12月1日 仏像鑑賞会 報告 【その2】 阿弥陀の九品印相
Ninoさんが、12月1日の仏像愛好の集定例会の レポートを纏めて メールしてくれました。 遅ればせながら ブログに 12月度の定例 議事録に代えて、この前のブログに掲載しました。今回はその続きです。
12月1日議事録 ②
阿弥陀如来立像 | 鎌倉時代・13世紀 | 個人蔵 |
- 来迎印を結んでいる(阿弥陀の)来迎印:通仏相の施無畏与願印に似て、右手を上げて左手を下げてともに掌(たなごころ)=手の平 を前に向け、それぞれの手の親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作る。信者の臨終に際して、阿弥陀如来が西方極楽浄土から迎えに来る時の印相= 来迎印(らいごういん)=摂取不捨印 をしている。
いずれにしても、いわゆる九品印の例はなく、転法輪印もしくは、施無畏与願印が確認できるだけ のようです
ちょっと難しくなるが、図像文献の『覚禅鈔』に恵運請来九品曼荼羅というものが書かれていて、そこには九品往生印についての記載があるのです。
↓『覚禅鈔』には、九品往生印と書かれている・・
http://livedoor.blogimg.jp/naranouchi/imgs/7/2/724d3c1c-s.jpg
この『覚禅鈔』の記述にしても、「儀軌がないために単なる異説の一つとしかいえない」(田村、後述)ので、九品印の典拠にはならないのです。(→而して、後世いろんな展開になってしまう様です。)
九種類の印相の事が言われるようになったのは、仏像図彙(ぶつぞうずい)からでして、仏像図彙は江戸時代に描かれた仏画集でして、土佐秀信画で元禄3 年(1690年)の刊。であります。九品印の九体阿弥陀は、江戸以降の様で、古い九体阿弥陀の遺作には、九種類の印相の使分けをしていません。
この『覚禅鈔』の記述にしても、「儀軌がないために単なる異説の一つとしかいえない」(田村、後述)ので、九品印の典拠にはならないのです。(→而して、後世いろんな展開になってしまう様です。)
九種類の印相の事が言われるようになったのは、仏像図彙(ぶつぞうずい)からでして、仏像図彙は江戸時代に描かれた仏画集でして、土佐秀信画で元禄3 年(1690年)の刊。であります。九品印の九体阿弥陀は、江戸以降の様で、古い九体阿弥陀の遺作には、九種類の印相の使分けをしていません。
cf.浄瑠璃寺の九体阿弥陀、然りです。 一方、東京都世田谷区奥沢の九品仏浄真寺の印相は上品上生 から 下品下生に作られていますが、九品仏浄真寺は、越後国村上泰叟寺の珂碩上人(元禄7年1694年寂)を請うて延宝6年(延宝6年1678年)当地に創建したといいますから九品仏のその制作年代は、1678年頃と見られます。仏像図彙が1690年で、九品往生を9通りの印相で表す教義的根拠は他に明確はなく、以上から九品往生を9通りの印相で表す教義は、近世になってから日本において考え出されたもののようである。
整理されたウエブを見つけました。
九品阿弥陀の印相について,上品・中品・下品の各上生の印を定印とし,同じく中生印を説法印に,下生印を来迎印に当てて九種の印を組み合わせたものが,《仏像図彙》(江戸時代)などに見られ,現在も一般の概説書等に取り上げられているが,これらを説く儀軌はなく,しかも近世以前にはそれに基づいて造像されたものは存在しないことから,この九品印は近世に考案されたものと推定され,阿弥陀の印相としては説明すべきではないとの提言がなされている。【関口 正之】。…
印によって、仏像の語りかけて来る言葉を理解することが大事。
※この像は、左手、右手で親指と合わせる指が異なる。片方は薬指、片方は人差し指 珍しい。
その意味するところは??です。 どなたか教えて下さい!
- 【続く】