孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

MU(Miu)さんからの投稿 「仏像愛好の集」に参集して

投稿者の MUさんより 掲載時に文章変わってるので・・・、との修正依頼が着きましたので、修正して 再掲載します。

孤思庵の弁明 
投稿頂きましたメールに「また文章の添削お願いします」と在りましたので・・・、無断で 文章をいじってしまいました、 浅慮で失礼しました、以後注意します。 改めて もとの文章に戻し再掲載します。
訂正箇所だけが わかりますので・・・、 巻頭にMUさんから から届いた 訂正依頼文も載せておきます。

【訂正依頼文】
ご掲載して頂き、ありがとうございます。

多分何方も読んでもらえないと思いますが、それにしても文章中に誤った部分があるので気になります。ご訂正をお願いしたいと思います。

1 誤: 「彼女は私を娘のように可愛ってくれ、て私も彼女をお母親のように慕ってました。」→
  正: 彼女は私を娘のように可愛っていただいて私も彼女をお母様のように慕ってました。

2 誤: 「亡くなった親友と会いた でも会えない。このことは切ない、むなしく苦しいものですね。」→
  正: 亡くなった親友と会いたいも会えないことも切ない、むなしく苦しいものですね。

3 </ div> は無意義で削除をおねがいします。

4 文字の色が薄くて読みにくいと思いますが。室岡さんの文章の文字が濃くて読みやすいと思います。薄い色から濃く色になれませんか。

よろしくお願いします。


MU より


以下、原文再掲載です
MUさんからの投稿がありました、先の投稿 原文です。(依頼により 文中の</ div> は削除してあります)


先日の集いに参加させていただき、皆様にご挨拶できましてそしていろいろと仏像のお話もできました。ありがとうございました。

博物館、美術館での参観、仏像の拝観はそれぞれ毎月一回で私は自分に課したノルマです。ジムで時間を費して汗を流すより健康に効果が良いと思っているわけです。

4日の午後には特別展「春日大社 千年の至宝」と11日には東博の東洋館 8室での「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味― 」、東京都美術館での 「ティツィアーノヴェネツィア派展」  を観賞しました。

18日には護国寺のご本尊の如意輪観音像の定例のご開帳の日ですので拝観することになりました。9時からのご開帳ですので9時前にお寺に到着ぎりぎりまで観音堂内に入りました。お坊さんたちの’おーーうーー’(声明?)の合唱中に開帳されまして続いて観音経を唱られました。お経を終えると90歳の長老が5分ほど説法し、その後に参拝者達は列を成して至近で観音様のご拝観ができました。

天和元年(1681)五代将軍徳川綱吉が、生母桂昌院の 願いにより創建した真言宗祈願寺桂昌院琥珀の念持仏の如意輪観音を本尊としています。この琥珀の仏像は絶対秘仏になり、いま参拝できるのは平安時代後期頃の作と見られている木造の御前立本尊の如意輪観音坐像です。まずは その金色の眩いばかりの冠と装飾の姿にびっくりしました。仏教の七宝には、金・銀・琉璃・珊瑚・琥珀・硨磲・瑪瑙とあり、これらを使い尽くしにして装飾しているではないかと思いました。片膝を立てて座る六臂の坐像で、私が以前参拝した観心寺如意輪観音中宮寺の菩薩半跏思惟像よりも俯き加減の思惟の表情が印象てき、ロダンの彫刻「考える人」を思いさせました。「考える人」は何かを考えているのか分かりませんがこの観音様はきっと救いを求めている人が あったらすぐにそこへ行って彼らを救済をすると考えているでしょう。

堂内には大日如来坐像や地蔵菩薩立像その背後、両翼の暗闇には極彩色の三十三身仏、内陣向かって右には、巨大な不動明王と二童子像が安置されていて、広大な外陣天井には飛天画がいっぱいで牡丹や唐草など豪華絢爛な彫刻で飾られている本堂をたっぷりと鑑賞しました。

 護国寺には今回は初めてではなくて以前からお葬式やお墓参りに何回もお参りに来ました。そして私の親友がここの墓地で眠っています。

親友は私が日本に来たばかり、医学の研究をしていた時に知り合いました。私の母のような年で気品が漂う綺麗、チャーミングな方でした。彼女の容姿が私のははか祖母かに似ているようにも親近感を感じさせました。一緒にいる時間がそんなに長くないですが不思議なご縁で私のような遥々異国から者とこころが通じるようになり親友になりました。彼女には息子さんと娘さんがいますが、娘さんは私と同じ年齢で九州に嫁ました。彼女は私を娘のように可愛っていただいて私も彼女をお母様のように慕ってました。親友の優しさは故郷に遠く離れて天涯孤独の私の心を暖めていただきました。親友は5年前に86歳でなくなりました。お葬式の時には私は涙が止まりませんでした。</ div>

彼女は裕福な家庭で生まれ育ちましたが、戦時に一瞬間で全財産を失われ、食べられない日々も続いた時期もありました。日本の多くの人々も戦争の被害者ですね。でも加害者はいまの同盟者ですようね。晩年に息子さんとお孫さんと一緒に暮らしてそして息子さん、娘さんと孫、ひ孫にみとられ逝去しました。’おふくろは幸せでした’と息子さんは言ってました。

親友は仏教の信者ではありませんが結構な金額を払って戒名を受けてお寺で最期の納骨場所になりました。’日本人は生まれた時には神教、結婚式にはキリスト教、死んたら仏教’ともうひとりの日本人の親友が言ってました。

なるほど。死と仏教と密接な関係があると皆認識していますね。死んたら極楽浄土へ行くと願っている訳ですね。仏教はこれだけでなく奥深い学問と私は認識しています。
分からないところが多いですが、死だけでなくて生にも仏教との関係があると私は少々分かっています。人生は苦 、四苦八苦があるとお釈迦様が菩提樹の下で悟った真髄の一つとされていました。亡くなった親友と会いたいも会えないことも切ない、むなしく苦しいものですね。

有名人の稲盛 和夫さん(実業家で京セラ、KDDI創業者)は私を含む多くの中国人に尊敬されている方ですが仏教の信者でもありますと知られています。彼の著書にも仏教の話が度々出ています。しかし、数十年に亘って仏像を拝観し、沢山の作品を書いた白洲正子さんは仏教の信者ではありませんし死後に戒名さえもらっていないようです。私は白洲正子さんの気のまま、ありのまま、なりのままの生き方を気に入っています。私は今後も白洲正子と仏像拝観の先輩の足跡について巡礼の旅を続けて行きたいと思います。私は今後も寛大、善良なこころを持って人生を歩みます。

護国寺の広大な敷地に紅梅と白梅が咲いています。親友の命日もこの時期の2月6日で紅白梅が咲いている時期です。梅花について唐朝 の詩人の劉希夷の”年々歳々花相似 歳々年々人不同”の詩で人の一生の儚さを表現しました。日本三大名園の一つの偕楽園へ一度梅花をみに行きたいと思っていますがこの時期に親友のことで胸が痛くて行く気力がありませんでした。

私は像容が親友と似っている一尊の観音菩薩像を供養しています。私の親友、日本のお母様は永遠に私のこころに生きています。


2月19日 MUより









★コメントをしたのですが、長文の為 コメント欄にが収まりませんでした。 やむなく 此処にコメントさせて頂きます。

何時も 仏像を単なる 美術品と見ない貴女に・・・、感銘で、嬉しく思います。尊敬する金子啓明先生は「心」と表現されてます。私も仏像の心を大切にした 接して行きたく思います。
少しでけ勉強したので、仏教は死後の云々を言う宗教ではないと思ってます。釈尊は 「死」の問いに・・・、形而上学的な質問との理由で、その質問には答えを与えなかったことの事です。 「如何に生きてい行くのか」を意味ある本質の問題とされたと解釈してます。
信仰と仏教は 少し違うと思います。 日本でも仏教学者の葬儀は 故人の 遺言で 無宗教形式にされるを良く見ます。 また奈良の大寺では、長老、管主 などの 重要の方が亡くなっても、その大寺では葬儀をしないと聞きます。 私にも分かる気がします。
分科会の方では、美術史より、宗教の切り口で、仏像を考えたく始めてます。良ければ参集ください。 
宇宙の真理・真如そのもの、仏性を「法身」 人が見れる仏を「応身」と考えます。 仏像は そこに心(仏性)がやどる「応身」ととらえたく思ってます。
観心寺の如意輪 、聖林寺の十一面 ・・・、 お捉え方でなしに、観音(観自在)とは何か? 如意輪の心、 十一面の心を 知りたく思って 集ってます! 宜しければ分科会にも お出で下さい!」 孤思庵