孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

仲間の観仏記 掲載

集のメンバーのkanaiさんに最近の観仏の事を集の場で発表をお願いしたら、代りに仏像拝観記のメールをくれました。ご許可を得て此処に紹介掲載します。 皆様も何でもよいので寄稿下さい。
 
 
2014.5.1718 滋賀・京都・兵庫観仏記
5/17(土)
 三井寺  毎年5月中旬土・日(2014年は5/17,18日)は三井寺の守護神・鬼子母神の祭礼「千団子まつり」。重文の秘仏護法善神鬼子母神)立像の御開帳がある。また山内の別所、微妙寺本尊十一面観音も土日祝日と毎月1718日開帳なのでそれに合わせて訪問した。
 
京都駅から東海道線に乗り膳所駅で京阪石山坂本線に乗り換える。京阪石山坂本線2両編成で都電のような雰囲気の電車。三井寺駅を出て徒歩10分位で仁王門に着く。
 
金堂本尊は金銅弥勒像だが内陣厨子に納められている絶対秘仏。外陣に平安から江戸時代までの仏像が40躯位並んでいるが重文はない。江戸時代の尊星王(そんじょうおう)像(妙見菩薩の別名)が月輪上に片足で立ち、頭上に鹿の頭を被っているのが面白い。円空仏も7躯安置。
 
近松寺(ごんしょうじ)、尾蔵寺とともに三井寺の三別所のひとつに数えられ、今は山内にある微妙寺の本尊重文十一面観音立像は藤原時代の作。台座から頭部まで檜の一木の檀像風。頂上仏まで頭部と考えると三頭身位のずんぐりした像だが胸飾や衣紋の彫りが素晴らしい。しかし厨子に入っている上にすぐ近くまでは行けないのでお顔はそれ程はっきりとは見えない。像の手前に等身大のお写真が展示してある。
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観音堂には毎月17,18日開扉の重文愛染明王坐像(藤原時代)が安置されているはずだが遠くてどこにあるかわからない。安置場所を伺おうにも、受付には御朱印希望者の列で、お坊さんも御朱印帳と必死に格闘しているので割り込んで伺うことも出来ない。諦めて外に出ると折良くお坊さんが通り掛かり外陣に入れて頂ける。しかし暗い上に幕が垂れ下がり残念ながら細部が見えなかった。
 
観音堂から石段を下って重文護法善神鬼子母神)立像(藤原時代)の祀られている護法善神堂に向かう。途中植木や苗を売っている屋台が並ぶ。子供の無事成長を願って開催されるらしい。千団子まつりは鬼子母神の千人の子供に千個の団子を供え供養することから始まったとのこと。千団子は8本入りと16本入りしかなくバラ売りがないので買えなかった。護法善神堂の前もお参りの人の列だったが順に一番前まで進むと彩色鮮やかなお姿が拝観出来た。檜一木造り、唐風の衣装で左手に柘榴を持つ等身大の彩色像。堂々としている。
 
今年は智証大師生誕1200年慶讃大法会が10/1811/24まで開催されるので、国宝智証大師坐像(中尊大師)、国宝智証大師坐像(御骨大師)、重文如意輪観音坐像、国宝黄不動尊画像、重文黄不動尊立像の開帳がある。
 
盛安寺  三井寺駅から再び京阪線に乗り穴太駅まで行く。無人駅で運転士さんが切符の確認をする。パスモを取り出すのに手間取り、電車の発車が少し遅れ申し訳なかった。駅から10分位で盛安寺に着く。案内表示が何カ所か出ていてわかりやすい。ガイドブックを持った男性が歩いていたので行先は盛安寺だろうと思っていたらやはり盛安寺で再会。お堂の正面をお譲りしようとしたが「いいです」とチラ見で行ってしまわれた。次に親子連れと見られる女性たちが訪れたが長くはいなかったので私達はゆっくり拝観出来た。盛安寺の重文十一面観音立像は正月三箇日、五月連休、五月、六月、十月の土曜日のみ拝観可。お寺の門前の道路を渡ってすぐのお堂の中に安置されているが、人通りのない脇道に面している上、お寺の方はどなたもいらっしゃらないし正面の硝子戸のガラスが2枚入っていない(良く見えるようにとのご配慮と思われる)ので盗難が心配になった。
井上靖の小説『星と祭り』に登場する十一さんでしたよねッ!)
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本堂安置の本尊は阿弥陀如来坐像を中尊とし、左に薬師如来坐像、右に釈迦如来坐像の三尊形式。釈迦如来だけが鎌倉時代の重文。この三体本尊は叡山で行う「仏名会」の本尊であったといわれるもの。須弥壇の幕は丸に二の字の紋(盛安寺の紋所ではないの?)日光輪王寺の飛び地であったとの説明。江戸時代に天海僧正の助力を得たと本に書いてあったが飛び地であったためか。草花の天井画が残る。
 
本堂の左端に重文地蔵菩薩立像が安置されている。元愛宕山本尊で院藝が仏師の一人である事が足枘に朱漆で書かれているとの事。院藝は山本勉氏の仏師系図には載っていない。寄木造りで玉眼、盛上げ彩色。金銅製宝相華唐草透かし彫りの挙身光背も当初のもの。廻りの月輪は翡翠、珊瑚、水晶等で「キリーク」と「カ」が表されている。「素晴らしいですね」と光背ばかりを誉めてしまった。
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重文の客殿にも案内して頂けた。狩野探幽、尚信、信政、久隅守景の水墨画の襖絵が残るが色が大分薄くなっていた。杮葺きの書院造り。本堂から客殿に行く途中にある庭園には秀吉が移植した蘇鉄が植えられている。比叡降ろしの風雨を避けるためのテントが掛かっていた。明日取る予定だとの事。
 
壇上には左から重文十一面観音立像、重文月光菩薩立像、重文日光菩薩立像、引接(いんじょう)弥陀を安置。引接とは仏が衆生を救い取って極楽へ導く事。
 
十一面観音像は内刳りのある檜の一木造、ところどころに金箔が残る。彫は浅い。藤原時代の作。
日光・月光菩薩像は金泥、玉眼。裙や条帛の彩色や切金が美しい室町時代の作。山と渓谷社の「仏像」で見て、いつか拝観したいと思っていた美仏に間近でお会い出来嬉しい。引接弥陀は左右の手が逆の逆手来迎印で宋風。
 
 
お寺には奈良時代作の重文銅造薬師如来立像があるが、現在休館中の琵琶湖文化館に寄託されていて拝観出来ない。ご住職が返して貰いたいと再三催促しても、文化館の実績がなくなるからと返却に応じてくれないとの事。8/16の虫干し会には公開される。またこの日は国宝の六道絵も見られる。
このお寺は近江の正倉院とも呼ばれ数々の文化財が残るが、織田信長の家臣であった森可成(もりよしなり、森蘭丸の父)の墓があるため、信長の焼き討ちを免れたためだそうだ。
 
moriuchiさんが以前クラブツーリズムのツアーで拝観した時は間近までは入れて頂けなかったとの事で御配慮が嬉しく後日お礼状を出した。奥様は昨年膝の手術をしたとの事。お寺の奥様が正座出来なくてはさぞかしご不便だろうと思う。帰りにタクシーを呼んで下さると言うのを辞退し、今度は国道に出ず、新興住宅地の中を歩いて駅まで戻る。バラバラに開発された住宅地のようで道路が真っ直ぐでなく何度もカギの手状に曲がる。駅のそばのベーカリーでひと休み。冷たいクリームパンとカフェ・オレが美味しかった。
 
5/18(日)  
京都国立博物館  4/226/15まで特別展「南山城の古寺巡礼」を本館で開催中。ホテルを9時前に出て京阪本線三条駅から七条駅まで電車に乗る。開館時間の15分位前に着くとすでに15人位並んでいた。封筒を手渡されたので何かと思ったら、「国際博物館の日」来観記念の博物館本館の写真入りテレカだった。本館の屋根の下の壁に彫刻されている「毘首羯磨」も確認出来るデザイン。クオカードだったらもっと良かったのにと思う。
 
南山城のお寺は4年位前に笠置寺と一休寺以外は孤思庵さんに運転して頂いて5人で拝観しているが、今回の特別展での再会が楽しみな仏像がいくつもある。
 
そのひとつ、海住山寺の重文十一面観音立像はお寺で拝観した事はないが、展覧会で二度ほどお目に掛かっている。本展では榧などを白檀に見立てた可能性とのキャプションがあったが、井上正氏の「檀像」では白檀像となっている。衣紋の彫りがすばらしい。大仏殿様の重文四天王立像も彩色が良く残っていてすばらしい。お寺で一度、金沢文庫の展覧会で一度お目に掛かっている。邪鬼が玉眼である事に初めて気付く。無指定の地蔵菩薩立像は海住山寺子院の法性寺のもので作風的に善円を思わせるとのキャプションがあった。本展事前調査による新発見との事。
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出品一覧のタイトルに「瓶原海住山寺」とあり何と読むのかと思っていたら、「みかのはら」だった。百人一首にある中納言兼輔の「みかの原 わきてながるるいづみ川 いつみきとてか 恋しかるらん」のみかのはらで、元明天皇以来離宮が置かれ、聖武天皇恭仁京を置いた地。いづみ川は泉川、今の木津川との事。
 
もうひとつすばらしいのは、寿宝寺の重文千手観音立像。実際に千本の手を持つ藤原時代の檜一木造りの像(唐招提寺葛井寺と並んで千本の手を持つ千手観音の三大傑作)。お寺で拝観させて頂いた時は赤ちゃんをおんぶした奥さんが説明して下さったが、あの赤ちゃんも幼稚園の年長さん位に成長したかなとあの時の光景を懐かしく思い出す。収蔵庫内のライトを上から当てた昼の顔、下から当てた夜の顔と両方見せて下さったが、博物館では上から当てた昼のお顔だった。お寺では気付かなかったが、額に縦に三つ穴が開いている。一番下は白毫だと思うがあとの二つがわからない。
 
また、浄瑠璃寺の重文薬師如来坐像は三重塔に安置されている像で初めてお目に掛かった。キャプションには承久二年作か、とあった。私達がお寺に行った時は、薬師如来はアライグマに齧られる被害に遭い修理中でお留守だった。
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未指定の大日如来坐像にも初めてお目に掛かる。玉眼を入れた痕跡がお顔の前面に残る。印を結ぶ両手が体に近づいているのが横蔵寺大日如来と似ている。割首の跡もはっきりわかる。康慶工房か康慶弟子筋の作かの判断が難しいらしい。
 
その他、岩船寺重文普賢菩薩騎象像、現光寺重文十一面観音坐像、神童寺重文愛染明王坐像(天弓愛染)、禅定寺重文十一面観音立像の諸像も懐かしく拝観した。ただ観音寺国宝十一面観音立像、蟹満寺国宝釈迦如来坐像がともに写真展示だったのと、大智寺の仏像が全然出ていなかったのが残念だった。重文文殊菩薩騎獅像にはまたお会いしたかった。
 
神咒寺(かんのうじ) バスで京都駅に出て山陽本線快速で1時間位で西宮駅に着く。1時間に1本しかない鷲林山東回りの最終阪神バスに乗り甲山(かぶとやま)大師下車。
 
本尊の重文如意輪観音像は毎年5/18のみ開扉。今年は日曜日だったので午後なのに大勢の参拝客で賑わっていた。昨年も土曜日で混雑したらしく、お手伝いの信者さん同士で「来年から平日になるから(楽になる)」と話しているのが聞こえた。
 
厨子中に安置された如意輪観音は六臂で右足を立膝にし、左足を横にするが左足は後補。元は半跏像であったかもしれないらしい。サクラ材の一木造りで彩色。何とも不思議な表情をしていらっしゃる。観心寺像、室生寺像と並んで日本三大如意輪一つと言われているし、「念彼観音力」のタイガーズカフェさん([タイガースカフェ]さんのアメーバブログ[念彼観音力]が毎年見たい三大年1回開帳秘仏観音として観心寺如意輪観音興福寺南円堂不空羂索観音とともに挙げているので期待が大きかった。列を作って拝観の順番を待つため、すぐ前までは行かせて頂けるが、ずっとそこに立って拝観させて頂けないのが残念だった。
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他に大師堂の弘法大師坐像、不動堂の不動明王坐像、納骨堂の聖観音立像がある。皆重文で間近で拝観させて頂けるがこれが重文なのか、と言う印象。
 
帰りのバスを待つ間に、山内のベンチから眼下の西宮や大阪の街並みが遠望出来た。再び快速で西宮から京都に戻り、新幹線で帰京した。
 
 
ブルー文字の書き込みと写真は、孤思庵が勝手に挿入いたしました。お気に障ったらお許しください)
 
★kanaiさん寄稿有難うございました。
気負らない日記の中に、されど仏像への造詣・見識が随所にの良い観仏の日記でした。
多くのお寺をは拝観済みのお方で、行かれるお寺は流石に一般を超えてますね。
 
公募で誘っても叶わないようです、諦めました。今度のそちらの拝観ツアーに一緒させてください。
皆さん 宜しければコメント付けてください