孤思庵の仏像ブログ

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KNさんの投稿 2015.10.31~11/1 京都・奈良観仏記

KNさんが観仏記を投稿してくれました。ご紹介します。


2015.10.3111/1 京都・奈良観仏記


法隆寺上御堂の国宝釈迦三尊開帳に合わせてこの時期の観仏旅行を計画し、SBさん、JUさん、OTさん、MUさんと私KNで出発。女性4人はJR東海50+の奈良124000円プランでのぞみ号に乗車したが、SBさんが利用したジパング倶楽部3割引切符はのぞみ号には乗車出来ないため、先発のひかり号で出発して頂き京都駅で待ち合わせた。


 


10/31(土)


 西明寺 全国寺社仏像ガイドには10/821開帳となっていたので、昨年10月の観仏時訪問しようと考え確認の電話をした。ところが開帳は「木津川市秋の秘仏特別開扉」に合わせ10月末土日~文化の日までに変更したとの事で拝観は出来なかった。今回はちょうどその時期の観仏旅なのでお寺に確認したところ今年も特別開扉がある事がわかった。


 重文薬師如来坐像(平安)は欅一木造で胎内に永承2年(1047年)の銘がある。興福寺薬師如来像の影響が見られると全国寺社仏像ガイドには書かれていたので期待したが、興福寺像よりずっと庶民的なお顔立ちだった。台座が当初のものなのは貴重。


 本堂の右手の庭に鎌倉時代の笠塔婆や五輪塔が残る。笠塔婆の塔身上部に像高20㎝位の小さな坐像が刻まれている。


 

 高田寺(こうでんじ) 神奈川仏教文化研究所HP
を見ていたら木津川市・秋の社寺秘宝秘仏特別開扉の
お顔立ち。阿弥陀如来と思われていたのが、修理の際薬師如来とわかったとのご住職の説明だった。また台座裏に「保安」(11201123年)の年号や藤原実方の和歌、落書きのような人物顔略図などが見られる事が赤外線撮影によりわかったが、ご住職も見た事がないとのお話だった。後日Mさんから台座裏墨書などの資料を見せて頂き一部分をコピーさせて頂いた。


 


 常覚寺 地元の方には「ふげんさん」と呼ばれ親しまれているお寺。以前SBさんが普賢延命菩薩の事をブログに載せていたので日本仏像事典で調べたところ、重文の多臂木彫像が常覚寺と法隆寺にある事がわかりいつか拝観したいと思っていた。


 木津川市から常覚寺のある五條市までは国道24号線を経由して2時間弱だが渋滞がひどい。高田寺で時間を取ったため、昼食も車中で済ませたが事前に電話で拝観のお願いをした時間にはとても間に合わない。車中から1時間位遅れると電話する。途中、名産の柿の販売所が多数あり寄りたくなる。


 事前に奥様に拝観のお願いをした時には、秘仏のため外陣からの拝観になるとのお話だった。しかしご住職は、普賢延命菩薩は九州に2躯(後日調べたところ、佐賀県竜田寺・大分県大山寺だと判明)、橋本の普賢寺にあるとか、開帳は10年に一度だが檀家さんの間で毎年開帳しようとの話が出ているとか、次回開帳は平成31年だとか、自分は養子だとか余計な話ばかりでなかなか厨子の扉を開けて下さらない。見せて下さりそうな雰囲気を出しながら、結局秘仏だからと開けて下さらず諦めるしかなかった。


右隣の檀には重文釈迦如来立像(藤原)が安置されているが、厨子の扉を開けなかったお詫びの気持ちからか、特別に内陣から拝観して良いとおっしゃる。近くの崇福寺から移されたと伝えられる穏やかなお顔、お姿の仏様だった。同行の皆様には申し訳な
く、これからは電話をして許可を頂いても、手紙で再確認した方が良いと痛感させられた。


国道24号線は混むので避けた方が良いとのご住職のご忠告だったが、土地勘がないためナビの言う通りにしか進めず、次に行く予定の栄山寺・奈良博も時間切れでカットせざるを得なかった。SBさんが途中、柿の販売所で車を停めて下さったので念願の柿を買うことが出来た。沢山おまけして貰ったので、翌日車中でのおやつになった。


 


11/1(日)


 法隆寺 毎年11/13は上御堂(かみのみどう)釈迦三尊像の御開帳日。朝八時から開帳しているので、別のホテルに宿泊したSBさんは710分に迎えに来て下さった。


 こんなに朝早い時間に法隆寺に来たのは初めてだが、観光客の姿は殆どなく清々しい雰囲気。西院伽藍の大講堂裏に建つ上御堂本尊の国宝釈迦三尊像(平安)はサクラ材の一木造で堂々としたお姿。上御堂が創建された当初からの本尊であったと考えられているらしい。脇侍の普賢菩薩曼荼羅に近い数少ない遺例と日本仏像事典に載っていた。蓮華を一輪持っているところを指しているのか。


 金堂の国宝金銅釈迦三尊像(飛鳥)を始めとする諸仏も、空いているからじっくり拝観する事が出来た。金堂内部は暗かった記憶があるが、思っていた程暗くはなかった。しかし国宝吉祥天立像・毘沙門天立像(平安)は、昨年東京芸大美術館で間近で拝観したので、それに比べると遠いし彩色がはっきりしなかった。


 夢殿の本尊救世観音像は毎年4月11日〜5月18日、1022日〜1122日に開帳なので今回も拝観する事が出来た。JUさんは初めての拝観との事で喜んでいた。



 西院伽藍に入場する前の正面にある中門に塑造の金剛力士像(奈良)がある。今まで通り過ぎていたが、今回はSBさんの説明があった。門に立ち風雨に晒される仁王像は傷みやすいのに、塑造ではなおさら傷みやすい。そのため吽形像は体部が木彫に置き換わっているとの事。阿形像も修復されているが、それでも両方とも迫力がある。


 


 中宮寺 九時からの拝観時間に合わせて伺う。国宝菩薩半跏像(飛鳥)は楠の部材を矧ぎ合わせて造られた。当初は彩色されていたが、現在は下地の黒漆の光沢が美しい。寺伝では如意輪観音と呼ばれているが、飛鳥時代には如意輪の信仰はなく、弥勒菩薩あるいは悉達太子像かと言われている。説明のテープの再生を何度もお願いしたら、印刷してある紙を下さった。


 OTさんが以前、SBさん、もう一人と三人で梅雨時に伺った時は、すごい雨で誰も来ないだろうからと内陣に入れて下さったと言う。今回はそんな奇跡は起こらなかった。


 中宮寺内田康夫のミステリー小説「風のなかの櫻香」に尊宮寺として登場する。お寺の名前だけは変えてあるが、許可を頂いてご門跡の名前、秘書の方の名前は実際の名前そのままと言う。物語はフィクションだがお寺の雰囲気を思い出しながら読み直してみようと思う。


 


 法輪寺 昭和19年、落雷のため焼失した三重塔の再建40周年記念特別展が11/17日まで開催された。再建時に使った鋸、ヤリ鉋などの道具が展示され珍しかった。
 講堂には重文の薬師如来坐像(飛鳥)、伝虚空蔵菩薩立像(飛鳥)、十一面観音立像(平安)、弥勒菩薩立像(平安)、地蔵菩薩立像(平安)、吉祥天立像(平安)を始め11
躯の像や鴟尾などが安
言う。今回はそんな奇跡は起こらなかった。


 中宮寺内田康夫のミステリー小説「風のなかの櫻香」に尊宮寺として登場する。お寺の名前だけは変えてあるが、許可を頂いてご門跡の名前、秘書の方の名前は実際の名前そのままと言う。物語はフィクションだがお寺の雰囲気を思い出しながら読み直してみようと思う。


 


 法輪寺 昭和19年、落雷のため焼失した三重塔の再建40周年記念特別展が11/17日まで開催された。再建時に使った鋸、ヤリ鉋などの道具が展示され珍しかった。


 講堂には重文の薬師如来坐像(飛鳥)、伝虚空蔵菩薩立像(飛鳥)、十一面観音立像(平安)、弥勒菩薩立像(平安)、地蔵菩薩立像(平安)、吉祥天立像(平安)を始め11躯の像や鴟尾などが安置されている。以前、このグループで来た事があるし、今年7月に奈良博「白鳳展」でもお目に掛かっているし、伝虚空蔵菩薩立像にお会いするのは三回目。お顔が独特で一度拝したら忘れられない。


 


 福智院 10/172311/172016.3/1723秘仏の宝冠十一面観音立像(室町)が開帳されるというので行く事にした。伊勢の浄水寺に安置されていたが、廃仏毀釈により迎えられたと言う。お厨子の中でお顔立ちが今一つはっきりしないし、宝冠があるので頭上面もよく見えない。ライトを付けて良いかと聞ける雰囲気ではなく、お地蔵様と組み合わせの絵葉書を買った。


 本尊の重文地蔵菩薩坐像(鎌倉)は大奥様の説明では、丈六より大きい丈八との事。丈八という言葉は初めて聞いた。このお地蔵様の説明を書いたどなたかのブログを印刷し持っていたので、読み上げながら拝観していたところ、大奥様が側から説明して下さった。他の人には説明してしないので何で?と思ったが、私達は確認しながら拝観していたためかもしれない。光背の化仏は560躰、六地蔵と本尊を入れると567躰であり、567千万年後に下生する弥勒に因むというご説明だった。


 


 東鳴川(ひがしなるかわ)観音講(応現寺) 三井記念美術館特別展の帰りに「奈良まほろば館」で入手したパンフレット「祈りの回廊」に、重文不空羂索観音菩薩坐像(藤原)が毎月第一日曜日に特別開帳と出ていた。今回の日程がたまたま第一日曜日に当たっていたので拝観先に加える。
分かりにくい場所だろうとは予想していたが、「重文不空羂索観音」の案内表示のところを曲がり坂道を上ったあと案内表示がなくなる。車を降りてJUさんとMU
さんが道を聞きに行ったが、
ちょうど応現寺に入る道だった。中年女性と戻って来たが、ここに車を置かれたら困ると嫌味を言われているようだった。車を置かないようお寺の人に言うようにとの事だが、管理しているのは観音講の方で言えない。東鳴川町はわずか15世帯で観音講13世帯で構成されると言うから、たまたま観音講に入っていない方だったようだ。


集会所の一部が応現寺のお堂になっていて、不空羂索観音菩薩坐像が安置されている。かつて興福寺と関係のあった善根寺(ぜんこんじ)に祀られていたらしい。三目八臂で鹿皮を纏ったお姿。南都焼き討ちで失われた興福寺南円堂不空羂索観音の模刻と考えられている貴重な作。


受付にいらした観音講の方に、この観音様を知った理由を聞かれ、「祈りの回廊」でとお答えする。机の上にも「祈りの回廊」が何部か置かれていた。また記帳録を見ると私の前に記帳された方は何と同じ東京都I区の方だったので偶然に驚いた。


 


東寺 10/3012/6まで、拝観50周年を記念して講堂で非公開の須弥壇北面を特別に公開。二十一尊を安置した須弥壇をぐるりと周回しながら拝観出来るという初めての試みだそうだ。また、金堂で本尊薬師如来を守護する十二神将が灌頂院(かんじょういん)で初公開される。


講堂に入って驚いたのは団体拝観客の多さだった。南面からでは後ろを通る事も出来ない。そこで先に通常非公開の北面から拝観する。降三世明王の光背の穴から、後ろからでなければ見られない四面目の顔が見え、この降三世は三面ではなく四面だったのかと感激する。団体客が出た後はゆっくり拝観出来た。


灌頂院入口には九十九折に拝観者を誘導する綱が設けられていた。しかし時間が遅かったためか並ぶことなくすぐに入場出来
た。灌頂院は、以前榎本さんに教わった後七日御修法(ごしちにちみしゅほ)が1/814日まで行われるところ。


金堂での通常拝観では見る事の出来ない北側「子神将」など十二神将すべてを間近で拝観することが出来た。十二神将を乗せた台は新しく作られたものだったので、また公開するつもりがあるのではないかと思った。


 


今回は一日目に渋滞に巻き込まれ計画したすべてのお寺に行けなかったが、二日目は運転して下さったSBさんのお陰で盛り沢山の計画をこなす事が出来た。帰りの新幹線はSBさんもすぐ近くの座席が取れ、話しながら帰京することが出来た。                     KN