二つのNHK番組が 人生訓に・・・
二つのNHK番組が 人生訓に
http://img6a.smcb.dena.ne.jp/cvt/pst/1/701/2hosuvfnrtuvf731g84ipc6jpc63100.jpg/240x320-9000.jpg 徳島 美波町伊座利定置網漁の船長・クロにい(61)
今朝 早朝に目が覚め、途中からでしたが見ました再放送の番組に感じました。ネット検索しましたら…案の定番組のウェブが見つかり、番組の題名が判明しました。
NHKプレミアム - 番組表 - にっぽん紀行
nhkworldpremium.com/program/detail.aspx?d... - キャッシュ
2015年5月6日 - にっぽん紀行 「クロにいの船~徳島 美波町伊座利」; 5月6日(水) 19:30~19:55; 徳島 県伊座利は太平洋と山々に囲まれた人口100あまりの集落。学校が廃校の危機にひん した15年前から、住民たちは都会の若い家族連れに移住を呼びかける取り組みを続け ...
過日見て友人に薦めた
こころの時代 宗教・「日々是好日生かされて生きる]
teppen.meetv.jp/program/5356415/ - キャッシュ
2015年7月11日 再放送- 苦楽に満ち、迷いの多い一日一日といかに向き合うのか。岐阜県美濃加茂市にある禅 の修行道場、正眼僧堂師家の山川宗玄老師にうかがう。40年の修行から見えてきた ものは。 番組内容:坐禅や作務、托鉢などに明け暮れる僧堂での 経験談 境地
NHKプレミアム - 番組表 - にっぽん紀行
nhkworldpremium.com/program/detail.aspx?d... - キャッシュ
2015年5月6日 - にっぽん紀行 「クロにいの船~徳島 美波町伊座利」; 5月6日(水) 19:30~19:55; 徳島 県伊座利は太平洋と山々に囲まれた人口100あまりの集落。学校が廃校の危機にひん した15年前から、住民たちは都会の若い家族連れに移住を呼びかける取り組みを続け ...
過日見て友人に薦めた
こころの時代 宗教・「日々是好日生かされて生きる]
teppen.meetv.jp/program/5356415/ - キャッシュ
2015年7月11日 再放送- 苦楽に満ち、迷いの多い一日一日といかに向き合うのか。岐阜県美濃加茂市にある禅 の修行道場、正眼僧堂師家の山川宗玄老師にうかがう。40年の修行から見えてきた ものは。 番組内容:坐禅や作務、托鉢などに明け暮れる僧堂での 経験談 境地
の二つが 近頃の番組で心に残りました。 「日々是…」禅僧の浮世とは別で高峰 過ぎて、ただ関心の体でしたが、 「クロにいの船~」では ベテラン漁師の生活の日々の話題でしたから、かえって自身の教訓に成りました。
70才の手前となった歳で、今更に人生勉強と 失笑を買うことでしょうが…、どちらとも残りは少ない 我が人生の参考に成りました。
小さい仏像の愛好会の主催をしていて、その責務に腐心の身として 大いに参考に成りました。
「愛好会の主催をしていて」の言葉は、番組「日々是…」の中で、老師が 修行をしていると思ってたのが,いつか(守られて)修行をさせて頂いて居るに気が付かれたれたお話に… 先述の「していて」は誤りで、「させてもらっている」にと気付かされました。
「クロにいの船…」では漁師のリイダーの指導の姿に大いに教えられました。
あらためて 心して「仏像愛好の集」の仲間に接し、発言して行きたいと思い直しました。
尚、二つの、番組の内容は 評を受け、多くウエブにありました。ご関心の筋は 参照ください。 良いとの評が寄せられた番組は何度か再放送されるみたいですね 再放送の機会があります様に…
(=´ー`)ノ
【追伸】
「日々是好日」はよく見聞きする言葉でしたが、誰の言葉かは知らずに来てました。機会に調べてみました。
日々是好日 | 禅語を味わう || 黄檗宗 少林山達磨寺
www.daruma.or.jp > ホーム > 禅語を味わう - キャッシュ
この語は中国の唐未から五代にかけて活躍された大禅匠、雲門文偃うんもんぶんえん禅師の言葉です。
たぐい希な、鋭い機峰と、すぐれた禅的力量の持ち主であった禅師は、簡潔な語句を駆使して、自由闊達に禅を説きました。
日々是好日は雲門禅師の悟りの境地を表した、最高の言葉であります。
毎日いい日が続いてけっこうなことだ、などといった浅い意味ではありません。
一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。
しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。
それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。
日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日こうにちなのです。
好日の好は好悪こうおの好ではありません。「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」、「失ってしまったか、よし、どうにかこれを改善しよう!」と、積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。
禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。
(黄檗宗 少林山達磨寺 副住職・広瀬大輔 記)
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