「仏像愛好の集in東博」のメンバー S.K.さんの観仏像記
「仏像愛好の集in東博」8月は2日も予定を消化不良でした。 皆さんがこの一か月に色々仏像拝観の旅をされたと漏れ聞き居ていましたので。報告を頂けるようにプログラムをしたのですが、果たせませんでした。
そんな中S.K.さんが観仏記を寄せてくれましたので、了解を得えまして、此処に掲載します。他の皆さんも是非に此処に掲載の文章をお寄せ下さい。
S.K.さんには 下段の力作を有難うございました。皆さんには、コメントを付けて下さるを期待します。
2014.7.26~27 奈良観仏記
7/26(土)
長弓寺 今回は近鉄の乗車区間が長いので、近鉄京都駅で「奈良世界遺産フリーきっぷ 奈良・斑鳩・吉野コース」3080円也を購入する。大和西大寺駅で大阪難波行に乗り換え学園前駅で下車。駅のコインロッカーに荷物を預けタクシーで長弓寺へ向かう。運転手さんが「暑いから気を付けて」と気を遣って下さる。運賃が2200円位で思ったより遠かった。
長弓寺の悲しい縁起については、「仏像めぐりの旅③ 奈良」やネットに詳しい。重文十一面観音立像は本来1/1~3、8/20のみ開扉される仏像だが、今回7月当番の塔頭円生院ご住職の特別のお計らいで拝観出来ることになった。3~4年前にもお許し頂いた事があったが、その時レンタカーを運転して下さったSさんが二度も大阪方面の高速道路に迷い込んだため時間切れで断念した経験がある。その後はお願いしても開扉日以外は不可と断られたため今回は念願の拝観となる。
国宝の鎌倉時代に建立された本堂前で待っていると、暑い中墨染めの衣に袈裟を付けられた副ご住職がお見えになり入口の扉を開けて下さった。始めに般若心経を唱えられてからお厨子を開けて下さる。本尊十一面観音立像は平安時代後期作といわれ、檜一木造、彩色、切金文様との事。蝋燭の灯りと入口からの外光だけの中、残念ながら彩色も切金もはっきりとは見えなかった。本堂は火災報知器の他は電気が来ていないとの事。写真で拝見すると観音様のお顔は目が吊り上っているように見えるが、実際に拝観させて頂くと全くそのようには見えず、穏やかな優しいお顔立ちだった。副ご住職が優しい気持ちで拝観すると優しいお顔立ちに見えるとおっしゃっていた。収蔵庫ではなく国宝の本堂の中で、またジャージ姿などではなく正装の若いお坊さんに拝観させて頂くご本尊はありがたみも一入だった。
ご本尊の入っていらっしゃる黒漆厨子も重文で、扉板左に胎蔵界種子曼荼羅と不動明王、右に金剛界種子曼荼羅と降三世明王が描かれている。が、こちらもはっきりとは見えず、曼荼羅やお不動様の火炎光背が確認出来る程度。お厨子の両側に阿弥陀如来坐像と釈迦
如来坐像、四隅に四天王がおいでになる。
お寺を出て真弓四丁目のバス停に向かい学園前駅に戻るつもりが例の如く道に迷い、通り掛かった自転車の男性に道を聞くがかなり遠いとの事。富雄駅行のバス停があったので富雄駅に出ることにした。富雄駅はフリーきっぷ範囲外なのでパスモで乗車。関西でもパスモやスイカが使えるようになり便利になった。富雄駅から学園前駅は一駅なので途中下車して荷物を取り近鉄奈良駅に向かう。フリーきっぷは市内の奈良交通バスでも有効なので博物館の往復にも利用する。
奈良国立博物館 7/19~9/15まで特別展「国宝 醍醐寺のすべて」が開催されているので訪問する。入口を入ってすぐのところに重文聖観音菩薩立像が安置されている。裳や天衣の動きがすばらしくいつまでも見ていたい仏像。針葉樹の一材で出来た代用檀像の宋風の作。平安時代作と言われているが、呉道玄の画風の影響を受けたもので唐からの請来も考えられるとの事。裳や天衣の彫りが完ぺき過ぎるのに髪筋がないのはどうして?と思った。
霊宝館安置の国宝薬師如来坐像の存在感にも圧倒される。中尊と比べて脇侍が小さいがもともと一具と考えられると何かで読んだ記憶がある。
「醍醐寺のすべて」という名前通り沢山の仏像、絵画、文書が出品されていたが、一番すばらしかったのは国宝弥勒菩薩坐像だった。時間がなくなるとハッと気付き、途中を飛ばして弥勒菩薩の前に直行。三宝院では、はるかかなたにいらした弥勒菩薩が手が届くような近くにいらっしゃる。重文不動明王坐像を見ても思ったが、やはり快慶はすごい。弥勒菩薩の側で番をしている方に、ずっと弥勒菩薩の側にいられるのか交代なのか伺ったら、20分毎の交代だとの事だった。
なら仏像館も久し振りだし、今後1年間休館では見納めかもしれないので閉館一時間前に向かう。いつも正面で迎えて下さる元興寺の国宝薬師如来立像がいらっしゃらない。代わりに勝林寺の重文十一面観音立像がいらしたが、あの薬師如来は大好きな仏像だったのでちょっとがっかりした。どこにいらしたのだろうと思ったが伺いそびれた。興福寺の国宝法相六祖坐像(伝神叡)を見て長弓寺の副ご住職に似ている気がした。
閉館の6時に外に出たが、まだ異常に暑かった。近鉄奈良駅コインロッカーから荷物を取り出し、今晩の宿泊先のある大和八木駅に向かう。交番で道を聞くがお巡りさんは道の説明が下手なうえ、右と左を間違って教えられた。すぐ間違いに気付き歩いていた女性に道を聞き直して無事ホテルに着いた。フロントで夕食を取れる店を聞くと、駅の側の近鉄デパートの中にいくつも店が入っていると教えられた。近鉄高架下はシャッター通りなのに、近鉄デパートばかりが場違いに輝いていた。
7/27(日)
如来坐像、四隅に四天王がおいでになる。
お寺を出て真弓四丁目のバス停に向かい学園前駅に戻るつもりが例の如く道に迷い、通り掛かった自転車の男性に道を聞くがかなり遠いとの事。富雄駅行のバス停があったので富雄駅に出ることにした。富雄駅はフリーきっぷ範囲外なのでパスモで乗車。関西でもパスモやスイカが使えるようになり便利になった。富雄駅から学園前駅は一駅なので途中下車して荷物を取り近鉄奈良駅に向かう。フリーきっぷは市内の奈良交通バスでも有効なので博物館の往復にも利用する。
奈良国立博物館 7/19~9/15まで特別展「国宝 醍醐寺のすべて」が開催されているので訪問する。入口を入ってすぐのところに重文聖観音菩薩立像が安置されている。裳や天衣の動きがすばらしくいつまでも見ていたい仏像。針葉樹の一材で出来た代用檀像の宋風の作。平安時代作と言われているが、呉道玄の画風の影響を受けたもので唐からの請来も考えられるとの事。裳や天衣の彫りが完ぺき過ぎるのに髪筋がないのはどうして?と思った。
霊宝館安置の国宝薬師如来坐像の存在感にも圧倒される。中尊と比べて脇侍が小さいがもともと一具と考えられると何かで読んだ記憶がある。
「醍醐寺のすべて」という名前通り沢山の仏像、絵画、文書が出品されていたが、一番すばらしかったのは国宝弥勒菩薩坐像だった。時間がなくなるとハッと気付き、途中を飛ばして弥勒菩薩の前に直行。三宝院では、はるかかなたにいらした弥勒菩薩が手が届くような近くにいらっしゃる。重文不動明王坐像を見ても思ったが、やはり快慶はすごい。弥勒菩薩の側で番をしている方に、ずっと弥勒菩薩の側にいられるのか交代なのか伺ったら、20分毎の交代だとの事だった。
なら仏像館も久し振りだし、今後1年間休館では見納めかもしれないので閉館一時間前に向かう。いつも正面で迎えて下さる元興寺の国宝薬師如来立像がいらっしゃらない。代わりに勝林寺の重文十一面観音立像がいらしたが、あの薬師如来は大好きな仏像だったのでちょっとがっかりした。どこにいらしたのだろうと思ったが伺いそびれた。興福寺の国宝法相六祖坐像(伝神叡)を見て長弓寺の副ご住職に似ている気がした。
閉館の6時に外に出たが、まだ異常に暑かった。近鉄奈良駅コインロッカーから荷物を取り出し、今晩の宿泊先のある大和八木駅に向かう。交番で道を聞くがお巡りさんは道の説明が下手なうえ、右と左を間違って教えられた。すぐ間違いに気付き歩いていた女性に道を聞き直して無事ホテルに着いた。フロントで夕食を取れる店を聞くと、駅の側の近鉄デパートの中にいくつも店が入っていると教えられた。近鉄高架下はシャッター通りなのに、近鉄デパートばかりが場違いに輝いていた。
7/27(日)
藤原鎌足の長子定慧が十三重塔と講堂を建立して妙楽寺とし、その後神殿を建て鎌足の神像を安置したのが談山神社の始まりとの事。神仏分離により仏像は寺外に出されたが、如意輪観音坐像だけは多武峯略記により定慧が唐から請来した白檀の像と信じられたため神社に残されたらしい。実際には時代が違い鎌倉時代の代用檀像。神廟拝所に安置され毎年6~7月に開扉される。右足の甲に大きく抉られたような傷がある他は美しく整った像なのに文化財の指定がない。神廟拝所には江戸時代の藤原鎌足神像が薄絹の御簾の向こうに安置されていた他、狛犬像もあった。壁の上の方には飛天等が描かれている。
本尊は石造の子安延命地蔵で「大和地蔵十徳」地蔵の一つになっている。本堂から渡り廊下で収蔵庫に向かう。もと大御輪寺の本尊であったという国宝十一面観音立像が厳しいお顔で迎えて下さる。ガラス越しの拝観だが、裳や天衣が揺れているようだ。同行のOさんは5回目の拝観になるとの事。
いつまでも拝観していたいが何しろ暑い。本堂に戻り勝手に椅子を出してしばらく休む。窓は閉まっているし冷房が入っている訳でもないのに涼しく感じられた。
長岳寺 また桜井市コミュニティーバスで桜井駅に向かう。同じバスが往復していて、同じ運転手さんだった。桜井駅で天理行きの奈良交通バスに乗り換え上長岡(かみなんか)下車。徒歩10分位で長岳寺に着く。受付でそうめんを頼む事が出来るのでお願いする。そうめんが出来るのを待つ間、重文の延命殿を拝観する。そうめんは重文の旧地蔵院庫裡の中でいただく。庫裡で待っているといきなり本降りの雨。幸い食べ終わる頃に上がる。
重文阿弥陀三尊は本堂安置。現存最古の玉眼を用いた仏像として余りにも有名。康助か康慶の作と言われている。他に重文増長天像、重文多聞天像が安置されている。こちらも、もと大御輪寺の仏像という説もあるらしい。たった百年前の事がわからなくなってしまう程混乱していたという事だろう。拝観していると再び本降りの雨。境内の石仏も拝観したかったがあきらめる。
雨が小降りになったのを潮に本堂を後にしJR柳本駅に向かう。雨も降っているしまた道に迷ってはと、一旦歩き出したが受付に戻りタクシーを呼んで貰うことにする。ところがタクシーは天理から来るので15分位掛かるとの事。それなら歩いた方が早いとタクシーは断っていただき再び歩き出す。途中でJさんがおじいさんに道を聞き駅に向かう。間に合うかギリギリだったが、突然目の前に駅が現れ、カンカンカンと電車も到着寸前。改札口はなく、画面にパスモをかざしてホームに入り電車の「和歌山行」の文字を確認。ホームにいた女性に「桜井に行きますか?」と尋ねる。「行きます」の答えに「乗るのよ」とOさん、Jさんに声を掛ける。「間に合った~」と座席にへたり込む。「最後まで諦めたら駄目よ」とJさんが教訓を宣う。
大野寺 桜井駅で近鉄名張行に乗り換え室生口大野駅に向かう。駅員さんがいないのでフリーきっぷでは改札口を出られず、ボタンを押し画面に切符をかざす。大野寺は駅から7分位。改札口を出たところから弥勒磨崖仏が遠望出来て感激だった。
大野寺にも「大和地蔵十徳」地蔵の一つ、重文身代わり焼け地蔵が安置されている。受付で呼び鈴を押すがなかなか出て来られない。お留守かと思った頃、脚の悪いおばあさんが出て来られた。お地蔵様の拝観をお願いしたところ奥の本堂が開いているからどうぞと言われる。背中が消し炭のようになっているとの事。玉眼の像らしいが本堂階段下からの遠目なのでよく見えない。
境内の墓地にもう一つ線刻磨崖仏の不動明王があるとの事だったが、脚の悪いおばあさんにまた出て来て頂くのは申し訳ないので諦める。
再び室生口大野駅から大和八木駅に戻り、コインロッカーから荷物を取り出し京都駅行の近鉄急行に乗り換えた。暑い中だったが、今の時期しか見られない醍醐寺の諸像や談山神社の如意輪観音を拝観出来、またフリーきっぷを使いこなす事が出来て満足の行く旅だった。