Taさんの 投稿 東博ギャラリートーク:「国宝になった醍醐寺の虚空蔵菩薩立像」
仏像愛好の集 メンバー Taさんの投稿 です。 (興味深いコメントが付きました、開いてそちらもお読みください。 )
表記の件、東博へ行って来ました。
講師:絵画・彫刻室アソシエイトフェロー・西木政統氏
当日は、1時間程早く現地に到着したので、まずは現場確認をしてと思い、場内をぶらぶら拝観していると、地蔵菩薩像と十一面観音像と阿弥陀如来像が並ぶ中に、11室入口右手脇すぐの位置に、醍醐寺・虚空蔵菩薩立像が置かれており、数人の人が集まっていた。
私は、地蔵菩薩立像(C-332)(法服内衣の地蔵菩薩像)のガラスケースの前で、一人の若い女性に声をかけられた。彼女は、都内の某美術大学の日本美術史・彫刻専攻の学生で、現在、鎌倉時代の仏師を対象として、2万字の論文原稿をまとめる作業中(卒論?)とのこと。運慶・快慶は荷が重すぎるので、「善円」を勉強中とのこと。好きな仏様は、東博の菩薩立像(C-20 )(唇の水晶薄貼り付けの像)だという.。声をかけて来た理由が、先生から、博物館や展覧会に行ったら、オペラグラスを首からかけている、メモを取っている、時間をかけて一人で見て回っている、人に「話しを聞け」と、言われたそう。(先生がそんなことを教えるか?)彼女は、ギャラリートークが始まってから、ガラスケースの最前列に立ち、講師の話しを熱心に聞いていたみたい。
説明開始時には、30人ほどの参加者が、ガラスケースを取り巻く状態で、講師は、ガラスケースから離れた位置で、ハンドマイクを使用して説明を行なった。部屋の中で音声が反響し、あまりよく聞き取れない状況が多かった。私は、ガラスケースから離れて奥にいたせいで、講師から遠く、余計にはっきり聞こえなかった模様。
ギャラリートーク説明内容:
○「国宝」新指定の理由とは?
国宝の条件として、S25年施行の「文化財保護法」に基準がある。明治以来、「国宝」の旧指定があったが、戦後見直しをされた。内容として、「日本にとって歴史上芸術品上価値の高い、優れたものを「重要文化財」に指定」。「重要文化財の中でも全体の文化価値として、非常に際立って優れたもの、日本の歴史、文化を代表するものを「国宝」に指定する」。旧指定をされていた文化財でも、新指定で見直された。
1.「名称」と「伝来」が判明した。・・・・・醍醐寺に伝わる江戸時代の版木が見つかり、本像と照らし合わせたところ、天衣の様子、衣の襞などの形状、右手・与願印、左手・如意宝珠の付いた蓮華茎を持つ、など酷似していることが判明。版木の仏像名、寺院名がはっきりとしていることから、現在の本像と比較しても問題がない。明治28年調査の時点で醍醐寺(菩提寺)に、「虚空蔵菩薩」として、版木とは関係なく、寺の説明がされていた。しかし重文指定時は「観音菩薩立像」として登録されていた。一般に「聖観音菩薩立像」として認識されていた。
2.平安時代前期(9世紀)の「壇像」彫刻の秀作。造像時の様子をほとんど残した状態で、破損がほとんどない。像全体から台座の一部まで、栢材の一木彫造。衣文の彫りや表現の様子など、彫りの造像技術が高い。像全体に茶色の薄い着色を施している状態で、壇像の材質(白檀)に似せている。
約20分の説明終了後、いち早く講師を捕まえて、幾つかの点を伺う。
1.選考の手順は?
各ジャンルごとに、選定委員(10~15人程度)が候補を絞り込み、文化庁の委員と意向、意見を持ち寄る。傾向が偏らないように考慮するが、トップの意向が強い感じ。また、件数を決めたりせず、彫刻部門で年によって指定されないこともある。
2.今回の選定には、大正大学の副島教授の調査報告の影響度は?
奥委員も詳しくは把握していなかったようだが、以前から評価されていて、もう少し新しい事柄が出て来ないと指定出来ない、と思われていたようだ。直接的に副島先生の2013年発表の論文(東方学論文集?)を参考にされた模様。
3.醍醐寺の寺宝、古文書の管理と調査分析の状況は?
壇像風の彫像が多いのは、多分に奥委員やほかの委員の意向ではないか?一般的には、東大寺復興時の、俊乗坊重源との関係の深い像(念持仏?)であり、時代の調査が進んで行くと評価が高まる。中世における東大寺の位置付けなどが重視された。現時点で、同時期の仏像では、他に候補が無いと考える。
5.岐阜の寺院・長龍寺(長滝寺の誤りとMさんより指摘が在りました)「韋駄天像」の新指定は?
宋代の彫像として、奥委員や他の委員も以前から注目・重視していた模様。像の完成度、保存状況など国内に比肩出来る仏像が無い。奥委員も評価していた、という。
*会場で配布された説明資料を、添付します。との事でしたので、添付のファイルのダウンロードを試みましたが、「添付のファイルのダウンロードに失敗しましたす」と何度も繰り返し、なってしまいます。 添付のファイルのダウンロードが出来ませんので・・・Taさんも再度 添付のファイルを送ってください。
この像が虚空蔵像であることを明らかにした副島弘道氏の 「菩提寺虚空蔵菩薩像版木と醍醐寺木造聖観音立像」(川勝守・賢亮博士古稀記念東方学論集所収、2013年汲古書院刊)という論文からの抜粋事項と思われます。