孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

仏って何?  仏像って何? 根本を不熟者が 考えてみました。


【注】以下のブログ分は、「中公新書 長岡龍作著 日本の仏像」 を読書致し 感銘を受けまして、何か書きたくなりました。 前に書いていた文と合わせ作文しました。 したがって 同書からの啓蒙 が強く、また引用も多く含まれてます。



私達はみんな仏像ファンですが、仏像って何? 考えた事ありますか? 以下のブログを一段落した時に、テキスト本の先の方に目を通した時に、個の様に冒頭に書きたい 仏像の考え方を発見しました。 キーワードは生身(しょうじん) と 真俗二諦 です。
 まず真俗二諦 の諦とは真理・真実を意味する語で、その諦には2種類あるとしています。 
 「真諦」とは、絶対不変の真理。究極の真実。第一 義諦。勝義諦。
 {俗諦}とは、俗諦とは,世間的な真理をさす。世間一般の常識とみられる真実を「俗諦」といい「世俗諦」とも。


仏とは「覚者」「悟った者」です、では何を悟ったかと云う時、 如来の悟りは、「真諦」不変の真理。究極の真実。「第一 義諦」なのです。 それに対し、「俗諦」は人智の悟りと云うものと考えました。仏の悟りは人智に及ばずでので、「真諦」其のままでは伝わりません、其処で解説・比喩が必要、その解説は人智の及ぶ範囲に留まりますので、「俗諦」となります。 
乱暴な単純化ですが、 釈尊の悟りが 「真諦」であり、その後の仏弟子アビダルマの学僧、更には鎌倉新仏教の開祖たちの悟りが「世俗諦」なのかも知れません。 

そこで「真諦」の覚者 釈尊は、その肉身は、摩耶夫人から生まれた釈迦「生身」であり、その方が悟った真理の方で言うならば如来の釈迦(釈迦如来)なのではと理解します。 ところで、この「生身」を調べましたら、とは、生まれながらの身体を言う。父母から生まれた身体一般を指し、 釈迦の肉体を意味し、仏像の対語として用いられる。と在りました。新知は 仏像の対語です、 仏像は「生身」の対義語となります。 極論すれば、「仏像は仏でない」という事に成ります。 面白い極論に至りました。 では仏像と仏の関係を考えなければなりません。
仏像ファンならば 如来の三十二相は周知の事ですが、 仏の無相をご存知ですか? 仏の無相とは、姿・形のないこと。⇔有相 (うそう) 。また、 一切の執着を離れた境地。と在ります。 さすれば仏像は三十二相を持って仏の像と認められ、 前出の・・・、極論すれば、「仏像は仏でない」の台詞の内の「仏」とは姿・形のないことが、仏の実体となります。
さて では、形なき「仏心」の実体=(真理)と、特徴の三十二相の幾つかを持って現前にある仏像、 その仏像を 皆さんは如何にお考えになりますか? 先の「仏とは何ですか?」と同様に 難問です!

仏像は三十二相の何某かを持つ釈迦の「生身」で、 無相の形なき「仏」とは 相対する。? 仏像=釈迦の生身?  解らないですね! 仏像は 三十二相を持って、仏の代理と認められる で、 我慢しましょうか?!  


形而上(はっきりした形が無く、感覚の働きによってはその存在を知ることが出来ないもの)の「仏」の話はこの辺にして、形而下(はっきりした形が有って、感覚の働きによってその存在を知ることが出来るもの)の「仏像」の話に戻します。
 




仏像ファンは数多いらっしゃいます。何が気にいって  ご覧に成っているんすか? 見方はそれぞれと思います。 しかし、仏像を観る機会の大部分の場所は、 ①お寺での参拝・拝観と 他方は②博物館美術館 展覧会での鑑賞 でしょうね!



その意味の違いは、多くの方が理解されていると思いますが、もうちょっと深く考えてみました。

②の見方は 明治時代の前半にフェノロサ岡倉天心らに美術品収集を手伝せながら啓蒙した西洋の美術史の方向・手法からだと思います。 

其処で、忘れては成らないのが フェノロサ岡倉天心らが対象とした仏像。それらは、江戸以前に美術品として生まれて来たのでしょうか? 現代人はその作者の仏師を芸術家に見がちではないでしょうか、 この事は 後述したいと思います。 此処で仏像は ほぼ完全に信仰宗教の像なのです。ですので江戸時代以前は②の鑑賞は少なく殆どが①の見方と思います。 極言すれば 今美術品として評価の仏像の殆どは、 皆①の目的の為に作られたのです。 ですので持論は宗教的な見方を捨ててしまってはその本質から離れてしまうと思うのです。 宗教的心で仏像を拝む について考えたいと思います。



とは云いながら、私を含めて、「仏像愛好の集」の同志、現在数多いる仏像ファンの多くは、色々な見方で、仏像と対峙されているのでしょうが、その審美を少し進めようと深めれば、②の方向で、その多くは 美術史的に成るのかと思います。そうですフェノロサ風 言い換えれば西洋風に美術鑑賞(審美)しているのではないでしょうか?!



門外漢ですが、「美術」なるを少し勉強してみました。 美術とな何かを突き進めますと 人が「何か」を眼に見える「かたち」に「表現」したものとの定義が納得行きました。

定義の最初に出ました「何か」 とは信仰だったり、風景だったり、人間の内証(自己の心の内で真理を悟ること)

の事などの様です。此処までは美術の枠を超えて「芸術」全般に通じますね。音の芸術の音楽、にも当てはまると思います。 次の「かたち」で美術となります。「かたち」の表現はまさしく造形であり、 造形芸術は、美術と括られます。

最後に出ました「表現」 これが大事です。 表現の英語はrepresentation ローマナイズでは目が嫌がりますが、 リ プレゼンテーション とカタカナにしますと 良く見る英語ですね! リ はラテン語の re- に由来し、again「再び」、の意味だそうです、時にagain and again、「何度も繰り返す」との用法もあり、繰り返す=同じ事をする。の意味がある様です。 プレゼンターションはもはや日常用語ですが、改めて確認すると、プレゼンテーションは伝える技術だということです。 伝えるだけでは不十分で、相手に行動を促せて 成功ともビジネス書にもありました。 美術のリ プレゼンテーションは 他のマテリアルを使用して 伝えたい本質(「何か」)を造形する事と理解して良いかと思います。この事 仏像に置き換えると、「仏心を伝え、信仰を勧める」でしょうか、納得です。



此処まで理屈をこねましたが、改めて、前出の① 信仰の一形態で 拝むなのですが、 何を拝んでいるのでしょうか? 仏様に違いは無いのですが、 其の仏様って、何ですか? 仏像自体なのですか? 其の仏像を通しての、その背景や 仏像に込められて居る仏心なのでしょうか? 此処まで問い詰められると、 仏像自体でなしに、仏心との答えが殆どなのではないでしょうか?! では逆に 仏心(法身)と離れての仏像て何?

仏像って、 仏心の入れ物の考えも在るでしょうが、 上で述べました 美術=表現で考えてみますと、色々なマテリアルを使って、仏像ですと木材・粘塑物・金属・石材を用いて、造形し、表現したい「何か」 (ここでは仏 )を再現したと言えるのではないでしょうか?

ここまでくると、仏像の見方の①と②は 相反するものと云えなくなるように思えてきます。



ここで見方、拝み方を論じましたが、仏像なる信仰対象・作品が存在する事を考えたいと思います。 先述しましたが、仏像が自然発生するはずは無く、誰かが造ったものです。造ったから存在しているのです。 拝むより造像の方が大きなエネルギーが要ります。 昔も造像は 大変でした。なのに今日 多くの仏像残されてます。拝むより、造仏の方が大変 その大変が何故為されるのでしょうか? 



造仏の動機、 発願と思います。 釈尊説かれた四諦の教え、最要約すれば、人は思う様になれない事の真理と思います。思う様になれないで、諦め悟れれば、苦労が無い、何としても、仏のご加護、に叶えたいとの思いがあって、 作善すれば願が叶うかも の思いで 作仏がなされ 多くの仏像が造られたと思います。言い換えれば残る膨大な仏像 その造仏の数だけ、 人々の誓願(神仏に誓いをたて、事の成就を願うこと)があったと云えます。



その願は、仏像の表現に現れます。 私は・・・、仏像の見方として それを汲み取りたいと思ってます。 

多くは無いですが、仏像表現よりももっと具体的に 残る願があります。造像に関しての願文です。 その願文は障りにならない像の光背裏面や台座部分などの箇所に直接書かれたり、胎内に込められて居たりや、他の形で残っている場合もあります。その願文で造像の理由・動機などが仏像表現よりも詳細に伝わります。仏像に勝手な誤謬の解釈をしたりの事も在りますが、願文が残る場合は、それを解してその仏像の表現を正しく読み取りたいです。



自論を述べさせて頂きましたが、 それを踏まえますと 法隆寺の金堂釈迦三尊は、その表現に加え、光背背面に、追刻ではとの論議は続くものの銘があり、その願文を勉強 理解すると この釈迦三尊の上昇性の表現などが より深く解釈が出来ます、其の為のテキストとして 中公新書 長岡龍作著 日本の仏像の を推奨します。(残念ながら、本書は只今 品切れで 市場に希少となっている様です。図書館利用が良いのでしょうか?!)


次回は、「長岡龍作著 日本の仏像」にて知りました 法隆寺金堂釈迦三尊像、その光背銘文の内容より、 この像の造立の誓願と、 願主であった 知識達※の 思いと、其れに依る 仏像表現をご紹介したく思います。 

知識(ちしき・智識)とは、仏教信者善業を積み重ねるために寺院仏像の建立や維持、写経福祉などの事業のために金品などを寄進すること。また、寄進者や寄進物を指す場合もある。 (by wikipedia知識)


以上 仏って何? 仏像って何? の根本を不熟者が 考えてみました。 こんな事に興味 「中公新書 長岡龍作著 日本の仏像」のファンの方は いらっしゃいませんか? 私にはとっても関心なのですが・・・、正直 独学では難しいです。一緒に勉強して助けてくださいませんか?! 此処のコメントや、その他でお声掛け下さい!」孤思庵(ハンドルネーム 孤思庵から「和合衆」に変更したく思ってます)