【報告】1月5日の仏像愛好の集 七福神巡り 【11名の集でした】
【報告】
誘われてご一緒された。新規のお連れの方も含め、11人の参集で無事 『深川七福神めぐり』 を しました。 時間は押し気味でしたが、下段の 予定七福神を 皆で廻りました。時刻は昼過ぎ、一緒の店が良かったのですが,店のスペースの関係で、中華店と,日本蕎麦 店とに分かれての昼食、いきさつ有りて大方は中華そばに、私たちは もり蕎麦と 深川めしのセット。 昼食後、予定してました 深川不動にも参拝、 1Fの不動堂護摩壇にての護摩供 を少し見て、4Fの大日堂で信者奉納の数知れずの大日像 を見学して、深川不動をあとに、一部は此処で早退、そして「学習センターで待ってる」との七福神めぐり不参加の人からの携帯電話が入りましたので・・・、残り6人は、TAX 2台で いつもの生涯学習センターに向かいました。本日は個人発表は無しで。新春のサロン的雑談 で1時間半 5時からは いつもの同建物2階の バーミヤンで7人でアフター飲食会をしました。
<<<1月5日(土)の仏像愛好の集 スケジュール>>>
『深川七福神めぐり』を します。いつもと相違の集合です。集合場所に、ご注意を・・・!
↑ クリックすると 略図が出ます。
七福神信仰について
七福神は室町時代の末期頃、農民や漁民の民間信仰として成立しました。七福は「仁王経」の七難七福という言葉が語源とされ、経典の「七難即滅 七福即生」とは日月の難、星宿の難、火災の難、水害の難、風害の難、干ばつの難、戦乱盗賊の難の七難がたちどころに消え七福が生ずるということであります。七つの福徳をそれぞれの神に配しております。大黒天、毘沙門天、弁才天は仏教から、寿老人、福禄寿、布袋は中国道教、恵比寿神が神道から来ております。 七福とは定かでないが、江戸時代初期、上野寛永寺の開祖である天海僧正は徳川家康に 寿命 寿老人 有福 大黒天 人望 恵比寿神 清廉 布袋和尚 威光 毘沙門天 愛嬌 弁才天 大量 福禄寿 の七つの福徳が必要であると説いたので、家康は人心を鎮める方策として七福神信仰を採用したとされます。 江戸時代中期頃になると江戸中に七福神を祀る神社仏閣が建てられるようになり、江戸時代末期頃には全国に広がって、正月の松の内に巡拝する七福神巡りなど盛んに信仰されるようになりました。宝船に乗った絵を枕の下に敷いたり、床の間に飾ったり、商売繁盛の縁起物としても喜ばれるようになりました。 |
下段は、目安のスケジュールです。 時間を前倒しで 臨機に進行したく思います。
途中参加の方は携帯電話で,現在位置や進行予測をお問い合わせください。
途中時間を見て 現場での話し合いにより、予定を変更する場合も有ります。
【参考 目安予定】
①10:00 森下駅(都営大江戸線・新宿線) A7出口
徒歩(3分)↓
②10:05 深川神明宮 【寿老人】 10:10
徒歩 (10分)↓
③10:20 深川稲荷神社 【布袋尊】 10:25
徒歩 (15分)↓
④10:40 龍光院 【毘沙門天】 10:45
徒歩 (10分)↓
⑤10:55 圓珠院 【大黒天】 11:00
徒歩 (10分)↓
⑥11:05 心行寺 【福禄寿】 11:10
徒歩 (5分) ↓
⑦11:15 木弁天堂 【弁財天】 11:20
徒歩 (5分) ↓
①10:00 森下駅(都営大江戸線・新宿線) A7出口
徒歩(3分)↓
②10:05 深川神明宮 【寿老人】 10:10
徒歩 (10分)↓
③10:20 深川稲荷神社 【布袋尊】 10:25
徒歩 (15分)↓
④10:40 龍光院 【毘沙門天】 10:45
徒歩 (10分)↓
⑤10:55 圓珠院 【大黒天】 11:00
徒歩 (10分)↓
⑥11:05 心行寺 【福禄寿】 11:10
徒歩 (5分) ↓
⑦11:15 木弁天堂 【弁財天】 11:20
徒歩 (5分) ↓
⑧11:30 門前仲町にて昼食 12:30
徒歩 (3分) ↓
↓
↓
2:27 東京メトロ 「入谷 駅」 1番出口から
徒歩約8分 ↓
⑨2:35 生涯学習センター 306室 「勉強会」
全体のスケジュールを勘案する為に、 個人発表希望者は 勉強会冒頭に
その旨を 動議ぐださい!
⑩ 「勉強会」は 5:00 終了で、 アフターは 新年会を したく存じます。
7人で、バーミヤンで しました。
丈六の不動坐像、 数え切れないクリスタルの五輪塔が壁をつくる 「祈りの回廊」 、 etc.