【続】 東博ギャラリートーク:「国宝になった醍醐寺の虚空蔵菩薩立像」
*会場で配布された説明資料を、添付します。との事でしたので、添付のファイルのダウンロードを試みましたが、「添付のファイルのダウンロードに失敗しましたす」と何度も繰り返し、なってしまいます。 添付のファイルのダウンロードが出来ませんので・・・Taさんも再度 添付のファイルを送ってください。
と書きましたら、呼応してTaさんが再送してくれました。
この像が虚空蔵像であることを明らかにした副島弘道氏の 「菩提寺虚空蔵菩薩像版木と醍醐寺木造聖観音立像」(川勝守・賢亮博士古稀記念東方学論集所収、2013年汲古書院刊)という論文からの引用と思われます醍醐寺霊宝館付設の倉庫内に残されていた版木の「菩提寺虚空蔵菩薩版木」(これにより、同像が平安時代初め頃の虚空蔵菩薩求聞持法本尊像である可能性が高いことが明らかになったようです) の参考図 と 江戸時代版木 参考図版がありました。
「菩提寺虚空蔵菩薩版木」は 同像に本当によく似てまして、偶然の一致ではないと思います、されど框が国宝のそれが木瓜型の円に対し、版木図は6角形で 後補かとも思いましたが、木瓜型を良く見ますと六つの構成です。そうしますと木瓜ではなしに写生時の不正確と見てよさそうです。
木版図中、図像の右に虚空蔵菩薩と書かれ その下に 中天竺(善)□□□也御作(?違うかもしれません) とも読める様な文字がある様ですが画像不鮮明で読めませず、気になりました。また図像の左には 醍醐(樹)下谷 菩提寺 と書かれている様でした。 Taさん読めてましたらお教え願います。…後に何とか【善無畏三蔵之御作】と想像できました。
壇像ゆえに、善無畏三蔵(:Śubhakarasiṃha(シュバカラシンハ)、637年 - 735年)はインド・摩伽陀国(マカダこく)の国王、訳経僧。)の作との縁起があったのですねッ!
まだまだ新事実判明に実証歴史学は面白い感を持ちます!
国宝新指定の理由とは? の回答として、
◎(※ 江戸時代版木 参考図版より)「名称」と「伝来」が判明した為
◎平安時代前期(9世紀)を代表する「壇像彫刻」(白檀などの香木で彫られた仏像)の名作である事
【壇像彫刻の特徴】
①檀木を用いた一木造り…腕・天衣まで一木から凝りだしている
②原則として着彩されていない…針葉樹(カヤ?)を用い白檀らしさ演出
③一般に小像…増高51.3センチ
④細密な彫法…複雑に乱れる衣の襞まで克明にあらわす
【壇像彫刻の特徴】
①檀木を用いた一木造り…腕・天衣まで一木から凝りだしている
②原則として着彩されていない…針葉樹(カヤ?)を用い白檀らしさ演出
③一般に小像…増高51.3センチ
④細密な彫法…複雑に乱れる衣の襞まで克明にあらわす
◎虚空蔵菩薩【記憶力の増進を説く「虚空蔵求聞持法」本尊の古像として貴重
との説明がなされてます。
この選定理由に、何らの異議は無く 納得なのです。 よしんば 江戸時代版木参考図版の発見が無くも 同遺作の国宝に指定には疑問を差し挟む 余地なしの秀作像です。
同じ9世紀の壇像でして、東大寺法華堂に伝来との伝来は立派で、作風も個性的な特徴ある像とは思いますが…、国宝にまではどうしても合点が行きかねます、どちらかと云うと、そちらの方の「国宝新指定の理由とは?」の回答が欲しいものです。 皆さんは如何に?!
と思ってましたが、Taさんの前の寄稿にありますところの
壇像風の彫像が多いのは、多分に奥委員やほかの委員の意向ではないか?一般的には、東大寺復興時の、俊乗坊重源との関係の深い像(念持仏?)であり、時代の調査が進んで行くと評価が高まる。中世における東大寺の位置付けなどが重視された。現時点で、同時期の仏像では、他に候補が無いと考える。
とありますので、納得ゆけました。また
5.岐阜の寺院・長滝寺「韋駄天像」の新指定は?