孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

②京都 秘仏秋の特別公開を中心に仏像拝観【弘源寺・遍照寺】

ご開帳は本来は宗教的意味合いででして、仏像ファンも、何年振りのご開帳と良く色めき立つがうが、その仏像に私達仏像愛好者に観るべき価値が在るかを斟酌したい。それ無しに、「只この機会を逃すと、もう見られない大変」との理由でのみで訪ねまわるを如何かと思ってる、斯様にご開帳拝観に批判的な私ですが・・・今回の秘仏ご開帳の仏像拝観はとても良かったと思ってまです。


仏像めぐりも、当初は入門、初級のメンバーも居たので奈良の著明仏像からが多かったが。いよいよそれから脱却の傾向もありで、久々の京都でした。

京都も著明仏像はだいぶ廻ってきていて少し観光寺院から離れてきた感があります。中で六波羅蜜寺辰年毎の12年ぶりの本尊十二面観音立像ご開帳の為、今回は入りました。NHK大河ドラマ平清盛の影響も有りで人が多かったが、それ以外の廻った処は紅葉の時期の連休でしたのにさほどの込みようは無かったです。

今回も自発では無しに、仏友の企画に参加させてもらいまして、企画に関してはおんぶにだっこ肩車と全面依存でした。

確かに最初の頃はご開帳を何十年ぶりなどの理由で訪ね周り、見てがっかりも幾つもありました。

しかし企画担当の仏友も多く仏像を訪ねる拝観を重ね、仏像の値踏み、それに資料からの値踏み(推察)の力も付いて来ているようです。

今回は良い仏像を選んで、寺側への連絡、良い旅程スケジュールまで、ロスも無理も無く感謝します。 
 

天竜寺 塔頭弘源寺 毘沙門天立像】 重文指定は平成16年と近い、それゆえか私も正直知らない像でした。三国伝来・毘首羯磨(帝釈天(たいしゃくてん)の侍臣で、細工物や建築をつかさどる神。)作の伝を持つ、比叡山無動寺の旧蔵と伝える。重厚感あるつくりは平安時代前期の製作を推定させ、無動寺の創建された頃から大きく下らない制作とみてて良かろうとの事。左手に捧げ持つ塔に重心を預けるように上半身を曲げ、反対の右手は高く翻させる挙げる撓る強靭さを感じさせる姿勢のは表現で見事ある。この時代に比類ないき躍動感の優れた像と感じました。兜の脇から炎髪(えんぱつ)が出ている。この表現の天部形像としては、ごく初期に位置するらしい。顔もへの字に曲げた口、持つ塔を見つめる目線、もう忘れる事なない像となりました。
 
 
 
 


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十一面観音像                不動明王                同聚院 不動明王(康尚作)
 
【遍照寺 十一面観音立像・不動明王坐像】遍照寺は十世紀末(989年)寛平法皇宇多天皇)の孫、寛朝僧正が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものです。真言宗の法流の一つ広沢流とは広沢池の遍照寺からとった名称で真言宗の歴史の中でも意味あるお寺です。

十一面観音像と不動明王像だけが奇跡的に残る創建当時の像観られてます。

十一面観音立像は像高120センチヒノキの一木造で、内ぐり無し、下肢の衣は深く刻まれ、翻波式です。

顔は丸く鼻筋は通る。くちびるが狭く落ち着いた優しいお顔です。

体つきは腰はあまりひねてはいない。衣の線は浅く、腿に襞は現していない。そこへ天衣が2段に横切るが、その襞は平行で単調です。

全体的に穏やかで万人受けのする像と思います。


不動明王坐像も同一作者の像の様で、先の十一面観音像と共に定朝の手前の頃(10世紀)の像とみられ、そこから定朝の父の康尚が作者では?とも言われてます。康尚作で有名の同聚院の不動と比べて見ます。共に大師様ですが、遍照寺像の方が同聚院像に比して弱く感じます。