孤思庵の仏像ブログ

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KNさんの 愛知・三重 仏像拝観記 転載

★集のメンバーKNさんが仏像拝観記を寄せられました。転載して ご紹介します。

2014.10.18~19 愛知・三重観仏記
10/18(土)
 国分寺 以前から拝観したいと思っていた国宝の銅鏡のある三重・金剛證寺が10/1~21まで御開帳、来年3/31まで+50の東海道新幹線開通50周年記念で、新幹線+宿泊セット料金が破格という好条件が重なり、1週間前に京都・滋賀の観仏から帰ったばかりだが今回の愛知・三重観仏を思い立った。お寺の数日本一という愛知県だが、稲沢市文化財の宝庫なので訪問することにする。
名古屋駅から名鉄に乗り換え国府宮駅へ、そこから名鉄バス矢合観音行に乗る。ちょうど矢合観音の縁日でバスは満員、しかもおばあちゃん達の尾張弁でものすごく賑やか。「矢合観音」とバスの中でMUさんと話していたら、後ろの席のおばあちゃんに「やわせ」でなく「やわ↑せ↓」と発音を直される。
稲沢市国分寺には鎌倉期と室町期の重文宝冠釈迦如来坐像がある。どちらも漆箔・玉眼だが室町期の仏像の方が二回り程小さくまとまっている。腹前に裙の結び紐を見せる。他に重文伝覚山和尚坐像(南北朝)、重文伝熱田神宮夫妻坐像(南北朝)がある。稲沢市のHPではすべて鎌倉期作となっていた。
赤ちゃんを抱っこしたお寺の若奥様に安楽寺に向かう道を伺うと、地図を渡して下さりながら丁寧に教えて下さった。

安楽寺 稲沢市には奥田と船橋とに二つの安楽寺がある。私たちが向かうのは国分寺から徒歩15分位の船橋安楽寺。矢合観音の参道を抜けて行く。
収蔵庫の入口に老婦人が日向ぼっこをしながら待っていて下さり、重文阿弥陀如来坐像(藤原)、重文釈迦如来坐像(藤原)を拝観させて頂く。阿弥陀様は体が赤っぽい。住職がお留守なので硝子戸越し拝観になるとの事。重文十一面観音立像(藤原)のお姿が見えないので伺うと秘仏でお厨子の中、御開帳は不定期らしい。県文兜跋毘沙門天像はお厨子の後ろになるため硝子戸を開けないと見えないそう。
老婦人がタクシーを呼んで下さり待つ間にお話ししたが、矢合の発音が普通だった。バスの乗客や安楽寺境内で話したお寺のご近所の方は尾張弁がきつかったが国分寺安楽寺の奥様達は標準語に近かった。

長光寺 30分位待ってやっと来たタクシーで六角堂東町の長光寺に向かう。運転手さんがナビではなく、本の地図を見ながら運転しているので大丈夫かと不安になる。名鉄とJRの二本の線路を渡りようやく長光寺にたどり着く。2500円弱だった。
重文地蔵菩薩立像(鎌倉)は鉄造とは思えない滑らかな仕上がりの仏様だった。漆箔はすっかり剥落していたが、お顔は優しく素晴らしい。鋳バリも背面に三筋あるだけと言う。膝前から下は檀に隠れていて足元や台座が見られないのが非常に残念。国の一大事の時は全身に汗をかいてお知らせすると言うので「汗かき地蔵」と呼ばれていると言う。前住職は伊勢湾台風の前に見た事があると聞いたとお寺の若奥様が話して下さった。安置されている地蔵堂はこちらも重文である六角円堂。伺うと六角堂の地名はこの六角堂に由来しているとの事。
事前に拝観依頼の電話した時、年6回の開帳だが東京からわざわざお見えになるならと拝観のお許しを頂いた。また帰りにはJR清洲駅まで車で送って下さり、別れ際にお地蔵様のお姿の入ったお守りを下さった。ご親切な若奥様には帰京後お礼状をお送りした。

竜照院 名古屋駅から関西本線で蟹江駅下車。駅前で迷っているとどこに行くのかと声を掛けて下さった女性がいる。竜照院に行くと答えると、その側に住んでいるという方で行き方を教えて下さる。一緒に行こうかと言って下さったが足が遅いからと辞退する。声を掛けて下さらなかったら全く違う方向に行ってしまうところだった。
毎月18日はボランティアガイドさんが案内して下さる日で、テントの下に10人位ボランティアガイドさんが待機していた。初老の男性と若い女性が声を掛けて下さる。
重文十一面観音立像(平安)は、かつては60年に一度開扉される秘仏だったが平成17年3月31日に収蔵庫が完成してから、毎月18日に開扉されるようになったとの事。硝子戸越しの拝観だが、落ち着いた穏やかなお顔でいつまでも見ていたい。写真より実物の方が断然素晴らしい。修理の際像内から見つかった墨書銘の写真があるが、「常楽寺造立新佛十一面観世音菩薩」や結縁者の名前が読みとれる。
次の拝観者が見えたので一度外に出て、秀吉お手植えの銀杏や新撰組隊士佐野七五三之助の碑等案内して頂いた後、また収蔵庫に戻る。
先程の拝観者の方がまだ中にいて、裙の折り目の下に見えるシミは節で、霊木で造られているのではないかとおっしゃる。先程拝観した時、右瞼の黒く見えるのが気になっていたのであれも節かと伺うとそうかも知れないと言われる。

七寺(ななつでら) 正式名は長福寺と言い、萱津→稲沢→清洲大須と移されてきたお寺。七寺というのは787年、紀是広により七堂伽藍が建立されたところから来たもの。戦前には阿弥陀三尊と持国天多聞天が並んでいた事がわかる写真が残っている。昭和20年3月19日の空襲ですべてを焼失、観音菩薩坐像、勢至菩薩坐像だけ庭に運び出す事が出来たそうだ。
観音菩薩像、勢至菩薩像は配置が一般とは逆で、向かって右に勢至菩薩、左に観音菩薩が安置されている。戦前の写真でもその並びになっている。暗いのでご住職が懐中電灯を付けて下さったが、もっと長い時間付けていて貰いたかった。いつもLEDライトを持ち歩いているので、「付けていいですか?」と伺いたかった。
短い間の点灯だったが、両菩薩の条帛の端の彫りの違いや勢至菩薩に残る造立当初の光背の美しさはしっかり目に残った。戦前の写真に見える瓔珞を取ったのは、傷付けないようにとの文化庁の指導があったためとの事だった。
疎開していたため難を逃れたという、唐櫃入紙本墨書一切経も拝観させて頂けた。大般若経600巻を納める唐櫃中蓋には美しい蒔絵が描かれている。京都・東京・奈良の各国立博物館大阪市美術館、名古屋博物館にも寄託しているとの事。経には本家の中国でも原本の所在不明の偽経の写経が含まれていると伺った。
境内には空襲のため焼けた、露座の大日如来坐像が痛々しい姿でお座りになっていた。

栄国寺 まだ4時15分だったので、予約はしていなかったが七寺から徒歩15分位の栄国寺に行ってみることにする。切支丹遺跡博物館が付設されていて、本堂の仏像も拝観させて頂けるとせきどさんのHPに書いてあった。博物館の入口は閉まっていたが奥様に拝観のお許しを頂く。お出掛けになる予定があるので早く閉めたとの事だったので、切支丹遺跡博物館はパスし、本堂に入れて頂く。入館料が100円でそのまま本堂も拝観させて頂けるとHPで読んでいたが、阿弥陀様の前で一応拝観料を伺うとお賽銭で結構ですとおっしゃる。そのままお賽銭を賽銭箱に入れようとすると、横からMUさんの無言の圧力を感じたので千円入れることにする。
本尊の県文阿弥陀如来坐像は空襲の時もこの付近は焼け残ったことから「火伏不思議の弥陀」と呼ばれているとの事。定朝様式で像高約180㎝の大きな仏像。本堂内には他に胎内に木造の内臓模型の入っている五臓阿弥陀仏(模型は像に戻しているので写真が置いてある)、清凉寺式釈迦如来像(縄目状ではなく螺髪)、馬頭観音、釈迦涅槃像などが安置されていた。
この辺りはお寺と仏具屋さんが非常に多い所だった。

10/19(日)
金剛證寺 東京から名古屋までは新幹線で1時間40分だが、名古屋から金剛證寺までは近鉄急行と三重交通バス乗継で3時間半も掛かる。宇治山田駅で「みちくさきっぷ2DAYS」を購入すると金剛證寺までのバス料金が大幅割引になる。宇治山田駅から内宮まで、内宮から金剛證寺までと一度バスを乗り換える。
金剛證寺朝熊山の山頂にあるので「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の俗謡にも唄われると聞いていたが字余りでゴロがわるいなあと思っていた。榎本さんに「あさくまやま」ではなく「あさまやま」と読むと伺い納得出来た。
御開帳中の土日祝は宝物館が特別公開されている。重文雨宝童子立像(平安)は空海天照大神16才の姿を感得し彫ったと伝わっている。雨宝童子天照大神の化生と言われているとの事。仏像は他に最近重文に指定された地蔵菩薩立像(鎌倉)がある。 
肝腎の国宝の銅鏡は4面あったが、これが国宝かと驚く。以前、京都の泉屋博古館で見た鏡像を想像していたのにまるで別のものだった。方鏡が1面、円鏡が3面のどれも線刻阿弥陀三尊来迎像だったが保存状態が悪く一部錆が出ていた。しかし線刻ははっきりし阿弥陀三尊を拝する事が出来た。
御開帳のご本尊福威知満虚空蔵菩薩は日本三大虚空蔵菩薩の一つとの事。20年に一度伊勢神宮式年遷宮の翌年に開帳される。確か今年1月から3月に掛けても開帳されていた記憶がある。厨子入りのためお顔の上半分は拝することが出来ない。
一日4本しかない帰りのバスが来るまで時間があるので奥ノ院まで行ってみる。金剛證寺周辺には独自の山岳信仰があり山域は別名「山界」と呼ばれる。この世とあの世の交わる中間に位置する世界として信仰し、奥の院に塔婆を立てて供養する「岳参り」「岳詣(たけもうで)」などと呼ばれる風習があるとの事。角塔婆は最高50万円もするので驚く。さすがに1本に何人もの方の名前が書かれているものが多かった。駐車場の車から大音量で聞こえて来る音楽に山域の静けさが破られていた。
茶店で甘酒を飲んでからバス停に向かう。一日4本しかないバスだけあって、待つ人達は先程茶店で休んでいた人が殆ど。行きのバスで一緒だった人もいる。またバスと近鉄急行を乗り継いで名古屋駅に出て帰京した。

 
★集のメンバーKNさんが仏像拝観記を寄せられました、それをご紹介しました。