孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

メンバーKaさんの寄稿2015.10.10~11 舞鶴・小浜観仏記

メンバーKaさんの寄稿投稿されました。「2015.10.10~11 舞鶴・小浜観仏記」
先日の観仏記まとめました。お暇な時ご覧ください。


2015.10.1011 舞鶴・小浜観仏記




10/10(土)

 小浜には5年前クラブツーリズムのツアーで訪れ、その時は羽賀寺、明通寺、中山寺、馬居寺(まごじ)、妙楽寺国分寺の各寺院の仏像を拝観した。今回は小浜駅前から秘仏めぐりバスツアーが、日にちを変えて全18コース出発する事を知ったので、正林庵と正法寺の仏像が拝観出来、また5年前と重ならない寺院を廻る10/11(土)出発のコースを選んだ。

 

松尾寺(まつのおでら) 京都駅で特急まいづる3号に乗り換える。この列車は途中の綾部駅天橋立行きのはしだて3号と東舞鶴行きのまいづる3号に分かれるので、切符購入の際、自由席は何号車か調べて貰った。おかげでスムーズに乗車する事が出来た。松尾寺は最寄りの松尾寺駅からでも徒歩50分の青葉山中にあるので、東舞鶴駅からタクシーを利用する。

 松尾寺宝物殿の秋季展観は9/1910/20までが前期、10/2311/24までが後期で公開されている。国宝普賢延命菩薩像は後期展示のため残念ながら今回は拝観出来ない。

 快慶作重文阿弥陀如来坐像(鎌倉)は宝物殿正面に安置されている。昭和38年、頭部内刳りに「アン阿弥陀仏」の墨書銘が確認されたとの事。快慶初期の作だがどっしりと落ち着いている。右ひじから先、左手先は後補との事。

 ご住職がこれは是非観て頂きたいとおっしゃったのが、重文絹本着色終南山曼荼羅(鎌倉)。中国の妙見信仰の場面らしく、七星閣、妙見殿、十二宮、二十八宿、三尸(さんし)などが描かれ興味深かった。三尸が描かれている絵は珍しいとのことだった。

 
 萬徳寺 タクシーで松尾寺駅へ出て、東小浜駅までJR小浜線移動。
東小浜駅にはコインロッカーがないので、隣接する小浜市総合福祉センターのコインロッカーを利用させて頂けるか事前に確認したところOKの返事を頂いていた。ところがセンターのコインロッカーはハンドバッグが入れられる位の大きさ。職員さんに事情を話し預かって頂ける事になったが焦った。


 事前に予約したタクシーで萬徳寺までお願いする。ところが基本料金で着くはずなのにメーターがどんどん上がる。おかしいと思っていたら、同行のMUさんが道が違うのではと言い出す。運転手さんは天徳寺と間違えていたと言う。東舞鶴の運転手さんも頼りなかったが安心して乗っていられない。大分戻ってようやく萬徳寺に着いた。


 重文阿弥陀如来坐像(藤原)は9/1911/23まで特別公開されている。榧または檜(資料により異なる)の一木造で半丈六の定朝様式の仏像。裳懸け座の彫りが素晴らしかった。

 


 竜前薬師堂 萬徳寺から徒歩15分位で着くはずだったが分かりにくい場所で迷う。畑仕事していた方に伺いようやく到着。受付には誰もいなかったがラジオが付いていたのですぐ戻られるだろうと思った。地区の管理の方は、誰も来ないので帰ろうと思ったとおっしゃる。


 重文銅造薬師如来立像(鎌倉)は9/1910/12まで特別公開されている。穏やかなお顔立ちでほっとさせて下さるお薬師様だ。近くの若狭彦神社の本地仏だったが、神仏分離令により蓮華寺に移り、昭和43年に収蔵庫が造られ地区の管理になったとの事。


 背中に「若狭国一宮本地宝治二年戊申六月日」という銘があり1248年に制作された事を伝えているという。見える場所の銘だから写真でも展示してあれば良いのにと思った。
 東小浜駅までは一本道で迷わず戻る事が出来た。MUさんには東小浜駅まで戻るよりも近い、国道27号線を通る西日本JRバスの遠敷(おにゅう)バス停から小浜駅に向かって貰う。

 濱の湯 ビジネスホテルのお風呂は入った気がしないので、ホテルから徒歩30分位のところにある温浴施設「濱の湯」に行く事にする。道に迷ってしまったが、本来通る予定がなかったマーメイドテラスで素晴らしい夕日を見る事が出来た。地方はどこもそうなのかもしれないが、街灯が全然ないので足元が暗かった。いつもライトを持参しているのが役に立った。濱の湯は海藻風呂や漢方薬草風呂など5種類の湯船がありお薦め。帰り道途中で地図を見ていたら、聞く前に駅までの道をわかり易く教えて下さった方がいた。


 


10/11(日)


 誓願寺 今日は「秘仏めぐりバスツアー」を申し込んであるが、出発の950まで時間があるので、徒歩15分位で着く誓願寺に行く事にする。10/1110/12だけの特別公開で無住のため地区の方が管理している。


 県文聖観音菩薩立像(平安後期)は檜一木造で内刳りなし。海難に遭った船を助けてくれる観音として信仰されていたとの事だが、後補の厚い漆で像表面が覆われているのが非常に残念。天衣が膝の横辺りでクルリと円を描いているのが、あり得ない表現でこちらも後補かと思った。


駅に戻り「秘仏めぐり」バスに乗車する。若狭歴史博物館→正法寺→栖雲寺→常禅寺→長楽寺→清雲寺の順に拝観するコースだ。


 
 若狭歴史博物館 今年4
月に長野の博物館で関山神社菩薩立像、美術館で観松院菩薩半跏像を拝観した後、久野健氏の「渡来仏の旅」読み、正林庵菩薩半跏像を拝観したいと思っていた。このコースは正林庵には行かないが10/1011/8まで特別展「若狭武田氏の誇り」で正林庵菩薩半跏像が展示されている。


 重文正林庵菩薩半跏像(天平)は像高33センチの童顔で可愛らしい金銅仏。久野健氏の「渡来仏の旅」によると地方色というものは見られない、中央で造られこの地に移安された仏像かも知れないとの事。ガラスケースの中で360度拝観出来た上、ライトも付けて良いと言われ、お寺の収蔵庫で拝観するより拝観環境が良いのではないかと思われた。


 常設展には平成25年に重文指定された青蓮寺聖観音立像(平安前期)を初め、小浜市指定文化財の仏像の数々が展示されていた。また馬居寺馬頭観音、竜前薬師堂薬師如来、常禅寺不動明王5躯の重文仏像の複製も展示されていた。


  正法寺 県文如意輪観音菩薩半跏像(鎌倉)は奈良時代の模古作の金銅仏。この像のことも久野健氏の「渡来仏の旅」に出て来るので拝観を楽しみにしていたが、お厨子の中に入っている上に幕が掛かっているので暗く正面しか見られないのが残念だった。頂いた絵葉書を見ると端正で完全無欠なお姿。ご住職は八十八歳の尼僧だった。大勢の方の御朱印帳に記入され大変そうだった。


 栖雲寺 県文阿弥陀如来坐像(平安後期)は像内に「永萬元年乙酉七月廿六日 改造立願主幷結縁衆□□」という墨書銘があるとの事。


 常禅寺 重文不動明王坐像(平安)は「波切不動」として信仰されていた像。光背・台座も当初のもの。

 長楽寺 ご住職は飯盛寺との兼務。収蔵庫には定朝様式の重文丈六阿弥陀如来坐像(平安後期)と重文多聞天立像(平安中期)の他、後世の持国天増長天広目天等が安置されている。

 清雲寺 収蔵庫に鎌倉時代の重文毘沙門天立像、吉祥天立像、善膩師童子立像が安置されている。神奈川仏教文化研究所HPにはやや工芸に走り過ぎた感があり、鎌倉彫刻の力強さは姿をひそめているとあるが、このバスツアーの最後を飾るに相応しい美しい仏像だと思った。

 高成寺(こうじょうじ) 清雲寺を出る頃降り出した雨もすっかり上がった。このバスにはボランティアガイドさんが同乗していたが、マーメイドテラスで降りられるので私達も降ろしてもらった。まだ3時なのでもう一寺行けると、ガイドさんに高成寺への道を教えて頂く。海岸沿いの道の先の小浜公園に隣接しているとの事。

小浜には千手観音が多いが今回は一躯も拝観していないので、元々行けるなら行きたいと思っていた。高成寺は山門をくぐると二層の楼門があるなど、今回小浜で訪れたお寺の中で一番荘厳な寺院だった。お寺の方の姿はなく、正面の観音堂入口を自分で開閉するようガイドさんに言われていた。説明も自分でラジカセのスイッチを押して聞く。

重文千手観音菩薩立像(平安初期)は榧の一木造で内刳りなし。裳裾が左右に鰭のように張り出しているが壊れやすそうだから後補かも知れない。しかし堂々としたお姿だ。平成913年の修理の際、近年の彩色を落としたとの事。若狭姫神社の本地仏であったとも伝わる。平成248月に重文に指定された。

高成寺は足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つで、若狭国安国寺として創建され、後に安国高成寺になった。

 高成寺を後にして徒歩で小浜駅に向かった。暫く行くと見慣れた街並みに出て、駅が近いことがわかりホッとした。

 タクシーの運転手さんもボランティアガイドさんも拉致被害者地村さんの事を口にされていた。私達は拉致と言っても地村さんの事はすっかり忘れていたが、地元の方達は忘れていないのだと改めて感じた。横田めぐみさん達が帰って来る日が近いことを願わずにはいられない。