孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Kanさんの 「1.28~29 奈良・京都観仏記」

「仏像愛好の集」のメンバーのうちの3人が、先月下旬に 京都・奈良の観仏ツアーをされ、当集の勉強会で法被用して頂きたかったのですが、時間割の都合などで 思うに任せずに成って居りました。 そんな中、Kanさんの方で Eメールにて、寄稿文を送ってくれました。 ブログで発表させてもらいます。」孤思庵



2017.1.2829 奈良・京都観仏記


京都国立博物館の「特集陳列 皇室の御寺泉涌寺」で1/11~2/5まで来迎院・三宝荒神坐像が展示されるというのでMUさんを誘い行ってみる事にした。来迎院には以前拝観させて頂きたいと電話したところ断られた経験があるので、この機会に是非拝観したいと思った。


冬は早朝家を出るのは暗いし寒いので、遅めの東京駅8時発の新幹線を予約した。また前回コインロッカーに荷物を預けられなくて苦労した経験があるので、八条口近くの新・都ホテルに宿泊し荷物を預ける事にした。


 


1/28(土)


石光寺(せっこうじ) 祈りの回廊・奈良大和路の「秘宝・秘仏特別開帳」で調べると、この日秘仏が拝観出来るお寺は葛城市の石光寺しかない。先日BUNさんが折角伺ったのに拝観出来なかったと言っていた日本最古の石仏が毎年1月中公開されている。


石仏は平成34月から5月にかけて約1ヶ月間発掘調査し発見されたとの事。頭部、胴体、台座とも破損しているが、半丈六位の大きな石仏だったと思われる。弥勒堂には他に本尊・弥勒如来坐像が厨子の中に安置されているが、霊験が強すぎるために秘仏とされていたという恐ろし気な謂れがある。懐中電灯で見ようとしても明かりがボヤっとしか点かない!これは仏像の霊験が強すぎるためではなく、電池が粉を吹いていたためだった。


石光寺は11月末から1月初めまで寒牡丹が咲く寺院として有名だが、1月末では遅いだろうと期待はしていなかった。が、藁帽子のような囲いの中にいくつも咲き残っていて得した気分になった。


 


奈良国立博物館 東大寺三昧堂の新本尊・十一面観音立像をまだ拝観していなかったので伺おうと、近鉄奈良駅からバスに乗ったが、渋滞で全然進まない。バス車内の広告で若草山山焼きの日だと気付く。途中で降り歩いたが、東大寺参道は人・人・人で埋め尽くされている。三昧堂に行くのは諦めて次の機会に回すことにする。


 奈良博・なら仏像館では、三度盗難に遭い、右手首先だけが見つかったという新薬師寺・香薬師像の手先が展示されていた。金で造られていると勘違いした犯人が、確認のため、右手首だけを切り落としたものがまわりまわって発見されたらしい。


 発見経緯は、ノンフィクション作家貴田正子の「香薬師像の右手―失われたみほとけの行方」に書かれているらしいので図書館に予約した。また、内田康夫推理小説平城山を越えた女」にも香薬師像が登場するというので借りて来た。この本は以前読んだが内容は全く覚えていない。


 その他の展示品は前回とあまり変わっていなかったが、個人蔵の重文「象」の体を廻る帯の截金が残っているというキャプションを読み、かなり本気で探し見付けた時は嬉しかった。


BUNさんから夕方7時過ぎに京都駅伊勢丹地下食品売り場に行くと、高級折詰め弁当が安く買えるとに聞いていたので、京都駅から直行して購入。新・都ホテルにはイオンモールが隣接していて、明日の朝食の買い物も出来すごく便利だし、諸々親切なホテルだった。


 


1/29(日)


京都国立博物館 念願の重文三荒神坐像(鎌倉)は「皇室の御寺泉涌寺」展の開催されている部屋の入口そばに展示されていた。四臂の目力のあるきりっとしたお顔で恰幅のいいお姿。キャプションには、奈良・子島寺・真興が感得した「子島荒神」に一致とあったが、子島荒神については「そのすがたは宝冠をいただき・・・」と書いてあるHPもあったのでどうなのだろう。この像は頭上に興福寺東金堂文殊菩薩のような方形の飾りを付けている。また、作風的には慶派仏師の作とあった。


荒神は普通、竈の神様として祀られるが、ここは古くは皇后宮の安産祈願所であり、現在も安産の守護神としてあがめられているとの事。


1/11~2/5までは楊貴妃観音も展示されていたが、見る角度のせいか非常に怖い恐ろしいようなお顔だった。MUさんは見ない方が良かったと言っていた。


他には以前、悲田院で拝観させて頂いて感激した快慶作の宝冠阿弥陀坐像が展示されていた。もっと大きい像だったとの印象だったが、改めて写真を見るとお寺では台座、光背が付いているので大きく感じられるのかと思った。


 


妙法院 市バス一日乗車券500円也を購入し、「京の冬の旅」非公開文化財特別公開寺院のうち、仏像を公開している寺院を中心に周る事にした。


妙法院は代々皇室から住職を迎えた由緒ある寺。内仏殿(護摩堂)に安置されている重文不動明王立像(平安前期)を拝観する。精悍な姿だった。


こちらの本堂では毎月14日に開扉法要があり、以前重文の普賢菩薩騎象像を拝観させて頂いたことがある。


 


西福寺 平安時代の檀林皇后(嵯峨天皇の皇后橘嘉智子)を描いたと言われる「九想図絵」が公開されていた。MUさんはこの手の絵は苦手と言い、近くの六波羅蜜寺で待つことになった。


 九想図絵は、才色兼備で知られた檀林皇后の生前から朽ち果てるまでを、九つの場面に分けて描いたもので、文字の読めない人達に、人の世の儚さや無常を伝えるものとの説明があった。


 六波羅蜜寺では以前買った「六瓢」の携帯ストラップ守りの紐が切れたので、ちょうど良かったと購入した。また京名物「幽霊子育て飴」を売る店の前を通ったので購入。小4の孫KAI君は飴を舐めながら、幽霊子育ての話は前に本で読んで知っていると言っていた。


 

聖護院
 初公開の弁才天像は明治期まで春秋に着替えがされ、お体が着物で保護されていたため、彩色が今塗られたばかりのように鮮やかに残っていた
西福寺 平安時代の檀林皇后(嵯峨天皇の皇后橘嘉智子)を描いたと言われる「九想図絵」が公開されていた。MUさんはこの手の絵は苦手と言い、近くの六波羅蜜寺で待つことになった。


 九想図絵は、才色兼備で知られた檀林皇后の生前から朽ち果てるまでを、九つの場面に分けて描いたもので、文字の読めない人達に、人の世の儚さや無常を伝えるものとの説明があった。


 六波羅蜜寺では以前買った「六瓢」の携帯ストラップ守りの紐が切れたので、ちょうど良かったと購入した。また京名物「幽霊子育て飴」を売る店の前を通ったので購入。小4の孫KAI君は飴を舐めながら、幽霊子育ての話は前に本で読んで知っていると言っていた。


 


聖護院 初公開の弁才天像は明治期まで春秋に着替えがされ、お体が着物で保護されていたため、彩色が今塗られたばかりのように鮮やかに残っていた。


本尊の不動明王像も拝観出来たが、2015龍谷ミュージアムの「聖護院門跡の名宝」で公開されていた不動明王像と同じかは記憶が定かではなかった。受付では未だにこの名宝展の図録が販売されていた。


 


壬生寺 昭和38年(1962年)の火災で重文地蔵菩薩半跏像(鎌倉)、四天王立像、金鼓を焼失したという。現在の本尊重文地蔵菩薩立像(藤原)は唐招提寺から移されたとの事。見事な截金文様が残っている。唐招提寺の鑑真和上「お身代わり」像も初公開されていた。


 また、壬生狂言を伝える寺なので、狂言堂も公開されていた。狭い階段を上がった二階が舞台で壬生狂言についての解説があった。狂言師はどのような人なのか伺うと、保存会の方々だとの事だった。伊藤若冲が奉納した面も展示されていた。


 


 バス停壬生寺道から京都駅に戻るのに、たまたま来た京都駅八条口行に乗車した。線路を潜ってもなかなか終点京都駅とアナウンスしないバスに不安を感じたらしい一人旅の乗客が、運転手さんに京都駅に行きたいと訴えていた。京都駅八条口アバンティ前バス停で降りようとして、まだだと言われていた。何とMUさんも降りようとするのでまだだと止める。次のバス停がようやく京都駅八条口だったが、まだ終点ではなかったのでどこまで行くのかなと思った。


 ホテルで朝預けた荷物を受け取り18時過ぎの新幹線で帰京した。