孤思庵の仏像ブログ

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メンバーKaさんの投稿   2015.7.23~24 京都・奈良観仏記

仏像愛好の集メンバーの Kaさんより 仏像拝観記が投稿されました。公開します。 


先日の観仏記、出来上がりました。ちょっと長くなってしまいましたがお暇な折にでもご覧ください。」Ka


2015.7.2324 京都・奈良観仏記
7/23(木)
 地福寺 一週間前の天気予報では7/23は晴れのはずが、出発3日前位から予報が変わり、当日は朝から本格的な雨。京都駅でバスを待つ間も滝のような雨。観仏の旅での私の辞書には「雨」と言う字はなかったのにと信じられない。しかし京阪京都バスが30分後に降車停留所の「中山」に着く頃には雨足も少しだけ弱まって来た。
 地福寺の本尊市文阿弥陀如来坐像(平安前期)は通肩でかなり変わった風貌の仏様だ。元奈良大学教授の井上正氏が行基作に間違いないと鑑定されたそうだが寺の古文書には記されていないとの事。
 奥様が調査した時のアルバムを見せて下さったが後頭部と背面の内刳りに板が嵌めてある。後頭部の螺髪は鉢巻状に下の方にあるだけで後の部分は彫られていない。また右腕後ろだけ鉈彫のようになっている。背面は襟の部分と衣端を後ろに廻した部分だけが彫られている。
 また、もともと像自体がかなり後ろに反っているのを、お祖父様が住職の時代にお尻の下に板を噛ませて姿勢を変えられたとの事だった。
 以前拝観に来たオーストラリア人が2番目に好きな仏像と言ったとの事でご住職は嬉しそうだった。お寺にあった仏像の本を見せたところ全部見たと言ったそうだが、その中に国宝は入っていなかったし大阪孝恩寺の仏像のような、かなり異国風なお顔立の仏像も入った本だったので、外人は見方が違うと感じた。
 お茶とお菓子を頂いて外に出たら雨は殆ど上がっていた。この日は日傘いらずの一日で夏にしては涼しくて助かった。
 
西光院 近鉄奈良駅側のホテルに荷物を預け、駅から20分位商店街の中を歩く。途中「もちいどのセンター街」という商店街を通ったが、MUさんと二人「も一度の」だとばかり勘違いしていた。「餅飯殿」の幟を見て初めて「もちいどの」と気付き大笑い。
本尊の市文弘法大師像(鎌倉)はこのあと伺う予定の伝香寺地蔵菩薩像と同じ裸形着装像。通常秘仏で、拝観出来るのは420日から月末までと書いてあるものもあるが、お厨子や幕があるわけではなく普通に拝観させて頂けた。
その右側に地蔵菩薩像が2躯安置されている。市文地蔵菩薩半跏像(室町)は天文17年(1548年)仏師東大寺仏性院実清、宿院仏師源次、源三郎、源四郎の名が像内に墨書で残されているとの事。檜寄木造りで表面素木。目が吊り上っていて唇の赤が残っている。
もう1躯の地蔵菩薩立像(室町)はお厨子の中にいらっしゃるので暗くてよく見えないが、頭部内墨書から天文13年(1544年)宿院仏師源次たちによって造られたとわかる。宿院仏師の名が使われ始めた頃のものとの説明書きがあった。やはり目が吊り上り唇の赤が残る。
7時から地蔵盆との事で、子供たちに配るお菓子の袋詰めがたくさん置いてあった。
近くの紀寺町の璉城寺(れんじょうじ)の阿弥陀如来立像も上半身裸の裸形着装像で袴を付けられている。毎年5月がご開帳だが平城遷都1300年記念行事で2010年は10月にもご開帳した。2011年にも観光協会HPがそのままになっていたので電話で問い合わせたところ、こちらのミスだからとご住職のご好意で10月なのに拝観させて頂く事が出来た。阿弥陀様も珍しいお姿で美しいが、脇侍の重文観音菩薩立像(平安初)は溜息が出るほど美しい。帰京後お礼状を差し上げたところ後日、璉城寺友の会からお礼状の文面も掲載された璉城寺通信が送られて来た。
 
奈良町からくりおもちゃ館 伝香寺地蔵会の始まる4時まで時間があったので、途中にある奈良町からくりおもちゃ館で遊ぶ。昔懐かしい手作りおもちゃがたくさんあって楽しめた。外人の親子連れも何組か来ていた。孫へのお土産に「目付絵」700円也を購入。笑った顔の狛犬がある鎮宅霊符(ちんたくれいふ)神社が隣にある。
 
 伝香寺 奈良町からくりおもちゃ館から5分位で着く。723日は地蔵会で、重文地蔵菩薩立像(鎌倉)善円作の年一回の着せ替え法要がある。事前にお寺に電話した時には、「来た順に立って見る。そんなに有名ではないから大勢来ない」とのお話だったが着いてみて驚く。本堂の中に大勢の人が座ったり、立ったりしている。我々も廊下に立たせて頂いたが、MUさんが杖を突いているのに気付いた方が椅子席を譲って下さった。私も御相伴で譲って頂き申し訳なかった。
 読経の中、二人の若いお坊さんの手で着せ替えが始まった。お地蔵様を傷付けないように着替えさせるのは気を遣って大変そうだった。法要が終わると着替えた衣の切れ端の入ったお守りを配って下さる。昨年の衣らしく立派なお守り袋に入っていた。
 1949年の解体修理時に頭部に絹糸製網袋入り碧瑠璃舎利壺(仏舎利薬師如来像を込める)、腹部に宋版細字法華経、願文3通、結縁交名、左大腿部に十一面観音立像が納入されているのが発見された。妙法尼願文に納入の仏舎利(釈迦)、薬師如来、十一面観音、本体の地蔵を春日四所明神の本地として奉籠するとあるそうだ。
 お守りを配って下さったお坊さんに十一面観音の拝観は出来ないのか伺うと「観て頂きたいのですが312日だけです」とおっしゃっていた。
 また、MUさんが腕に掛けた布が何か気に掛かるようなので代わりに伺うと、「他に見ないでしょう。座具(ざぐ)と言いすぐに座れるように持っている。四角い布を蛇腹状に畳んでいる。」との事だった。
 地蔵菩薩立像のご開帳は3/127/23の年2回だが「大和地蔵十徳めぐり」として、いつでも収蔵庫ののぞき窓から拝観出来るのがありがたい。我々も以前拝観させて頂いて美しいお地蔵様だと感激した記憶がある。
 
東大寺南大門 7/189/27まで夜間ライトアップが行われている。金剛力士像前の金網が気にならず拝観出来るので、以前見たがもう一度行くことにする。両像の真ん中がパワースポットだと先客が教えて下さった。真ん中に立つとお顔の大きさがかなり違うのに気付く。向かって右側の吽形の方が一回り近く大きい。




7/24(金)


 知足院 青山住宅行の奈良交通バスに乗り手貝町バス停で降りる。知足院まではMUさんの足でも徒歩15分位だった。裏道のためか通る人もいない静かな道だった。途中、地蔵盆の提灯を下げたお地蔵様が何カ所も祀ってあった。そう言えば昨夜泊まったホテルの前にも地蔵盆の提灯があり、大勢の人が集まっていた。


 知足院の地蔵会の事はtaさんから教えて頂いた。遠いと伺っていたのに意外と近く8時ちょっと過ぎには着いてしまい、法要への参加は30分間位にしようと思っていたのが1時間を超えてしまった。20人もの読経の声がずっと立っている疲れを忘れさせてくれた。


重文地蔵菩薩立像(鎌倉)は「文使いの地蔵」と言われているとか、解脱上人貞慶の念持仏と言われているとか伝わっている。事前にMさんが送って下さった資料には、修理時に胎内から発見された長岳寺と摺られた愛染明王摺仏が貞慶感得の春日地蔵信仰と結びつかないという興味ある内容があった。


法要後拝観したお地蔵様は期待を裏切らない美しいお姿だった。しかしお厨子の中に安置されているためちょっと暗めなのが残念だった。ライトを付けさせて頂いてもいいですかと伺えるような雰囲気ではとてもなかったが何回も廻ってじっくり拝観する事が出来た。


 


正倉院 奈良国立博物館へ向かうため南大門に出る事にしたが、「正倉」外構の公開の看板があったので寄って行く事にした。模型を見た事はあるが本物を見るのは初めてで、この中に千年以上も宝物が納められているのかと感慨深い。今秋も奈良に行く予定なので奈良博の正倉院展に再度行きたいと思った。


 


奈良国立博物館 7/189/23まで開館120年記念特別展「白鳳」―花ひらく仏教美術―が開催されている。150点近い出陳物がありとても2時間半では見切れない。東京国立博物館法隆寺宝物館が休館中のため、法隆寺献納宝物も多数出陳されていた。


野中寺・重文弥勒菩薩半跏像、正暦寺・重文伝薬師如来倚像、桜本坊・重文如来坐像、龍角寺・重文薬師如来坐像鶴林寺・重文観音菩薩立像、鰐淵寺・重文観音菩薩立像、堺市博物館・重文観音菩薩立像、法輪寺・重文伝虚空蔵菩薩立像、当麻寺・重文持国天立像など以前お寺や博物館で拝観しているが、これから先再度訪れるのは難しい仏像が一堂に展示されているのが嬉しかった。


薬師寺・国宝月光菩薩立像はお寺や東博で拝観した時よりずっと大きく感じた。首が落ちたと知ってから初めての拝観だったが、はっきりと亀裂が残っている。国宝聖観音菩薩立像は6月の仙台博物館に続いてお目に掛かる。薬師寺で拝観した事はなく出張が多い仏様だ。また、永青文庫の菩薩立像が出陳されていたが東京にあるのになかなか展示されないので見られて良かった。


 


興福寺北円堂 SBさんに北円堂特別開帳(7/19/30まで 時間13301630)のパンフレットを見せて頂き急遽日程に組み入れる。午後の日差しが照りつける中、奈良博から北円堂までの道が今回の旅で一番暑かった。すぐ隣にあるのに照り付ける太陽の中、やっぱり夏だと改めて感じた。北円堂は三回目の拝観になる。暑いからかこれまでで一番空いていた。


国宝弥勒仏坐像(鎌倉)は康慶の弟子源慶、国宝無著像は運慶の五男運賀、国宝世親像は六男運助が担当し運慶が監督したとの事。昨夜拝観した東大寺南大門金剛力士像もそうだが慶派のすごさが感じられる。


国宝四天王立像(平安・初)はもと大安寺に伝来し、後、興福寺に移され修理されたことが台座裏墨書からわかる木心乾漆像。味のあるお姿だ。


北円堂受付で近鉄奈良駅への道を伺うと右へ出ればすぐとの事。本当にすぐ昨日の商店街へ出られ荷物を預けてあるホテルへ向かう。ホテルに着いてびっくり。何とMUさんは部屋に携帯を置き忘れていた。荷物を預けて置いて良かった。




京都国立博物館 6/309/13まで小金銅仏が展示され、その中に岡寺・重文銅造菩薩半跏像があるので見に行った。MUさんに以前三井記念美術館に来ていたと言われたが覚えていなかった。帰ってから調べると確かに2010.7月~9月「奈良の古寺と仏像」に出品されていた。


また、高山寺・重文木心乾漆薬師如来坐像も展示されていたが、8/2まで東博で脇侍の重文日光菩薩坐像が展示されていただけに、別々にではなく並んで拝観したかった。
 


夏休みの京都は「ここはどこの国?」と思う程、中国人が多かった。外国から沢山観光客が来て下さるのは嬉しいが、日本人ももっと古都を知らなければと考えさせられた。