孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Taさんの 投稿 東博ギャラリートーク:「国宝になった醍醐寺の虚空蔵菩薩立像」

仏像愛好の集 メンバー Taさんの投稿 です。 興味深いコメントが付きました、開いてそちらもお読みください )

表記の件、東博へ行って来ました。
 
87日(金)18:30~ ギャラリートーク:「国宝になった醍醐寺虚空蔵菩薩立像」 
講師:絵画・彫刻室アソシエイトフェロー・西木政統氏
 
当日は、1時間程早く現地に到着したので、まずは現場確認をしてと思い、場内をぶらぶら拝観していると、地蔵菩薩像と十一面観音像と阿弥陀如来像が並ぶ中に、11室入口右手脇すぐの位置に、醍醐寺虚空蔵菩薩立像が置かれており、数人の人が集まっていた。
 
私は、地蔵菩薩立像(C-332)(法服内衣の地蔵菩薩像)のガラスケースの前で、一人の若い女性に声をかけられた。彼女は、都内の某美術大学の日本美術史・彫刻専攻の学生で、現在、鎌倉時代の仏師を対象として、2万字の論文原稿をまとめる作業中(卒論?)とのこと。運慶・快慶は荷が重すぎるので、「善円」を勉強中とのこと。好きな仏様は、東博の菩薩立像(C-20 )(唇の水晶薄貼り付けの像)だという.。声をかけて来た理由が、先生から、博物館や展覧会に行ったら、オペラグラスを首からかけている、メモを取っている、時間をかけて一人で見て回っている、人に「話しを聞け」と、言われたそう。(先生がそんなことを教えるか?)彼女は、ギャラリートークが始まってから、ガラスケースの最前列に立ち、講師の話しを熱心に聞いていたみたい。
 
説明開始時には、30人ほどの参加者が、ガラスケースを取り巻く状態で、講師は、ガラスケースから離れた位置で、ハンドマイクを使用して説明を行なった。部屋の中で音声が反響し、あまりよく聞き取れない状況が多かった。私は、ガラスケースから離れて奥にいたせいで、講師から遠く、余計にはっきり聞こえなかった模様。
 
ギャラリートーク説明内容:
○「国宝」新指定の理由とは?
 国宝の条件として、S25年施行の「文化財保護法」に基準がある。明治以来、「国宝」の旧指定があったが、戦後見直しをされた。内容として、「日本にとって歴史上芸術品上価値の高い、優れたものを「重要文化財」に指定」。「重要文化財の中でも全体の文化価値として、非常に際立って優れたもの、日本の歴史、文化を代表するものを「国宝」に指定する」。旧指定をされていた文化財でも、新指定で見直された。
毎年、新指定の文化財は、5月の連休前後に、東京国立博物館で展示出来るものは、展示している。また文化庁が監修している『月刊文化財6月号に、選定理由を掲載している。
 
対象仏である醍醐寺虚空蔵菩薩立像は、
1.「名称」と「伝来」が判明した。・・・・・醍醐寺に伝わる江戸時代の版木が見つかり、本像と照らし合わせたところ、天衣の様子、衣の襞などの形状、右手・与願印、左手・如意宝珠の付いた蓮華茎を持つ、など酷似していることが判明。版木の仏像名、寺院名がはっきりとしていることから、現在の本像と比較しても問題がない。明治28年調査の時点で醍醐寺菩提寺)に、「虚空蔵菩薩」として、版木とは関係なく、寺の説明がされていた。しかし重文指定時は「観音菩薩立像」として登録されていた。一般に「聖観音菩薩立像」として認識されていた。
 
2平安時代前期(9世紀)の「壇像」彫刻の秀作。造像時の様子をほとんど残した状態で、破損がほとんどない。像全体から台座の一部まで、栢材の一木彫造。衣文の彫りや表現の様子など、彫りの造像技術が高い。像全体に茶色の薄い着色を施している状態で、壇像の材質(白檀)に似せている。
 
3.「虚空蔵求聞持法」の教義にてらし、空海請来の仏画は現存するが、立像の彫像として現存するものは貴重である。
 
なお、「菩提寺」は、平安時代中期に寺院、仏像ともに存在した記録があるそうだ。創建時期、開祖などは不明で、ある説では、醍醐寺創建以前の寺院と仏像、との推測あり。
 
 
 
20分の説明終了後、いち早く講師を捕まえて、幾つかの点を伺う。
1.選考の手順は?
 各ジャンルごとに、選定委員(1015人程度)が候補を絞り込み、文化庁の委員と意向、意見を持ち寄る。傾向が偏らないように考慮するが、トップの意向が強い感じ。また、件数を決めたりせず、彫刻部門で年によって指定されないこともある。
 
2.今回の選定には、大正大学の副島教授の調査報告の影響度は?
 奥委員も詳しくは把握していなかったようだが、以前から評価されていて、もう少し新しい事柄が出て来ないと指定出来ない、と思われていたようだ。直接的に副島先生の2013年発表の論文(東方学論文集?)を参考にされた模様。
 
3醍醐寺の寺宝、古文書の管理と調査分析の状況は?
 醍醐寺に所蔵されている文化財の類は膨大で、何時調査に着手出来るか分らないものばかり。これからも新しい発見が出てくる可能性は高い。
 
4東大寺弥勒仏が指定された理由は?
 壇像風の彫像が多いのは、多分に奥委員やほかの委員の意向ではないか?一般的には、東大寺復興時の、俊乗坊重源との関係の深い像(念持仏?)であり、時代の調査が進んで行くと評価が高まる。中世における東大寺の位置付けなどが重視された。現時点で、同時期の仏像では、他に候補が無いと考える。
 
5.岐阜の寺院・長龍寺(長滝寺の誤りとMさんより指摘が在りました)「韋駄天像」の新指定は?
 宋代の彫像として、奥委員や他の委員も以前から注目・重視していた模様。像の完成度、保存状況など国内に比肩出来る仏像が無い。奥委員も評価していた、という。
 

会場で配布された説明資料を、添付します。との事でしたので、添付のファイルのダウンロードを試みましたが、「添付のファイルのダウンロードに失敗しましたす」と何度も繰り返し、なってしまいます。 添付のファイルのダウンロードが出来ませんので・・・Taさんも再度       添付のファイルを送ってください。

★Taさんより再送がありまして 読むことが出来ました。但し私の力量不足でここに掲載は出来ませんでしたが、その後、友人の協力で此処に「菩提寺虚空蔵菩薩像版木」の図像を掲載できました。

img002

この像が虚空蔵像であることを明らかにした副島弘道氏の 「菩提寺虚空蔵菩薩像版木と醍醐寺木造聖観音立像」(川勝守・賢亮博士古稀記念東方学論集所収、2013年汲古書院刊)という論文からの抜粋事項と思われます。

醍醐寺霊宝館付設の倉庫内に残されていた版木の「菩提寺虚空蔵菩薩版木」 これにより、同像が平安時代初め頃の虚空蔵菩薩求聞持法本尊像である可能性が高いことが明らかになったようです。

また、東大寺弥勒仏坐像と共にの国宝新指定の理由に関しては、いずれ仏像愛好の集の勉強会で持論と自論を発表させて頂きたいと思います。