孤思庵の仏像ブログ

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9/2の美術史分科会に出席された方へ  Mさんより の投稿

仏像愛好の集のMさんより、ブログに掲載依頼の 東博運慶展と美術史分科会に関連した文章を送がとどきりましたので、掲載します。
 
 

「9/2の美術史分科会に出席された方へ」
 
 
先日の分科会に出席された方へ、配布資料の一部訂正と運慶関係の資料紹介です。
1)配布資料の訂正
 細かい話ですが、資料2ページの右側上の方の「建保七年1219」の下から2行目に「また、この後に実朝未亡人に従って京都(坊門家の西八条邸か)へ移ったと思われる。」と書きましたが、史料をよく確認しないで書いたため間違っていました。実朝未亡人と(多分)大弐局が移った西八条邸は実朝未亡人の実家ではなく、源実朝が所有していた京都の邸宅です。実朝は和歌や蹴鞠など京都文化に強い憧れを持っていたので、建保七年に28歳で暗殺されるまでの間何回か京都へ行っていると思いますが、ここを京都での宿舎として使っていたと考えています。場所は今の京都駅南口の西側(東寺の方向)あたり。今の大通寺がその邸宅の後身ですが、大通寺の現在地は南区西九条、実朝邸は南区八条町付近と言われているので、場所は少し移動しています。大通寺には実朝の肖像彫刻(江戸時代)も伝わっています。
 
大弐局(1170年頃の生まれと私は推定)は宝治二年1148高野山金剛三昧院多宝塔発願(実朝没後30年)の後、しばらくして亡くなったと思われます。一方実朝未亡人(西八条禅尼、本覚尼 11931274)は京都へ移ってから55年もの長い間、この西八条邸で実朝の菩提を弔って生きることになります。(亡くなる2年前の文永九年1172にはこの邸宅を寺にして、それが遍照心院、大通寺となっていきます。)
 
称名寺光明院に伝わる運慶作の大威徳明王を含む大日如来愛染明王の三尊は、実朝未亡人と大弐局が鎌倉から携えてきてこの西八条邸に安置し、長い間二人で実朝の菩提を祈り続けてきたのではないかと思います。なお、この三尊は運慶が京都の仏所で作り、鎌倉へ送ったと思われますが、その後京都へ戻り、更に再び鎌倉に隣接する称名寺へ戻ってきたものです。いつの時点で大威徳明王だけになってしまったのかは分かりませんが、この3体も数奇な運命をたどってきたのだと思います。運慶の大日如来は若い頃の円成寺像、建久年間頃の真如苑と光得寺像の3体が現存し、ここに更に晩年の作である愛染明王大威徳明王との三尊の大日如来が発見されれば理想的なので、称名寺か京都周辺で発見されることを願っているところです。
 
なお、光明院の大威徳明王称名寺塔頭で発見されたことについて、朝日新聞社発行「週刊仏教新発見」23号「西大寺」(2007)所収の「称名寺」の中で、金沢文庫学芸課長の西岡芳文氏は、「大弐局の庇護者である安達氏*、安達氏ゆかりの律宗寺院を通じて称名寺にもたらされた可能性」を述べています。また、これを受けて日本彫刻史基礎資料集成鎌倉時代造像銘記編8の補遺で、瀬谷貴之氏は光明院大威徳明王の解説(備考)の中で上記西岡氏の文章をほぼそのまま引用しています。
 
*大弐局の兄弟である小笠原長清の関係で小笠原家と安達家の強固な姻戚関係から金剛三昧院多宝塔が建てられたことについては、分科会配布資料の2ページで説明しています。
 
上記西岡氏の文中には「安達氏ゆかりの律宗寺院」というのが具体的にどこであるかの記載はありませんが、私は安達氏を介在させなくても、京都の大通寺が江戸時代には真言宗律宗三論宗兼学の寺院だったということから、大通寺から直接称名寺にもたらされた可能性もあるのではないかと思っています。(実朝未亡人と大弐局が鎌倉から持ってきて西八条邸に安置したと考えているため)
このことに関しては、もう少し実朝未亡人のことを調べてから結論を出したいと思います。ちょうど良い本が2冊見つかったのですが、地元の図書館にはなくて、他の区から取り寄せてもらっているところです。何か分かりましたら、12月に予定している次回の美術史分科会で報告します。来年に予定されている金沢文庫の運慶展に光明院大威徳明王も出ますので、いいタイミングだと思います。
 
2)運慶資料のこと
先日の分科会で手持ち資料のいくつかを持参し、必要な方にはコピーを取ってもらいましたが、その後運慶展の準備として更に手持ち資料を確認していたら、役に立ちそうな資料が2つほどありました。
 
一つ目は鹿島美術研究財団の講演会報告書で、「運慶・快慶と工房製作」(水野敬三郎 平成4年)というものです。講演会発表内容の収録であり、書籍と違って書きにくいようなこともはっきり述べています。例えば願成就院と浄楽寺の諸仏の出来の比較のようなこともズバリ話されています。
二つ目は講座日本美術史第1巻「物から言葉へ」(東京大学出版会 2005)の中の山本勉著「仏像の内部を見る運慶作品を中心に」です。上げ底式内刳りや心月輪、五輪塔などについて円成寺像から六波羅蜜寺地蔵を経て北円堂弥勒仏まで論述しています。
 
この二つは内容も平易であり、会の皆様にもお勧めです。私も本ではなくコピーを持っているだけなので、ここからコピーを取るのは取りやすいと思います。水野氏の方はA523枚、山本氏の方はA519枚です。9/10(日)の青山と池袋の山本勉運慶大全発刊記念講演会の席に持っていきますので、興味のある方はコピーを取ってください。
以上 by M