孤思庵の仏像ブログ

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Kanさんの 5.13~14 奈良・大阪観仏記

【付いたコメント1】

Mです。
今姫路の県立歴史博物館が終わって、一杯飲んでいるところです。私の快慶展用資料がお役に立ったなら幸いです。
今日は時間があったら姫路城にでも寄ってみようと思っていたのですが、歴博の展示があまりに充実していて、まる一日かかってしまいました。
檀像の運慶風四天王とか浄楽寺阿弥陀を立たせた三尺阿弥陀とか、とにかく面白い作品満載の展覧会でした。詳しいことは次回集いで。乞う、ご期待。削除
2017/6/2(金) 午後 7:37[ Mです ]返信する





【記事 本文】


「仏像愛好の集」メンバーの Kanさんから 投稿がありました。




2017.5.1314 奈良・大阪観仏記


 東京駅7時発のぞみ203号に乗車のため、赤羽駅ホームで始発の電車を待っていたら仏像愛好の集いのMさんに声を掛けられて驚く。趣味の集まりで静岡にお出掛けとの事だった。


 今回はJUさん、OTさん、MUさん、私との4人で奈良博快慶展と大阪市立美術館木と仏像展を見学するのが主な目的の旅になる。


 


5/13(土)


奈良国立博物館 4/86/4まで特別展「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」が開催されている。


会場を入るとすぐ右手に、いきなり醍醐寺弥勒菩薩坐像が安置されていた。壁に截金文様の写真が三枚程展示されていたが、単眼鏡で目を凝らしても確認出来ない場所もあった。2014年の醍醐寺展の時より照明が暗く、残念ながらあの時程の感動を受ける事が出来なかったが美しいことに変わりはない大好きな仏像。


今回は赤羽駅でお会いしたMさんの労作、仏像の説明と写真を切り貼りコピーした冊子のページをひっくり返しながら会場を回った。既に拝観したことのある仏像が多数あったが、心惹かれる仏さまばかりなのは流石に快慶だ。


山添村西方寺は以前SBさん運転のレンタカーで行った事がある。ナビが言う事を聞いてくれず、土曜日だったのに運よく出勤していた村役場職員の方に焦りながら電話で道を伺ってもよくわからず、遅刻してしまい、扉を開けて下さっていた檀家の方をお待たせして申し訳なかった事を思い出す。三尺阿弥陀の中では一番美しいお顔だと思うのは、こうした思い出のためだけではないと思う。


悲田院宝冠阿弥陀は以前寺院で拝観させて頂いた時と同じように截金が輝いていた。今年1月京博でお目に掛かった時はオーラがなく同じ仏像だとは思えなかった。ところが今回、悲田院でと同じ感激を味わえたのは照明が関係するのかとも思った。


清水寺千手観音坐像は快慶作とは書かれていなかったが、装飾が多くて美しい仏像だった。秘仏とあったのでこれから先はお目に掛かれないだろうと思う。


今回初めてで二度とお目に掛かれないメトロポリタン美術館地蔵菩薩立像も彩色・截金文様が素晴らしかった。何回か順路を戻って拝観した。海外に流出してしまったのが非常に残念だ。


過去に多くの寺院や展覧会を訪ねて拝観させて頂いた、快慶作の仏像に再会出来た今回の特別展だったが、案内して下さったご住職や関係者の方とのその折々の様子など思い出した。JUさん、OTさん、MUさんとは殆どの観仏旅をご一緒しているので思い出話を共有することが出来た。


 


興福寺 特別公開「天平乾漆群像展」が3/156/18まで仮講堂で開催されている。普段非公開の旧仮金堂安置の康慶作四天王像が拝観出来るとの事で伺ってみた。が、西金堂内陣のイメージを再現する形とは言っても、仏像まで距離があるのが残念だった。私の好きな伝定慶作の金剛力士像は最後列だったので迫力がまるでなかった。


 


5/14(日)


感応院神宮寺 拝観予約の電話をした際、奥様から急な坂道なのでタクシーで来た方が良いとのアドバイスを頂いた。大阪MKタクシーに850恩智駅前とお願いしたにも関わらず携帯に電話が掛かって来て時間までに行ける車がないと言う。ちょうど駅前にいた近鉄タクシーにお願いして送って貰う。大阪MKタクシーでは指定料500円が加算されると言われたが、近鉄タクシーは運賃680円だけで済んだのでラッキーだった。


 感応院は八尾市にある真言宗の寺院。観音堂平安時代後期(八尾市観光データベースでは平安時代前期)の重文十一面観音立像が安置されている。檜一材で髻から足元まで掘り出している優しいお姿の仏さま。地元では母木(おものぎ)観音とも呼ばれ、聖徳太子の軍が中に隠れて難を逃れた楠を母木と名付けたためこの地を母木と呼ぶようになったとのお話だった。


 本堂のご本尊は、今は模写されたものだが、府の文化財に指定された絹本着色不動明王像との事。修理しても傷みが激しいためお顔が現れなかったが、もし現れていたら国宝級だとおっしゃっていた。保存が難しいため市の博物館に寄託されているとの事。ご住職が不在のため奥様が写真を見せて下さりながら説明して下さった。


 山の上の静かなお庭からは大阪の街が一望でき、遠くにアベノハルカスも見えた。全員に十一面観音立像の絵葉書大写真を2枚下さった上、恩智駅まで車で送って下さった。改めて後日お礼状をお送りした。


 


「日本古代史とアイヌ語」と言うブログには次のような文章があった。この辺りは現在【恩智】と言って
いるが、その以前は【栂木】と 書いて【おものき】と呼んでいた。そのいわれは、神武東征の時この辺りから生駒山を越えて大和へ入ろうとしたのだが逆に攻めかえされ、この地にあった大きな木の穴の中に入って身を潜めていたら、木の上から大きな蜘蛛が降りてきて穴の入口に蜘蛛の巣を張った。その結果、穴の中は捜されずに済み無事逃げ出せた。そこで、この木は私を守ってくれた母なる木と言う事で【栂木】と呼ぶようになり、その恩を知らなければならないと言う事から【恩智】と呼ぶようになった。


聖徳太子神武天皇の違いがあるのは、奥様は地元出身ではなく、隣の東大阪市出身とおっしゃっていたから勘違いされたのかもしれない。


 


大阪市立美術館 特別展「木×仏像 飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年」が4/86/4まで開催されている。こちらの美術館にも東博菩薩立像、唐招提寺薬師如来立像、東大寺弥勒如来坐像、孝恩寺諸仏など、既に拝観したことのある仏像が展示されている。そして再会が嬉しい仏さまも多数いらっしゃった。


 奈良県田原本町宮古薬師堂の薬師如来坐像は堂々とした体躯の一木造り。以前、やはりSBさん運転のレンタカーで伺ったが、ここもわかりづらい場所で、お堂を兼ねた集会所のおばさんが道路まで出て来て下さらなければ絶対に行きつけなかった。出て来て下さってありがたかったと言う思いばかりだった。


 長圓寺の十一面観音立像は、週刊朝日百科「国宝の美」14の最終ページに未来の国宝として紹介されていた。その愛らしさに惚れ込んでしまい拝観に伺った経緯がある。今はわからないが、当時は無住で宗善寺ご住職が兼務されていた。厨子の中に安置されていて拝観し難かったが、今回は背面まで観られた。代用檀像で衣文や条帛の彫りが変化に飛んでいて素晴らしい。天冠台の下の髪も毛筋が丁寧に彫られているのに対して、後頭部の毛筋が彫られていないのが気になった。


 四天王寺阿弥陀三尊像の両脇侍はサントリー美術館「天上の舞 飛天の美」展に出品されていた。実はその時は四天王寺像とは気付かず、同じような片足を後ろに蹴上げた(舞勢?)の像だと勘違いしていた。今回、背面からも力強く蹴上げた脚を見る事が出来た。


 


 大阪市立美術館から次の訪問先の大乗坊に向かう途中でランチしようと決めていた。堺筋線動物園前駅までの間は軒並み串カツ屋さんで串カツ通りと呼びたくなるようだった。行列が出来ている店は美味しいのだろうと思ったが並んでいる時間はない。結局、日本橋駅地下で何だろうと思いながら「ヘレかつ」と言うのを注文したが「ヒレかつ」の事だった。


 


大乗坊 5月と11月第二日曜日午後2時から御開帳と言うので伺う。最寄り駅は幾つかあるが、堺筋線日本橋駅から向かう。ところが地下鉄の駅を外に出たところで右も左もわからなくなる。四人もいて全員方向音痴で悲しくなる。


 2時少し前に着いた大乗坊では大勢の信者の方が着席されていた。今のうちにと思って、最前列の方に断って拝観させて頂く。前の席を勧められたが、途中で退席するかもしれないからと遠慮し一番後ろの席に座らせて頂く。


 大きな厨子の中に前から順に前立ち本尊、中立ち本尊、秘仏本尊の毘沙門天立像が安置されている。このうち重文の前立ち本尊(南北朝)だけはいつでも拝観出来るらしいが、読経の中、三躯並んで吉祥天と善膩師童子も並んでいるのは御開帳の時だけのものだ。読経が50分位続き、隣の方に「お先に失礼します」と声をお掛けすると、「これから護摩炊きが始まりますよ」と言われたが「時間がないので」と失礼する。ゆっくり拝観出来ず残念だった。


 帰り際、OTさんが靴の引き換え番号を無くし、ここからいつもの水難に加えて、失せ物難の15分間が始まった。でも全て見つかり、後日水難も解決してめでたしめでたしとなった。


 


妙香院 電話でご住職に予約した際、仏像巡礼事典とネットの住所がまるで違うので、果たしてこのお寺で良いのか心配になり伺うと、区画整理があったためだとの事。実はここでもまた地下鉄を出てから方角を間違う。暇そうなお店を見付け地図を見せるとすぐに教えて貰えた。


 重文兜跋毘沙門天立像(藤原)は門を入ってすぐ右の毘沙門堂に安置されている。ご住職が入口のガラス戸を開けて下さり、柵越しに拝観させて頂いた。地天女を含む一木造りで二鬼は後補との説明があった。ネットには写真が載っておらず、国宝・重文大全でコピーした写真でしかお姿を知らなかったが、間近で拝観したお顔は迫力十分だった。


昭和20年の大阪大空襲で資料を失ったが、兜跋毘沙門天立像は大阪市立美術館疎開していたため無事だったとの事。大阪のお寺にコンクリート造りが多いのは空襲のせいなのかと納得した。



声をお掛けすると、「これから護摩炊きが始まりますよ」と言われたが「時間がないので」と失礼する。ゆっくり拝観出来ず残念だった。


 帰り際、OTさんが靴の引き換え番号を無くし、ここからいつもの水難に加えて、失せ物難の15分間が始まった。でも全て見つかり、後日水難も解決してめでたしめでたしとなった。


 


妙香院 電話でご住職に予約した際、仏像巡礼事典とネットの住所がまるで違うので、果たしてこのお寺で良いのか心配になり伺うと、区画整理があったためだとの事。実はここでもまた地下鉄を出てから方角を間違う。暇そうなお店を見付け地図を見せるとすぐに教えて貰えた。


 重文兜跋毘沙門天立像(藤原)は門を入ってすぐ右の毘沙門堂に安置されている。ご住職が入口のガラス戸を開けて下さり、柵越しに拝観させて頂いた。地天女を含む一木造りで二鬼は後補との説明があった。ネットには写真が載っておらず、国宝・重文大全でコピーした写真でしかお姿を知らなかったが、間近で拝観したお顔は迫力十分だった。


昭和20年の大阪大空襲で資料を失ったが、兜跋毘沙門天立像は大阪市立美術館疎開していたため無事だったとの事。大阪のお寺にコンクリート造りが多いのは空襲のせいなのかと納得した。


 写真を撮って良いとおっしゃるのでJUさんにスマホで撮影して貰い、後日パソコンに送って貰った。新しいように見えても建ってから30年も経つので、明日から修理に入るとの事で間に合って良かったと思った。


 


 帰りはバスで大阪駅に出て、新快速で京都駅へ。ホテルで荷物を受け取ってから新幹線で帰京した。傘を使うことなく過ごせた二日間だった。


 


                                    Kan


【以上「仏像愛好の集」メンバーの Kanさんからの 投稿】



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