染明王坐像」が3会場を巡回するほか、重要文化財文殊菩薩四侍者像」が東京展・山口展を巡回します。

真言律宗一門の
諸仏と宝物

地域性も豊かな展示構成


    奈良、平安期の至宝
    「塔本四仏坐像」と「十二天像」
西大寺の創建は天平神護元年(765)。光明皇太后の信任を得て淳仁天皇を擁立し権力を握った藤原仲麻呂孝謙上皇との抗争(恵美押勝の乱)鎮定を祈願して、称徳天皇孝謙上皇重祚)が造営を始めました。
乱の鎮定後、今度は、僧道鏡天皇の寵愛を受けて権力を握り、皇位を狙いますが失脚。政情は大いに動揺し、やがて都は長岡京を経て平安京に移っていきます。
西大寺は、鎮護国家仏教として栄えた南都六宗の都、平城京最後のきらめきとして残されることになりました。以下 アンダーラインの在るところを左クリックすると、画像が見っれます!
重文
「塔本(とうほん)四仏坐像」のうち
「釈迦如来坐像」「阿弥陀如来坐像」(奈良・西大寺
西大寺には創建後間もなく東塔・西塔の2基の塔が建てられました。この4軀の如来坐像は、そのいずれかの塔の初層(1階)に安置されたと伝えられています。奈良時代後期を中心に流行する木心乾漆の技法により制作されています。西大寺創建に近い時期までさかのぼり、4軀まとまって伝わる貴重な仏像です。各像の名称は後世のものと考えられます。
国宝
十二天像」のうち「閻魔天像」「火天像」「帝釈天像」「水天像」
(奈良・西大寺
十二天像は密教の修法道場を守護する護法神です。1幅に1尊ずつ脇侍とともに画面いっぱいに描かれています。この画像の当初の伝来は不明ですが、おおらかな趣をたたえ、制作は9世紀までさかのぼると考えられます。十二天画像としては、現存最古の作例であり、12幅完存していることも非常に貴重です。
※会期中、5月14日(日)までは「帝釈天像」「火天像」を展示し、後期5月16日(火)からは「閻魔天像」「水天像」に展示替えをいたします。

第2章叡尊をめぐる信仰の美術

国宝新指定の「興正菩薩坐像」と
秘仏愛染明王坐像」が揃って出陳

都が平安京に移された後、奈良の寺社は苦難の時代を迎え、創建直後にバックボーンを失った西大寺の状況は深刻でしたが、鎌倉時代に中興の祖、叡尊が登場します。
若くして真言密教を学んだ叡尊西大寺に入り、寺を伝統的な律宗の教えと密教を組み合わせた「密・律兼修の道場」としました。
僧侶や市民の集う「光明真言会」を創始、救済事業を進めるなど精力的に活動し、その教えは大いに広まりました。
叡尊はそのかたわら、愛染明王坐像や本尊釈迦如来立像、大黒天像などの造立を発願し、「大茶盛」を始めるなど、西大寺独特の文化をつくり上げました。
http://saidaiji.exhn.jp/img/highlight/img_highlight_11.jpg
重文
愛染明王坐像」(奈良・西大寺
愛染堂の秘仏本尊であり、現在も美しい彩色を留めています。宝治元年(1247)叡尊と弟子たちは、西大寺三宝(仏・法・僧)が永く伝えられることを求めて発願・結縁し、仏師善円(善慶と同一人物)が造立しました。この年は叡尊が僧堂を造営した年に当たり、当初は叡尊三宝久住の強い願いをこめて僧堂に安置したと考えられています。
愛染明王坐像」は前期[4月15日(土)〜5月14日(日)]の展示となります。
http://saidaiji.exhn.jp/img/highlight/img_highlight_12.jpg
重文
文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺
この形式の五尊像は、中国五台山の文殊信仰に基づくもので、渡海文殊として鎌倉時代に多く制作されました。叡尊文殊信仰に基づき多くの民衆救済の事業を行っており、文殊菩薩像も造像しています。この像は叡尊の没後弟子たちが発願して造像されたもので、叡尊の十三回忌に完成し、文殊堂の本尊とされました。現在は本堂西脇間に安置されています。
※東京展は「文殊菩薩坐像」「善財童子立像」「最勝老人立像」を展示します。
http://saidaiji.exhn.jp/img/highlight/img_highlight_13.jpg
重文「聖徳太子立像(孝養像)」 (奈良・元興寺
聖徳太子が16歳のとき父・用明天皇の病気平癒を祈る姿を表しています。叡尊聖徳太子を救世観音あるいは如意輪観音の化身として篤く信仰していました。この像は文永5年(1268)5千名近い人々が結縁して、仏師善春らにより造立されました。結縁者の中には叡尊の弟子も多く、叡尊による太子信仰の広まりを物語っています。

第3章真言律宗の発展と一門の名宝

浄瑠璃寺秘仏
「吉祥天立像」を特別公開

叡尊の教えは全国各地の多くの寺院にも広がっていきました。東国では、叡尊のもとで学んだ忍性が鎌倉を拠点として貧民救済など社会福祉事業や道路・橋梁(きょうりょう)の建設などに尽力し、鎌倉幕府の要人から庶民まで広く信仰を集めました。
畿内や西国でも叡尊に連なる律僧たちが寺院の復興や社会事業に従事し、江戸時代には奈良・生駒に宝山寺を興した湛海らが活躍。
明治期に入ると廃仏毀釈や宗教統制の荒波にさらされますが、教義を貫き法灯を守りました。
現在、真言律宗には元興寺浄瑠璃寺岩船寺、不退寺、海龍王寺、般若寺、白毫寺、宝山寺など、関西を中心に多くの名刹が名を連ねます。
http://saidaiji.exhn.jp/img/highlight/img_highlight_14.jpg
重文「吉祥天立像」(京都・浄瑠璃寺
吉祥天は奈良時代以来、「吉祥悔過(けか)」という法要の本尊として祀られてきました。普段は本堂厨子のなかに秘仏として安置され、美しい彩色を今に伝えています。ふくよかな容姿、繧繝彩色の文様を施された衣、風をはらんだ袖など薬師寺所蔵の吉祥天画像(8世紀)に通じる天平美人を彷彿とさせます。建暦2年(1212)の造立。
「吉祥天立像」は6月6日(火)〜6月11日(日)の展示となります。
http://saidaiji.exhn.jp/img/highlight/img_highlight_15.jpg
重文
「太山王坐像」(奈良・白毫寺)
http://saidaiji.exhn.jp/img/highlight/img_highlight_18.jpg
「忍性菩薩坐像」 (神奈川・極楽寺
叡尊の弟子、忍性は民衆救済に尽力するとともに、鎌倉の極楽寺に住し、戒律復興の教えを東国に広め、根付かせました。

     



画像提供:奈良国立博物館
重要文化財「塔本四仏坐像」(部分、奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
国宝「十二天像」のうち「閻魔天像」「火天像」「帝釈天像」「水天像」(奈良・西大寺)……撮影:佐々木香輔
国宝「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財愛染明王坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財聖徳太子立像(孝養像)」 (奈良・元興寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「吉祥天立像」(京都・浄瑠璃寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「太山王坐像」(奈良・白毫寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財不空羂索観音坐像」(奈良・不空院)……撮影:森村 欣司
重要文化財普賢菩薩騎象像」(京都・岩船寺)……撮影:森村 欣司
「忍性菩薩坐像」 (神奈川・極楽寺)……撮影:佐々木香輔
画像提供:飛鳥園
重要文化財文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)……撮影:飛鳥園




  • http://saidaiji.exhn.jp/img/common/bnr_vca.jpg← この分の招待券お譲りできます。友人より、「技を極める」. 京都国立近代美術館の招待券を2枚、入手できそうです! ご希望が在りましたなら、此処のコメント欄 や 孤思庵宛てに 希望の旨 ご連絡ください!

    • .