③京都 特別公開を中心に仏像拝観【仁和寺・六波羅蜜寺寺】
文化財保護という面では致し方ないのですが・・・みな収蔵庫の仏像には「重要文化財デス」との張り紙をしたくなる。今や仏像の多くが収納子に納められている。
今回も複数文化財を有する仁和寺、六波羅蜜寺など収蔵館は、もう美術館・博物館と変わらないです。東京国立博物館でも仏像の陳列室には丸柱的な据物を配置していますし、ボストン美術館の仏像はもっとで、寺院の須弥檀的な陳列台に乗っています。(安心下さい本に掲載の写真で見ただけです)かように美術館でさえも。本来は寺院中で拝観がベターとの意識がある。そんな中で。今お寺が美術館化しています。
本堂の奥の隣地に収蔵庫を配置し法要は本尊に向かっていると理由付けたり、そのような事が土地の都合で出来ないお寺は、善時のように善願寺の様に、本堂と収蔵庫を共に大きな素通しガラス窓を取り付け、横向なのではあるが、ガラス越しに本堂で、収蔵庫の本尊を観ながら法要が出来るように工夫している。良しとすべき苦肉の策なのでしょう・・・。
そんな中で続きの日記に後述の法界寺を久々に訪れた時には、国宝の美しい阿弥陀堂に、国宝の阿弥陀様が鎮座に同行の仏友の誰もが、落ち着いた心地よさを感じた筈です。
平等院、法隆寺、唐招提寺、東寺、新薬師寺 など多く納まるる所に納まっている仏像も少なくないが・・・この違いは、入れ物のお堂の格などの事情の違いなのでしょうが、考えさせられます。 補助金を貰って収納庫を造り、そこに納めるか、お堂にそのまま置かれるかは、最終はお寺の判断なのだが・・・誰も一概にどちらが良いとは言えないのでしょう。
懇意地感度の良いセンサーと性能の良いスプリンクラーが在れば収蔵庫でなくても行けるよう無きがします。確かに費用は嵩むし、安全面に懸念が残るかもですが・・・
この事は この連続の日記の最終にでも、総括的に書いた方が相応しいのでしょうが、色々年末等で多忙になってきまして、何時まで連載が続けられるか不安になってきましたので、此処で述べました。
【仁和寺 阿弥陀三尊・薬師如来・悉達多・愛染明王】
仏像ファンの古寺巡礼、国宝の薬師如来坐像は秘仏で拝観出来ないので、霊宝館(完全に博物館そのものです)にしか寄りません。
そこでは何といっても阿弥陀三尊で、もう何度も東京で観た像ですが、888年の製作も明確で、仏像の和様化の出発点的な時期の基準作としても、定印の阿弥陀像としても最古(阿弥陀信仰の変遷の良き史料)でも重要です。
作柄は国宝指定に羞じない、顔だけで無しに全体も温和な雰囲気の美仏です。
今回も複数文化財を有する仁和寺、六波羅蜜寺など収蔵館は、もう美術館・博物館と変わらないです。東京国立博物館でも仏像の陳列室には丸柱的な据物を配置していますし、ボストン美術館の仏像はもっとで、寺院の須弥檀的な陳列台に乗っています。(安心下さい本に掲載の写真で見ただけです)かように美術館でさえも。本来は寺院中で拝観がベターとの意識がある。そんな中で。今お寺が美術館化しています。
本堂の奥の隣地に収蔵庫を配置し法要は本尊に向かっていると理由付けたり、そのような事が土地の都合で出来ないお寺は、善時のように善願寺の様に、本堂と収蔵庫を共に大きな素通しガラス窓を取り付け、横向なのではあるが、ガラス越しに本堂で、収蔵庫の本尊を観ながら法要が出来るように工夫している。良しとすべき苦肉の策なのでしょう・・・。
そんな中で続きの日記に後述の法界寺を久々に訪れた時には、国宝の美しい阿弥陀堂に、国宝の阿弥陀様が鎮座に同行の仏友の誰もが、落ち着いた心地よさを感じた筈です。
平等院、法隆寺、唐招提寺、東寺、新薬師寺 など多く納まるる所に納まっている仏像も少なくないが・・・この違いは、入れ物のお堂の格などの事情の違いなのでしょうが、考えさせられます。 補助金を貰って収納庫を造り、そこに納めるか、お堂にそのまま置かれるかは、最終はお寺の判断なのだが・・・誰も一概にどちらが良いとは言えないのでしょう。
懇意地感度の良いセンサーと性能の良いスプリンクラーが在れば収蔵庫でなくても行けるよう無きがします。確かに費用は嵩むし、安全面に懸念が残るかもですが・・・
この事は この連続の日記の最終にでも、総括的に書いた方が相応しいのでしょうが、色々年末等で多忙になってきまして、何時まで連載が続けられるか不安になってきましたので、此処で述べました。
【仁和寺 阿弥陀三尊・薬師如来・悉達多・愛染明王】
仏像ファンの古寺巡礼、国宝の薬師如来坐像は秘仏で拝観出来ないので、霊宝館(完全に博物館そのものです)にしか寄りません。
そこでは何といっても阿弥陀三尊で、もう何度も東京で観た像ですが、888年の製作も明確で、仏像の和様化の出発点的な時期の基準作としても、定印の阿弥陀像としても最古(阿弥陀信仰の変遷の良き史料)でも重要です。
作柄は国宝指定に羞じない、顔だけで無しに全体も温和な雰囲気の美仏です。
次の観るものは、愛染明王なのですが、それを写生したと伺える図のある図像文献『阿婆縛抄』は展示されていましたが、肝心の陳列の愛染明王のキャプションの時代欄には室町時代とありました??名高い藤原時代の像ではなかったでしょうか??もう一つ模索の像が作られいて、現存し今日は此処に展示されていたという事なのでしょうか? もっと疑問に感じ、仲間や館の方に聞けばよかったと反省してます。
悉達太子(出家する前の釈尊の名)座像 重要文化財 鎌倉時代は美豆良を結うその姿から聖徳太子像と近年の像内に納入されていた文書が発見されるまで、聖徳太子像と伝えられてきました。製作当時から二人を重ねる意識は判るように気がします。鎌倉時代と判りやすい像。独特な服装、その襞に宋風の影響が既に観られます。
【六波羅蜜寺 十一面観音立像・地蔵菩薩・空也上人 他】
此方は辰年に限りの本尊十一面観音立像ご開帳、そしてNHK大河ドラマ「清盛」の影響か、込み合っていました。
此処暫くのごふさたで、又 本尊十一面観音立像は初めての拝観でした。これで国宝十一面観音の拝観が達成出来ました。
像高258ミリと大柄ですが、遠くからの拝観で、その大きさのインパクトは感じられず、平安の十一面像然としていて、印象に強くは残らないかと思います。
重蔵庫に地蔵像は2躯 立像の定朝作ともと言われる髪掛地蔵、平安のそれよりも、私には鎌倉時代は運慶作の地蔵菩薩坐像の方が関心です。先日に運慶の父の康慶作の瑞林寺の地蔵菩薩が鎌倉国宝館に出展されいて、久々に鑑賞してきました。
その瑞林寺像は、鎌倉写実彫刻の魅力を私に始めて感じさせた像でして、又此処の運慶の地蔵菩薩坐像と良く似ると言われるので、期待してましたが・・・、姿勢は似るものの衣皺などはかなりの相違で、私には康慶作の瑞林寺像の方が気に入ってます。
慶派の関東武士団との関係の最初のモニュメント的な史実がそう思わせるのでしょうか?
此処には空也上人立像、清盛像(最近清盛ではないとの見解もです)、運慶像と長男 湛慶像も・・・ここ六波羅蜜寺の塔頭だった十輪院という寺は慶派仏師達の菩提寺でした。運慶が直接関わった十輪院か、この塔頭の十輪院かは疑問の余地も在るのですが、寺名に所縁は在るかと言えましょう。
空也上人像 清盛像
運慶像 湛慶像