孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

仏像の基礎勉強「仏像の存在意義」(明日は基礎勉強会)




今後の仏像愛好の集 今後の日程
② 7/28(火) 城南地区仏像巡りは 集合時刻が10時30分に変更に成りました。
★乗車定員まで、あと1席が残っています参加ご希望者は早めのご連絡を…。


〔済〕 7/21(火)  第三回 「初級 仏像基礎の勉強会」  
   10時に東洋館ロビーに集合 弁当持参
★「仏像基礎勉強会」 メンバー募集中  お試しに、どなた様も参集ください!

前回は 東洋館1Fにて、中国彫刻の最盛期である南北朝時代から唐時代の仏像を中心に鑑賞見学をしました。今回は2F の、インド・ガンダーラの彫刻 ( ~ 2015年12月23日) を午前中に鑑賞します。 【展示作品リスト 39件】 仏像の黎明のインドの仏像を一緒に鑑賞しましょう。

【午後の座学】は、テキスト『日本仏像辞典』の目次を参考に図像学の基礎を勉強します。『日本仏像辞典』中古本価格¥ 1,747+ ¥ 257 (関東への配送料)                      
   
(長期展望 : 上記が一段落したら、『〈カラー版〉日本仏像史』 (アマゾン中古品¥ 1,533 + ¥ 257 ) をテキストに美術史を中心に 仏像の変遷を勉強したく思います)            
               



② 7/28(火)  城南地区仏像巡り 
汗をかかずに自家用車利用の為 運転者の他には 4人まで ・ 6寺院を効率よく巡礼します。)
★乗車定員まで、あと1席が残っています。参加ご希望者は至急に ご連絡を…。

参加希望者は 孤思庵宛に ご連絡ください。 定員以上に成りました場合はご容赦を…

【現在応募】 孤思庵(運転)、 Odさん、 Ocさん、 Haさん  とで、 
★残り空席はあと1と成りました!


★申し込み多数の場合、他に自家用車提供があれば、定員が増加できますが・・・・

集合10:30 JR大崎駅西口 際路上 10:35→⑧→10:45 品川寺【15】11:00→⑬→11:15 (大井の大仏)養玉院如来寺【30】11:45→⑫→12:00 目黒 五百羅漢寺〔木造釈迦三尊(拈華微笑釈尊・迦葉尊者・阿難尊者)及び五百羅漢等像〕【45】12:45→⑤→12:50昼食【50】 1:40→⑯→2:00世田谷観音〔(重文)不動明王及び眷属 八大童子〕【60】3::00→⑮→3:15玉川大師〔暗黒の地下大霊場〕【30】3:45→⑯→4:05九品仏 真浄寺〔木造丈六 九品仏〕【45】4:50→㉕→5::15 JR恵比寿駅 〔解散〕



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   江戸六地蔵 第一番  品川寺
江戸六地蔵 第一番  品川寺

江戸深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706年)に発願し江戸市中から広く寄進者を得て、江戸の出入口6箇所に丈六の地蔵菩薩坐像を造立した。病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したものである。
鋳造は神田鍋町の鋳物師、太田駿河守藤原正儀により、像高はいずれも270cm前後である。造立時には鍍金が施されていた(東禅寺の第二番は弁柄色の漆)が、現在では金箔の痕跡をわずかに残すだけとなっている。それぞれの像内には小型の銅造地蔵菩薩坐像や寄進者名簿などが納められていた。また、像や蓮台には寄進者の名前が刻まれており、寄進者は合計すると72000名を越える。
 



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大井の大仏【養玉院・如来寺】 木造 丈六の五智如来が 間近に拝観できます。
 
五体がいずれも像高3mにも及び、「大井の大仏」と呼ばれている。
五像は、木食但唱が弟子と共に信濃国伊那谷で造像し、その5体は天竜川を船で運ばれ、海に出て船を替えて海運で品川の湊まで運びこまれたという。最初は如来寺の「高輪の大仏」として知られたという。

寛永13年(1636)年江戸芝高輪に如来寺を建てて妥置した。
良く観ますと、5躯の内、薬師如来だけが他の4像と造形的に違うのです。
これは 、宝暦年間(1751-1764)に火災で諸堂と伴に、薬師以外の4像も焼失し、その後の宝暦年間に如来寺は再建され、焼失の4躯の再興も同寺再建当時(宝暦年間)のものと推測されています。
ということで壮観を取り戻した姿は、その後も江戸庶民の信仰と結びつき、その後、養玉院と合併してこちらに移られたそうです。現在では「大井の大仏(おおぼとけ)」とも呼ばれる。と由緒ある大仏像だそうで貴重です。

尚、立像で高さが 一丈六尺(約4.85m)、坐像ではその半分の(約2.4m)よりも大きなものを大仏と呼ぶことが多いです。
仏像が丈六を基準とするのは、仏は身長が1丈6尺 ( 約 4.85m) あるといわれることからです。




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目黒【五百羅漢寺】 回廊から始まる500体の羅漢群像  本堂には黄檗宗の拈華微笑の釈迦と脇侍には迦葉尊者・阿難尊者

「目黒のらかんさん」として親しまれている当寺の羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて作りあげたものです。五百体以上の群像が完成してからもう三百年の星霜を重ね、現在は東京都重要文化財に指定されています。(現存305体)
 天恩山五百羅漢寺はもともと本所五ツ目(現在の江東区大島)に創建され、五代将軍綱吉さらに八代将軍吉宗の援助を得て繁栄を誇り、「本所のらかんさん」として人びとの人気を集めていました。




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世田谷観音】の本尊として 六角堂には運慶の孫の康円作の(重文)不動明王並びに眷属八大童子が…
毎月28日の縁日に2時より 護摩供養が在り拝観できます。

  (重文)不動明王並びに眷属八大童子像は、もとは内山永久寺の奥の院に伝来したもので、 永久寺は奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院で 、興福寺との関係が深く、かつては多くの伽藍を備え、大和国でも有数の大寺院で あったが、廃仏毀釈の被害により明治時代初期に廃寺となった。






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【玉川大師 玉眞院】 
ここをお参りすれば四国八十八カ所と西国三十三カ所のお遍路をしたのと同じご利益があるという。
大日如来の胎内を表す、途中は真っ暗な地下霊場には 約300体の仏像、壁画が在り、[手軽な一日お遍路]を
求め、遠方からも参拝者が駆けつけるそうです。

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九品仏【真浄寺】  一つのお堂に3躯づつ安置 × 3堂 で、合計9躯体の木造丈六阿弥陀坐像が安置
九品仏 【真浄寺】    一堂に3躯づつ安置 が3堂 で、合計9躯体の丈六阿弥陀坐像が安置されて居ます。


此方の阿弥陀如来の印相は、京都府浄瑠璃寺とは相違で皆ぞれぞれに印相を異にした九品印をしています。

九品往生の思想は古くからありますが、九品の印相をそれぞれ異にする九品印相は江戸中期以降の元禄のころの発生の様です。

《仏像図彙》
九品阿弥陀の印相について,上品・中品・下品の各上生の印を定印とし,同じく中生印を説法印に,下生印を来迎印に当てて九種の印を組み合わせたものが,《仏像図彙》(江戸時代)などに見られ,現在も一般の概説書等に取り上げられているが,これらを説く儀軌はなく,しかも近世以前にはそれに基づいて造像されたものは存在しないことから,この九品印は近世に考案されたものと推定され,阿弥陀の印相としては説明すべきではないとの提言がなされている。【関口 正之】。


仏像図彙. 元禄三年序跋刊 水田甚左衛門 西村理右衛門 伊勢屋次兵衛板 傷 全三巻付録共合本1冊.

オリジナルは、時代もさかのぼって元禄3年発行の「仏神霊像図彙」で、
明治時代に増補版として再刊行されたそうです。
で、その明治本を元に復刻したものが本書なのだそうです。
(by ③勉強会 「阿弥陀如来像の日本における変遷」 の配布資料 - トンがりさん ...)

尚 同寺での阿弥陀の九品印相 の名称は 佐和隆研遍「仏像図典」をはじめとする多くの解説書に上げる。手の位置を示す「品」と指の合わせ方を言う「生」とが 逆になっています。来迎印の普通名称「上品下生印」が「下品上生」と成っています。 

斯様に九品印の配当名称は厳格整理されたものではなようで、真鍋俊照遍「日本仏像事典」p128 九品阿弥陀[田村隆照)の見解が妥当と思います。




③ 8/1(土) 8月度「仏像愛好の集in東博 
東京国立博物館 本館11室前 10:00 集合  午後の勉強会参加者は各自弁当を持参ください。
 
 ★「仏像愛好の集」 メンバー募集中  お試しに、仏像好きさんは どなた様も参集ください!
 ★当日に 勉強発表の方は 内容概要を 此処のコメント、又はメール等で 孤思庵に連絡ください。


                                                        以上