孤思庵の仏像ブログ

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Mさんから 寄稿 「藤田美術館快慶作地蔵菩薩について」

Mさんから 「藤田美術館快慶作地蔵菩薩について」の寄稿がメールで在りました。 掲載します。

Mです。

私は行く予定はないのですが、サントリー美術館で開催される藤田美術館展に出る快慶作地蔵菩薩について、行かれる方の参考のために投稿します。
 
この像については、快慶に関する最も基本的な文献である毛利久著「仏師快慶論」(昭和36年)では「(足枘の墨書は)後世の筆である上に、像そのものも安阿弥様には属するが、快慶自身の作品とするには疑問がある」(P118)として快慶作から除外しています。その後出た山本勉氏のMUSEUM418号(昭和61年)では、この像を詳しく調べた結果、保存状態の良い法眼時代の作(足枘銘も造像当時のもの)と評価され、平成22年には重要文化財に指定されました。
 
上記MUSEUM418号と日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代造像銘記編 3No.84(解説山本勉)では、足枘銘の「開眼行快」の意味が開眼法要導師ではなく、玉眼製作者を書いたと思われること、行快の肩書きが僧綱位(法橋)を得ていないので、造像年を承元二年(1208)から建保四年(1216)と絞れること、さらに快慶作阿弥陀如来の着衣法(襟の形式)を適用させると、行快作と推定される旧玉桂寺(現浄土宗)阿弥陀如来の年代から建暦二年(1212)以前と限定できることなどが述べられています。また、重要文化財に指定された時の「月刊文化財」平成226月号の解説では、雲に乗る姿や古い写真により興福寺伝来と分かることから春日地蔵として作られた可能性が述べられています。この他、三宅久雄「仏師行快の事跡」(美術研究336号、昭和61年)では以下に述べる快慶の3件の地蔵菩薩立像の比較や行快作品の作風から、藤田美術館地蔵菩薩の製作における行快の役割を考察(単に玉眼製作者に留まるのではなく、行快がもっと関与していることを想定)しています。
 
快慶の地蔵菩薩としては、立像では無位時代のアメリ バークファウンデーションの像、法橋時代の東大寺公慶堂の像、そして法眼時代の藤田美術館の像があり、各時代の違いを比較できます。なお、この他に坐像として京都府宮津市如意寺の像(無位時代)があります。藤田美術館の像はこれらのうちで最も保存が良く、台座の雲も当初のものと思われるので、東大寺公慶堂地蔵、俊乗堂阿弥陀浄土寺阿弥陀三尊の雲(いずれも後補)の元の様子を推定するのにも役に立つと言えます。

         
 
藤田美術館地蔵菩薩についての解説は、一般向きの本では小学館名宝日本の美術「運慶・快慶」(金子啓明著、平成3年)にカラー図版と簡単な解説が載っていますが、本格的な論考は上記のMUSEUM418号、日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉 3巻、美術研究336号、月刊文化財平成226月号ぐらいだと思います。


               

集いの皆様の何名かは8/23サントリー美術館に行かれるのでしょうか。行かれる方で、しっかり勉強してから行くという方には、上記の資料についてスキャナーでPDF化したものをメールでお送りします。あるいは9月の集いの時でよければ本を持参しますので、ご要望があればお寄せください。(最近春日地蔵を調べているTaさん、伝香寺・知足院に行かれたKaさん、Moさん、いかがですか?)




追記です。

藤田美術館地蔵菩薩に現在付属している光背は古いものですが、周縁部の円相に表された種子が文殊菩薩の種子(マン)であるため、他の像から転用された可能性があるそうです。見に行かれる方はご注意を。