孤思庵の仏像ブログ

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Takさんの投稿 4月17日  4月中旬の展覧会拝観報告です。(その2)


4月中旬の展覧会拝観報告です。(その2)

414日・京博「国宝一遍聖絵時宗の名宝」展覧会: (昨夏に寺島学芸員から伺っていた行快作阿弥陀三尊像が展示公開)
京博に到着したのは午前9時で、天気もソコソコ晴れており、昼からの雨天というの天気予報を心配しながら、開館までは余裕で置外で展覧会の大型パネル看板や、方広寺遺跡の説明板などの撮影をしながらウロウロしていました。
一遍聖絵」については、2015年(H27年)秋に時宗清浄光寺遊行寺)の宝物館リニューアルオープンに際して開催された展覧会「国宝・一遍聖絵」展で、藤沢の遊行寺と横須賀の金沢文庫で拝観したことがありました。遊行寺は「一遍聖絵」の維持管理をしており、当時は神奈川県立歴史博物館ともども3館で拝観出来ました。とにかく全12巻を絵巻物の順次に亘って展覧されており、初めて拝観することが出来たのです。でも当時は、メインが聖絵だったが、今回は時宗の歴史的な意味も含めて美術品も各領域に亘って展示が行われており、拝観必須です。特に彫像については新公開の「仏師・行快」作の仏さまはじめとしてお勧めの仏さまが多く出展しています。しかし、「一遍聖絵時宗の名宝」展は3階から順路が決まっており、通常の一般展示とははっきり区分けされていることが分かるが、1階の彫像コーナーでは平常展示の像との区別がはっきりしません。以前にもそのことを指摘したことがあったが、今回も同じ状況でした。各像の説明板を観て判断(特別展対象作例は図録の番号が小さく記している)することとなります。
 
二河白道図」(重文・光明寺)…以前に「仏教大学・ミュージアム」で軸を拝観してから釈迦・阿弥陀如来二尊院遣迎院などを訪れるようになりました。画面を天と地をはっきりと区分し、上段の阿弥陀の浄土が大きく描かれており色調も鮮明です。中間に垂直に白道を表しているのが、何か機械的な現代の構図のようです。以前私が拝した白道図模このような構図でした。
当麻曼荼羅図」(守善寺)…この曼荼羅は、當麻寺曼荼羅の四分の一の大きさだそうで、時宗寺院所蔵の曼荼羅としては古いものだそうですが、画面の傷みが激しく、かろうじて浄土の世界の大きな画面構成や周囲の変相図も眼を凝らして拝していました。
法然上人像」(重文・二尊院)…今までにもどこかの展覧会で拝観したものと思われます。この二尊院に現存する画像は最古のものとも云われています。画幅一杯に描かれた像は、全体に暗くて明瞭ではありませんが、高僧の画像として立派なものではないかと思います。
一遍聖絵」(遊行寺)…今更云うことは無いと思うほどの物語を、延々と的確な風景や建物、民衆の衣服から持ち物まで、描写の中に立寄る先々の様子や念仏踊りの雰囲気が醸され、ほのぼのする物語を辿ることが出来ます。比較することはおかしいのですが、「源氏物語」などの建物なども定規を当てて直線を多用して書き表したり、人物も皆同じような装束で着飾ったしっかりした画像よりも、何処かいい加減な遊びながらの軽いタッチでの描写が生き生きとした生活を捉えて、絵巻から風の音や踊りの喧騒、人々の笑い声や驚きの叫びが聞こえてくるようで、私の好きな絵巻物語です。
「釈迦三尊十羅刹女像」(京都・荘厳寺、正法寺)…釈迦、普賢騎象、文殊騎獅の前に薬上・薬王を従え、四天王が確認出来る。画面の下には十羅刹女が配されている。画面は不鮮明なところもあるが、安定した構図に加え、さぞや当時の画面は煌びやかな彩色と截金の輝きが、見事であったろうと思われ、少し残念な感じです。
阿弥陀如来立像」(行快作、重文・阿弥陀寺)…いわゆる三尺阿弥陀で「快慶」の十八番です、足枘に「法眼行快」銘があり、面相は快慶よりもガッシリとした若い面影を感じさせる凛々しい姿が印象的です。さりげない左胸横の渦巻き状衣文がアクセント。
阿弥陀如来及び観音・勢至菩薩立像」(聞名寺)聞名寺(もんみょうじ)は京都左京区の寺院で、平安時代の第58代・光孝天皇(こうこうてんのう)ゆかりの寺で、創建・変遷は不明。鎌倉時代に「一遍」が時宗道場として再興し、光孝天皇の皇宮・小松殿にちなみ小松寺、小松院聞名寺として地蔵堂本尊・地蔵菩薩(明眼地蔵尊)が祀られていたという。現在は時宗遊行派の寺院として、本尊はまさに「安阿弥様」で本堂内の厨子に祀られています。阿弥陀寺像同様に左胸横と左膝部前に渦巻き状衣文が2ヶ所さりげなく遊び心が。脇侍像ともども来迎形の典型的な姿で綺麗な仏さまです。本尊は足枘を造らずに踵脇で鉄心を差して台座に埋め込むという「生身」(しょうじん)の阿弥陀で、この造像方法だけでしたら滋賀県内の大きな寺院の仏さまからも「行快」作例として確認出来ている造像方法です。脇侍像も丁寧な造りで天衣の一部が欠落している残念さはあるが、深く膝を屈し片足を踏み出した来迎の姿は優しさがにじみ出ています。両像共に筋目の細かい大きな髻が目立つ、衣文の彫りや各所の細工の丁寧な仏さまです。最近の調査で勢至菩薩立像」の足枘に「巧匠・法眼行快」銘が、そして「観音菩薩立像」の足枘には「眼行快」銘が認められ、数少ない「行快」作の遺品として貴重な発見となりました。発見された寺院の名前を最後まで仰らなかった寺島学芸員の気持ちが思い返されました。この仏さまの件については、集いの会に投稿したことがありますので、覚えていらっしゃる方も。。
地蔵菩薩踏下像」(重文、御影堂新善光寺)…新善光寺という名称からも分かるように、この展覧会の出展像にも善光寺式一光三尊の阿弥陀がすぐ近くに展示されています。中国の仏さまに多く見られるという踏み下げ像で、鎌倉時代以降に作例が僅かながら残るということです。大き目の像高でがっしりとした体躯の迫力が感じられる像ですが、面相は穏やかで慈悲深く感じるもので、明らかに中央仏師の作例と思われます。
毘沙門天立像・恵比寿神坐像、大黒天立像」(京都・極楽寺)…毘沙門天立像は等身大の像で、他の2像は40㎝くらいの像です。毘沙門天像は極楽寺の本尊だそうで,恵比寿神と大黒天の財を司る財宝神と共に、構成されているそうです。毘沙門天像は、宝塔を持たずに腰に手を当てている姿です。割首式で胎内からは月輪、小像、摺仏などいくつもの納入品が発見されています。
 
午後2時頃に、会場内で声をかけられたご夫婦と一緒に1階ロビーへ戻り、ご夫婦はこれから「三十三間堂」へ向かうということで、お別れしました。展示会場内は混雑していたようには感じられずに快適に拝観出来ましたが、ロビーはショップがあるせいか思いがけず混雑していました。奈良博のように遅いお昼を食べることが気軽に出来るような場所がないような雰囲気です。屋外は雨模様で傘を差している方々が大勢見受けられました。やはり天気予報通りの雨天です。館の玄関からショップのある正門までは、館内に置き傘があり借りることが出来ます。しかし正門から外はご勝手に、です。私は折り畳み傘を常に持参していますが、眼の前のバス停までのために広げるのを躊躇してしまいます。それでも一向に雨脚が収まる気配がしないので、ほんの数十mの距離ですが止むを得ず差すことにしました。
 
2019417日  AM0:30  Tak