孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2016.11.26~27 滋賀・奈良観仏記

仏像愛好の集のメンバー Kanさんから・・・、遅く成りましたがとの前置き付きで、観仏記の投稿がありました。

【以下 Kanさんの 観仏記です。】


11/2627 滋賀・京都・奈良観仏記


 


今回も12日だと言うのに12県を巡る欲張りな観仏の旅を計画した。いつもの東京駅7時発のぞみ203号に乗車予定だったが、巣鴨駅から乗車した山手線が西日暮里駅での線路内に人立ち入りの影響で途中停車、田端駅で京浜東北線に乗り換えてみたが状況は変わらず、朝からハラハラさせられてしまった。結局6分遅れで東京駅に到着。私だけでなく同行のOTさんもMUさんも山手線内で足止めされていた。


 


11/26(土)
石山寺 京都駅で荷物をコインロッカーに預ける予定なのに、何と空きロッカーがない。仕方なく石山駅まで荷物と一緒に移動した。米原行きの快速電車の中で話した地元の方に帰りに乗り換える予定の「皇子山駅」の読み方を「おうじやまえき」と教わる。


石山寺は琵琶湖から流れ出る瀬田川の側にある。帰った後たまたま見た小4の孫KAI君の参考書に瀬田川宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込むと出ていた。一つ物知りになった。


3/1812/4まで33年に一度の本尊・重文如意輪観世音菩薩(平安後期)の開扉があったが、閉まる1週間前の拝観になった。33年に一度と言っても、20世紀後半以降では、1961年、1991年、2002年の開基1250年記念、2009年の花山法皇1000年遠忌記念と4回も開扉されている。天皇即位の翌年にも開扉されるとの事なので、今の天皇の即位の翌年は1991年に当たったのだろうか。


今までの秘仏本尊の拝観経験では長い行列に並んだ後、立ち止まることも出来ない拝観が多かったので行くか迷ったが、今回は行列も短く少し後ろに移動すればゆっくり拝観することが出来た。事前に見た写真よりずっと穏やかなお顔で着衣の彩色もはっきりと見え、何よりその大きさに驚いた。


また、本堂の後ろ側には初代本尊の塑像断片、胎内仏4躯も展示されていたが、塑像断片にも美しい彩色が残っていた。


本堂を出てから、快慶作重文大日如来坐像が安置されている多宝塔に向かう。せきどさんのHPには金網越し拝観とあったが、お賽銭を入れるためか金網の張っていない部分が1か所あり、そこからのぞかせて頂くとはっきりと見えた。さすが快慶作で完璧な美しさだった。


 


大津歴史博物館 石山駅のコインロッカーで荷物を出し、京阪電車別所駅に向かう。大津歴史博物館まで徒歩10分位だが、博物館までの上り坂を荷物を引っ張って上がるのは結構大変だった。


大津歴史博物館では10/1511/27まで「新知恩院と乗念寺」という企画展が開催されていて、20142月に、快慶作か?と話題になった手の平サイズの釈迦涅槃像が出展されていた。胸に水晶が嵌められている珍しい像で、以前から一度拝したいと思っていたので今回はいいチャンスだった。


このあと京都駅に向かうのに、別所駅から京阪電車皇子山駅経由大津京駅に出るか、20分歩いて直接大津京駅に出るか荷物もあり迷っていたが、下り坂を下りた所におやつタイムらしきタクシーが停まっていたので天の助けと思い乗車した。


大津市には圓福院(五百羅漢堂)という寺があり、快慶作の重文釈迦如来坐像が安置されている。今回拝観させて頂きたいと思い電話したが「今はどなたの拝観も受け付けていない」との事で諦めざるを得なかった。


 


清和院 圓福院に断られたので、久し振りに「仏像めぐりの旅」京都編をひっくり返してみた。まだ拝観していないお寺がいくつかあったが、清和院本尊の重文地蔵菩薩立像(鎌倉)の説明文に惹かれる。OTさんが電話して下さると言うのでお願いした。「拝観時間は4時までだが、東京からなら少し位過ぎても構わない」と言って下さった優しいご住職だとの事。


清和院は清和天皇ゆかりの由緒ある寺。清和天皇文徳天皇の第4皇子で母は藤原明子(あきらけいこ・めいし)。明子は藤原良房の娘で、良房の邸宅は染殿第と言うので染殿皇后と呼ばれた。染殿皇后が奈良・帯解寺の子安地蔵に祈願して生まれたのが清和天皇。その縁で清和天皇地蔵菩薩を念持仏とされたのではないかと書いてあった。


ネットや本には玉体地蔵と呼ばれるにふさわしい絢爛たる地蔵菩薩であるとか、極彩色の精緻を極めた見事な尊像であると書かれている(この部分に強く惹かれた)が、残念ながら厨子の中は暗くて、良く見えない。ライトを付けていいかとは聞けなかった。「仏像めぐりの旅」と同じ毎日新聞社から出ている「国宝・重要文化財大全」の写真では法輪の模様や截金がもう少しはっきり見える。ご住職にどこでこの仏像を知ったか聞かれ、20年以上前に出版された毎日新聞社の「仏像めぐりの旅」でと答えると、そのコピーを熱心にご覧になっていた。


 

京都駅1736発のみやこ路快速に乗り奈良駅には1825
着。今回はこの観仏旅を始めた頃に何回か泊まったことのあるホテル日航奈良に宿泊する。奈良駅がリニューアルされたと同時に駅直結でホテルに入れるようになり一段と便利になった。イオンも出来て朝食の買い物もコンビニより安くて便利なのが嬉しい。WEB会員限定プランでは前回まで喫煙ルームしかなかったのが、10月からは禁煙ルームも対象になったため利用することにしたが、大浴場も完備しているし新大宮のロイヤルホテル奈良より近くて便利。


 


11/27(日)


當麻寺 ホテルを7時過ぎに出てバスで近鉄奈良駅に向かう。近鉄で途中何度も乗り換えながら9時前に当麻寺駅に到着。この日は朝からあいにくの雨で傘とレインポンチョが一日中手放せなかった。レインポンチョを持ってこなかったOTさんのジャケットはびしょ濡れだった。一日中の雨は観仏旅初めての経験で、今回も天気予報は雨でも必ず止むと期待していたがそうはいかなかった。当麻寺駅にミニバスのバス停があり、906発があるようだったが待たずに歩くことにする。結局、バスに抜かれる事はなかった。


 本堂は曼陀羅堂とも呼ばれ、中将姫が織り上げた当麻曼荼羅の転写が本尊として掛けられているのを金網越しに拝観することが出来る。転写と言っても室町時代の文亀年間に転写されていて重文に指定されている。曼荼羅の右手の厨子の中には伝自作の中将姫二十九歳像が安置されているが、何と宿院仏師源三郎作だとの事。


 本堂内右側の小部屋(織殿間)には織殿観音と呼ばれる重文十一面観音立像(弘仁)が安置されている。當麻寺に伝わる木彫像の中では最古と言われているらしい。キャプションには「裙に見える折枝風の草花文も古風」と書いてあったが暗くてわからない。周りに人がいないのを幸いにMUさんがライトを付けてくれたのではっきり確認することが出来た。


 金堂には現存する塑像の中で最古の国宝弥勒仏坐像(白鳳)、乾漆と木造の重文の四天王立像が安置されているが、広目天立像と多聞天立像は残念ながら修理のため不在だった。


 講堂には阿弥陀如来坐像、如来坐像、地蔵菩薩立像などの重文の仏像が並ぶ。その中に妙幢(みょうどう)菩薩と言う仏像があったが地蔵菩薩の異名だとの事。


 當麻寺の子院の西南院(さいないん)では11/2311/30まで特別開帳があり、平安前期の重文十一面観音立像、重文聖観音立像、藤原期の重文千手観音立像が間近で拝観出来た。普段は遠くからのガラス越し拝観らしい。また奈良国立博物館に寄託中の尼藍婆毘藍婆(伝 前鬼・後鬼)が50年振りに里帰りされていた。可愛らしい表情の像だった。三観音の絵葉書が三枚で200円だったので購入。拝観する人も少なく、ゆっくりする事が出来た。紅葉の名所らしいが、時期が少し遅かったかと思われたし、雨の中では足元ばかり気になって落ち着いて眺められなかった。


 他に中之坊と言う子院も回ったが、雨の中お宮参りのご家族がいて御祈祷の声が聞こえてきた。


 


奈良国立博物館 また当麻寺駅から何度も乗り換えて、今年4月にリニューアルオープンしたばかりの「なら仏像館」へは14時過ぎに着く。以前より照明が明るく見やすいような気がする。


 観音菩薩立像(本山寺)、菩薩立像(金竜寺)が可愛らしくて私好みだが、展示数が東京や京都より圧倒的に多いため時間が足りなかった。次回はもっとゆっくり鑑賞したい。


 


バスでホテルに戻り荷物を受け取ってからみやこ路快速で京都駅に向かう。奈良駅では6分遅れの出発だったが、だんだん遅れ時間が増え、宇治駅では22分遅れになった。何回も「今日はたくさんのお客様にご利用頂いたため遅れています」と繰り返すばかりで原因を放送しない。新幹線への乗り換え時間が33分しかないためかなり焦った。最終的には後れを何分か取り戻してくれて13分遅れの1806に京都駅に着いた。まさかJRに行きも帰りもハラハラさせられるとは思ってもいなかった。
                                    KN
【以上 Kanさん の投稿文です】


本文中の 20142月に、快慶作か?と話題になった手の平サイズの釈迦涅槃像が出展されていた。について 参考 ウエブを下段に紹介します。」孤思庵