孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

次回の 「仏像愛好の集」 の定例会は 8月3日に開催



8月の 「仏像愛好の集」 の定例会は,第一土曜日の 8月3日に 開催します。

 第一集合【仏像鑑賞会 10:00 東京国立博物館、本館1F エントランス
                                       (大階段脇 11室 前)

只今、11室にて 特別企画 奈良大和四寺のみほとけ で、
国宝4件、(岡寺義淵僧正坐像室生寺釈迦如来坐像・十一面観音菩薩立像
・阿部文珠院文殊菩薩像像内納入品 仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言 の他
重要文化財9件を含む名品が展示されてます。 

既に観たから・・・ とのお考えもありましょうが名品鑑賞の絶好のチャンスですので、折節に脚を運ばれ、卓越した造形と厚い信仰を物語る みほとけたちを鑑賞 堪能しましょう。そして、その魅力を語らいあいましょう! 

★ 本館 2F 3室で展示中の中宮寺紙製文殊及び東博文殊菩薩について (他)の発表の希望が Mさんより出ました。午前の 仏像鑑賞会時に 上記文殊菩薩を ご覧になっておいてください。

 第二集合【勉強会】  13:00 台東区生涯学習センター
              学習館3F 305会議室

ミーテイング議題 勉強個人発表・訪問報告 など ご準備、ご連絡下さい。との前回の広報に対して、まだ連絡を頂けてません! そこで、今回は 詳細のプログラム無しでの、サロン的にの談話で進めたく思います。
宜しくご了承ください。
 
但し、機関ブログ的の孤思庵ブログ移行の件、と、プロジェクター導入の件は 先行準備もありましたので、孤思庵の独断 僭越ながら・・・、先行にて事情に詳しいブンブンさんに企画・実行係を お願いしておりました。その件の途中報告に、ご審議頂きたく存じます。


広報】
只今 新規会員募集中です. 仏像好さん どなた様も お気楽にお試しに参集してみてください!
メンバーの皆さんにも 同好のお友達をお誘いくださいますよう、お願いします。

9/8(日)の「三鷹八幡大神社例祭見物ツアー」の件


ノブちゃんさんより Eメールが届きました。 此処ブログに転載します!

来る9/8(日)の表題ツアーを「仏像愛好の集い」の行事として催行する旨の
告知をして頂き、恐縮です。
当日使う予定の、「ガイド資料」を添付送付します。
 
8/3(土)の「仏像愛好の集い」定例会は、生憎 我が家の 父母の年忌法要」日
と重なってしまいましたので、出席できません。
資料を皆さんに配って頂き、各自に当日まで精読していただくようにして下さい。
よろしくお願いします。
 
尚、9/8(日)当日については、
    JR「武蔵境]駅、12:30集合
   JR「吉祥寺」駅 17:00 解散
     を考えています。
期日が近づいてら、詳細改めて告知します。
 
                                      ノブちゃん
 

★ノブちゃんさんへ、 画像は添付処理せずに 文章の中に 挿入送付をお願いします! 当方スキル無しの為 うまく 添付の画像を読めませんので・・・、
宜しく_(._.)_ 」 孤思庵

7月23日Takさんからの投稿【7月中後半の行動、夏以降の行事予定ほか。」


7月23日Takさんからの投稿 「7月中後半の行動、夏以降の行事予定ほか。」



今、このメール文を作成している時に眼の前のTVでは、NHK・BS101「在宅死“死に際の医療”200日の記録」(再放送)を放送している。以前初放送時に録画してある
が、今回は再度視聴している。密着取材の高齢の在宅訪問医師は、私が厚労省・財団に勤務中に仕事でご指導を頂いた、当時国立国際医療センター(現・国際医療研究センター)病院長だった「小堀鴎一郎」氏だ。彼は鴎一郎の名前で分かるように、「脚気論争」で知られた帝国陸軍軍医総監、また晩年は「仏像愛好の集い」の会にも深い縁のある帝室博物館総長、帝室美術院初代総長を勤めた小説家の「森鴎外」の孫にあたる方だ。

番組案内:  

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2393173/index.html

私は不器用でメール作文とTV視聴の両方一緒にやることが出来ず、どちらか一方になってしまうので、メール作文はいったん中止する。



メール作文再開。

●7月17日(水):「奈良学文化講座」(観音さまに逢いたい)(メルパルク東京
講演会に行ってきました。

奈良学文化講座サイト:  

https://nara.jr-central.co.jp/seminar/naragaku/

この講演会の前に一度鎌倉・長谷寺を訪問しようとしながら実現出来ず。以前の展覧会の図録などで知り得たことくらいの準備しか出来ないが止むをえないので、出かける。久し振りの浜松町・芝地域だ。サラリーマン時代はよく田町の勤務先にも近く「増上寺」近辺の企業などにも出掛けていたが、このところご無沙汰だった。早めに
芝公園に到着したので、増上寺境内に脚を向けた。急で一直線に上がる階段は健在だった。確か非公開の仏さまが定期的に開扉されるはずで、一度ゆっくり拝観してみたいと思っている。

私は、講演会場へはかなり早めの到着と思っていたら、既にホールの前の通りには既に行列が出来ていて、係員がプラカードを持って最後尾を案内していた。「奈良学文化講座」は2部構成で終了予定時間は21時だ。私は例によって会場の中央の左右通路直後で通路脇、つまり会場中央付近で右手側に前後の通路際最右手側という、何処の会場でも同じような条件の座席を確保するようにしているが、今回も特に2階席を閉鎖されていたので、止むを得ず1階席で同条件座席を抑えた。席のすぐ前は通路を隔てる仕切り板があり、荷物も置けてそれなりに脚が伸ばせ、右手側は通路で右隣りの席が無いのでセイセイだ。何より直前に座った客の頭や身体が通路分離れているので邪魔にならないだけでも気持ちが良い。

第1講は、仏教誕生から「観音」の成り立ちをガンダーラ以来、中国、日本への伝来
過程での言葉の意味や像態変化などの変遷を中心にお話しを伺い、第2講は、「法華経」、「十一面観音神呪経普門品」の教えや観音の33応身のことや長谷寺・十一面観音菩薩像についての由来と観音信仰の流れなど、石山寺如意輪観音像、葛井寺・千手観音坐像などのスライド利用で各種観音菩薩像の紹介が大きな画面で綺麗に映し出されて、今更ながら仏さまの尊厳と荘厳な姿に魅入られる。また「霊木」の話しということで、平安文学作品、「蜻蛉日記」、「枕草子」、「今昔物語」などに出てくる「霊験譚」がいくつか紹介されたりして、「仏像愛好の集い」の勉強会などで諸兄から教わったことがかなり多く説明されたので、安心して講師の話しを拝聴することが出来た。おかげで講師の話しに合わせてメモを取りながら持参した図録資料や参考文献コピーのページをめくる余裕も出来て、ジックリ話しを聴講することが出来た。会場が大きなステージになっており、演壇までの距離は遠く、講演会終了後の質問時間も無く、講義を聞きっぱなしになってしまったのは残念だった。開場後の時間や第1講後の休憩時間に会場内を見渡しても、「仏像愛好の集い」会のメンバーの方にお会い出来なかったのが残念。



●紺野敏文・慶大名誉教授が今年4月にお亡くなりになった。

上記講演会に出掛けたところ、会場で以前から各所でよくお会いする同年輩の同好の方で、何でも詳しく的確にお話しになられる男性から、ひょんなことで「紺野敏文」
慶大名誉教授(日本仏像彫刻史学者・80歳)が4月に亡くなられた、ということを
伺った。紺野名誉教授は、私が以前京博のある研究団体発行の論文集で「仁和寺」の仏さまなどについていろいろと述べられているのを眼にしたことから、気を付けて
ネットを調べて、一時期だったが講演会や大学の教室に脚を運んだことがあった。痩躯の哲学者風の面立ちが風格を感じたもので、また、一時文化庁文化審議会委員として国宝・重文指定にも携わっていたはずで、講演会などでもっとよく話しを伺っておけばよかった、と残念。人となりを詳しく知ったわけではないが、年配だったこともあってか穏やかな物腰で静かな語り口調がいにしえの平安朝の世界を醸すようで、語り口調に魅入ったことがあった思い出がある。ご冥福をお祈りします。



●7月18日(木):出光美術館「唐三彩展」展覧会に行ってきました。

唐三彩展サイト:http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/present/

私は、ここ数年間当該美術館で大きな展覧会を拝観した覚えがないことに気付いた。
これからは娘館長の感覚で、従来と違った企画がある事でしょう。2020年来秋の「伊
若冲展」も楽しみ。「東博」、「奈良博」などのコレクションコーナーでの展示に
比べて、考えたレイアウトと展示場面の意匠に拘ったのかもしれない展覧会だった。
詳しくはここでは省略するが、陶磁器の勉強も日本の茶器はじめ焼物とあわせてこれからおいおい時間をかけて勉強していくつもりなのでご教示を。



●7月19日(金):「原三渓展」(横浜美術館)展覧会に行ってきました。

三渓展覧会サイト: https://harasankei2019.exhn.jp/

川合京都仏教美術財団サイト(旧燈明寺管理): http://kawaizaidan.or.jp/index.html

地元の実業家で御多分に漏れず明治期の日本古美術品のコレクターとしても知られている「原三渓」の生誕150年・没後80年記念の展覧会だ。私は地元でもあり横浜市本牧の「三渓園」には幾度となく訪ねたことがあったが、しっかりと古美術や建築物を学習に訪問したことは無かった気がする。4~5年ほど前に京都・木津の「旧燈明寺跡」に残る古美術品所蔵のコンクリート造りのお堂に安置されている諸仏を拝観した時に、初めて原三渓が寺院の本堂と三重塔を京都・木津から本牧三渓園に移築したことを知り、早めにまた三渓園に脚を運ぼうと思いつつ、手軽に行ける気安さからかこれまで木津拝観以来ご無沙汰していた。木津のコンクリート造りの新本堂には現在、千手観音菩薩立像、十一面観音菩薩立像、不空羂索観音菩薩立像、聖観音菩薩立像、馬頭観音菩薩立像他が安置されている。造像時期や像態が分かれることから「六観音」として一緒に作られたものではないと思われるが、それなりに綺麗に残された仏さまだ。横浜・三渓園は私の知る限り「原三渓」と旧燈明寺との関係は、三渓園にある本堂と三重塔だけのようだ。それでも木津の廃寺の寺院に2回拝した者として、ささやかな繋がりがあった。また、木津の史蹟を管理している管理団体が春か秋にでも公開して下さるものと期待している。その時は木津市及び海住山寺が「現光寺」収蔵庫も同時期に開扉して下さるとさらに結構なのだけれど。

三渓は、明治から昭和初期の横浜の生糸貿易商として活動された実業家で、話しは脱線するが個人的には私の母方の曽祖父の代には、彼と同じように「伊勢佐木町」、「元町」で生糸貿易事業「○○屋」を商っていたことから、小学生の頃から元町の尾根伝いの丘陵地の広々とした芝生地の進駐軍(米軍)居留地や競馬場近くにあった大きな母の実家に遊びに行った記憶がある。曾祖父は原三渓ほどには資産家でも趣味人でもなかったようだ。原三渓は古美術蒐集とともに「茶人」としても数寄者のひとりに数えられるようで、現在残る本牧の「三渓園」には広大な日本庭園とともに茶室をしつらえて一般に公開し、広く茶道を広める支援も行ったという。

「国宝・孔雀明王像」は、期間限定での展示だが、私は以前どこかでこの画像を配し
た覚えがあると気になったが、さもあらん東博所蔵作例なので東博でのことかも。岡
倉覚三(天心)に請われて、三渓は近代黎明期の画壇の雅邦、観山などそうそうたる画家たちの活動を経済的に支援したという。1923年(大正12年)の関東大震災で横浜は甚大な被害を受けたが、地元金融機関のトップになり横浜の復興に尽力し、古美術蒐集どころではなかっただろうが横浜の復興を果たしたという。



●7月20日(土):「清泉アカデミア・足利の運慶・快慶」」講演会に行ってきまし
た。

清泉ラファエラアカデミア講座案内: 
https://www.seisen-u.ac.jp/rafaela/lecture/oneday_detail.php#201972

久し振りの五反田行きでした。蒸し暑い街中をゆっくりと歩いて出掛けました。表通
りではなく並行して通るいつもの裏通りを通ってキャンパスまで出掛けた。正面の門
をくぐり右手の狭い石段を上がると、お馴染みの綺麗なコンドル氏建築の旧島津邸の洋館の前には建築資材などが積んであり、かろうじて庭園に抜けるゲートが開いている程度だ。講演会場にはまだ聴講客が疎らだった。本講座には「集いの会」の皆さんも6名が聴講参加されていた。長くなるので山本教授の講義内容は省略。教授のレジメは、相変わらず講義内容に沿った形で項目ごとに表や画像を多用して要領よくポイントを纏めており、直接講義を受けずともレジメだけで充分講義全体が分かってしまう、上手な資料造りに感服する。山本教授は講義後にこの度の講義テーマの重要な立役者・大澤(旧姓塩野)慶子さんを紹介されて、清楚な和服姿の彼女から簡単な挨拶があった。



●7月21日(日):奈良博サンデートーク空海舎利信仰の源流」講座に行ってきま
した。

奈良博サンデートークサイト:https://www.narahaku.go.jp/events/sunday.html 



●直近の行動予定です。

・7月25日(木):根津美術館「優しいほとけ・怖いほとけ」展覧会

根津美術館HP:http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/next.html



●「目の眼」誌・8月号(No.515 )の掲載記事:

上記の横浜美術館で開催の「原三渓」展の特集。国宝「孔雀明王像」(東博所蔵)ほ
か書画、茶器、什器など原三渓の蒐集した美術品が拝観。

「ほっとけない仏たち」は、京丹波町・「新宮寺・不動明王坐像」。青木淳教授は、
洛東・同聚院像の作者「康尚」(定朝の父親)の作例様式を踏襲するものと評価して
いる。次のページには「権現堂」に多くの見事な観音像や熊野十二所権現本地仏の安置の画像が掲載されている。



●奈良・王子町観光PR歴史講座のご案内:

2019年8月19日(月)奈良県王子町観光PR歴史講座・「聖徳太子達磨大師の不思議な物語」

王子町講座開催案内:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000035788.html

於・有楽町朝日ホール有楽町マリオン11F) 開場・12:00~ 開演・13:00~
15:30(予定)

入場・無料、要申込(申込期間・7月19日~8月6日)

第1部・基調講演「聖徳太子達磨大師の不思議な物語」西山厚・半蔵門ミュージア
ム館長

第2部・朗読「聖徳太子と愛犬雪丸のものがたり」新藤晶子元TBSアナウンサー

第3部・パネルディスカッション「明神山から見晴らす聖徳太子1400年」パネラー他



●「司馬遼太郎記念館」友の会主催の「山荘と熊野・古座街道・十津川街道」2泊3日
の旅行:

7月22日(月)に自宅宛てに届いた「遼」誌(司馬遼太郎記念館機関誌)72号に上記
イベント企画の案内があった。私は過去にも同様のイベント企画があったが不参加。
今年は先日の弧思案さんあてのメールにも記したように、当該地域については自分で訪問計画を始めたところだったので、関心の度合いが違う。あとは実施時期の私の都合か?案内パンフのキャッチに魅入られた。

南紀・古座川にある司馬遼太郎の山荘で友の会の皆さんと館長が歓談する企画も今回で3回目。山荘での語らいと古座川の渓流を見学したあと、熊野三山のひとつである熊野本宮大社へ。熊野川水系の絶景を眼前に川下りする瀞峡遊覧をゆっくりと楽しみ、奥熊野・川湯温泉で宿泊。大塔川の川底より絶えず湧き出る源泉をひいた露天風呂で、川原を掘れば温泉が湧き出します。十津川では、人力でロープを引っ張って空中移動する「野猿」、生活橋として日本最長の「谷瀬の吊橋」渡りを体験、五条市の歴史民俗資料館などを見学して「天誅組」の足跡をたどります。』というものです。
一人で行くも良し、同好の方々との歓談兼歴史学習も良し。ちなみに日程は10月5日(土)~10月7日(月)



●第168回奈良学文化講座「卑弥呼はそこにいたか」(弥生時代の巨大集落・唐古・
鍵遺跡を歩く)のご案内:

講座案内サイト:https://nara.jr-central.co.jp/seminar/naragaku/ 

於・奈良県橿原文化会館大ホール  2010年10月19日(土)10:00~開場、10:30~
開演

・座学講座:10:30~12:00

・散策講座:13:00~17:00(約8㎞徒歩)

要申込(4名まで/回、8月29日必着)、参加費有料・1,000円/名



●奈良ファン倶楽部「奈良学講座」(會津八一と奈良)講座:

奈良学講座サイト:http://fanclub.nara-kankou.or.jp/koza02/koza02-2019-03

2019年9月30日(月) 13:00開場、13:30~15:45講演 於:奈良市内・浄教寺本




●奈良ファン倶楽部「奈良学講座」(薬師寺東塔を掘る)講座:

奈良学講座サイト:http://fanclub.nara-kankou.or.jp/koza02/koza02-2019-04 

2019年12月9日(月) 12:00開場、13:00~15:45講演 於:大手町・よみうり大
手町ホール



●最近読んでいる図書関係:

1.「古代国家はいつ成立したか」都出比呂志著(岩波新書・新赤版1325、2018年8月6日・第13刷発行)

2.「内戦の古代史―邪馬台国から武士の誕生まで」倉本一宏著(講談社現代新書
2505、2019年4月11日・第4刷発行)

3.「三井寺に眠るフェノロサとビゲロウの物語」山田静一著(宮帯出版社、2014年9
20日・第2刷発行)

4.「保科正之言行録」中村彰彦著(中央公論新社、2008年5月25日・初版発行)

5.「1868年の会津藩若松城天守閣郷土博物館・平成30年度企画展」(明治150年事
業・戊辰戦争150年事業記念)

6.「「空気」の研究」山本七平著(文春文庫・2018年12月10日・新装第1刷発行)

などなど…



●只今ダビングしているTV番組:

・「新・美の巨人たち鳥獣人物戯画・謎の多い作品に新説!」(4月20日・BS161)

・「新日本風土記高野山」(再放送分・4月25日・BS103)

・「京都ぶらり歴史探訪・桜満開!春の絶景20選(後編)」(4月30日・BS151)

・「大分国東半島・六郷満山1300年を知る」(6月19日・BS211)

・プレミアムカフェ・「戦火に消えた島人(シマンチュ)のメロディ・御座楽、琉球
の民謡」(6月20、21日・BS103)

・BSスペシャル「中国・改革開放を支えた日本人」(4月21日・BS101)

・BSスペシャル「中国王朝・英雄たちの伝説・巨大遺産の謎・万里長城、大運河、
都・長安」(4月27日・BS103)

・NHKスペシャル「日本人と天皇」(4月30日・NHK

ETV特集「反骨の考古学者・森本六爾とミツギ」(7月6日・ETV)

==在野の研究者・森本六爾とミツギ夫妻は、若い時から当時の定説を離れた自説を持ち、「唐古池遺跡」に注目して弥生時代の稲作跡を探し求めて、二人とも30歳台前半という短い生涯を発掘に捧げた。今その遺跡の地中からは弥生時代の稲作跡が認められて、彼らの提唱が的中し、縄文・弥生時代の生活について教科書の書き換えが行われた。現在では弥生時代から稲作農耕が始まるという事実が教科書に載っても、モースの名前はあっても二人の名前は何処にも見出せない。二人にとってあまりにも短い人生だった。==

・ザプレミアム「歴史エンターテイメント・松平信綱保科正之」(6月24日・BS103)

・「フランス人がときめいた日本の美術館・都庭園美術館、日本民芸館、明治村
(6月28日ほか・BS211)

NHKスペシャル「モネ・睡蓮・よみがえる幻の1枚」(6月26日・NHK

・「にっぽん歴史鑑定・天下を決めた清州会議」(7月8日・BS161)

・「にっぽん歴史鑑定・古代ミステリー・遣隋使と遣唐使」(7月1日・BS161)

・「空旅中国・空海のまわり道・彼の歩んだあとを辿る」(6月26日・BS103)

などなど…





2019年7月23日 AM0:30    Tak

8月の 「仏像愛好の集」 の定例会は,第一土曜日の 8月3日に


8月の 「仏像愛好の集」 の定例会は,第一土曜日の 8月3日に 開催します。

 第一集合【仏像鑑賞会】 10:00 東京国立博物館、本館1F エントランス (大階段脇 11室 前)

 第二集合【勉強会】  13:00 台東区生涯学習センター学習館3F 305会議室
ミーテイング議題 勉強個人発表・訪問報告 など ご準備、ご連絡下さい。

 プロジェクター導入の件 独断 僭越ながら・・・、孤思庵が ブンブンさんに導入委員をお願いしました。


只今 新規会員募集中です.仏像好さんへ、 お気楽にお試しに参集してみてください!

9/20(日)20改変   「三鷹八幡大社」の例祭見物 ご一緒しませんか?


予定時間など 詳細は まだですが、現時点で、この企画に御興味
参加見込みの在る)の方は、 此処のコメントでか、 他の手段でも 
孤思庵に ご一報ください!」 孤思庵




「仏像愛好の集」のノブちゃんさん より16日にメールが届きましたので ブログに転載します。」孤思庵

来る、9月に「三鷹八幡大社」の例祭が9/7~8であります。
私的に、9/8(日)に見物を予定しています。
併せ、ついでに、この近く三鷹辺りの神社、仏閣を巡拝するつもりです。

 
日程、時間 ご都合付けば、ご一緒しませんか? 


孤思庵の勝手で、 企画・実行 委員を ノブちゃんに お願いしました! 

続報記事を月末まで・・・、と、次回「愛好会」定例会までに、詳細ガイド資料を用意しておきます。」ノブちゃん


ノブちゃんさんが コメントで 追加広報されました。

見物コースは

武蔵境駅(JR中央線)→②杵築大社→③開宮寺井口院→
⑧大盛寺(井の頭弁財天)→⑨吉祥寺駅(JR線、京王線

歩行距離約5Km、を考えています。
奮って、ご参加下さい。


予定時間など 詳細はまだですが、現時点で、この企画に御興味
参加見込みの在る)の方は、 此処のコメントでか、 他の手段でも 
孤思庵に)の ご一報 ください!」 孤思庵
此処
顔アイコン


7/12Takさんからの投稿 「会津地区巡拝報告。」②


(Takさんからの投稿 「会津地区巡拝報告。」① の続 )
7/12Takさんからの投稿 「会津地区巡拝報告。」②



福島県立博物館

正面入り口に、「徳一菩薩坐像」(勝常寺像・模刻)と「薬師如来坐像」(勝常寺尊・縮小摸刻)、「旧山田寺仏頭」(興福寺像)が出迎え、撮影歓迎となっていた。
会場は大きく「興福寺の寺宝」と「徳一と会津」の2コーナーに分かれており、興福寺コーナーでは東金堂安置の「四天王立像」(国宝、2体、多聞天像、広目天像)、維摩居士坐像」(東金堂、国宝、定慶作、〜7/15))、「法相六祖坐像」(国宝、2体、善珠像、常騰像、康慶作)や「慈恩大師画像」、「春日寺社曼荼羅図」、護法善神扉絵」、「成唯識論」、「細字法華経」、「興福寺流記」など。徳一と会津コーナーでは「三鈷杵」、「慧日寺絵図」、「十一面観音菩薩立像」、「十二天図」「釈迦十六善神像」、「四天王立像」(重文、2体、勝常寺像、増長天像、持国天像)、「吉祥天立像」(重文、個人蔵)、「慧日寺旧蔵印影」など。個々の展示作例については私のノートにはいろいろと書き込んでいるものの、ここでは省略。

展覧会場を退出してからは、しばらく資料室やショップで関連資料や書籍を閲覧し、かなり専門的な書籍などを手に出来たが、入手には及ばずだった。



鶴ヶ城

天守閣まで登り外縁を四周巡り、磐梯山のくっきりとした姿を撮影したりしてゆっくりした。天守の各層には、会津藩の重役武士や女性の活躍など、山本八重だけでなく多くの人々の苦労と覚悟を説明している写真パネルや解説パネルがそこかしこに展示されている。一つ一つ眼を通していくとそれなりの時間がかかった。天守最上層は四周開け放たれており、相当な風が吹き付けて帽子が飛ばされるくらいの風で、歩くのにもひと苦労だった。それでも風景はくっきりと綺麗で満足だった。天守閣最上階では入場者も少なく、暇そうにしていた女性職員としばらくお話しをした。なんと私の話しや諸々のことを小さなメモ帳に筆記し始めたので、驚いたり感心してしまった。
歴史や寺社仏閣、宗教について関心があるということで、わずかな他愛ない事柄でも勉強になるという勉強熱心な職員だった。


7月11日(木)夜半からの雨音も止み、早朝から曇天ではあるが眺望良好。只見線磐越西線で行ける鉄道沿線の寺社仏閣を選んで、幾つかの寺院を訪ねる。昨年も同じように巡拝した経緯があり、交通不便だが止むを得ず、地方での著名な寺院、既に昨年拝観済の寺院は敬遠して少し珍しそうな寺院を目指した。実際に訪れてみないことには分からない貴重な史跡や寺院が眠っているもので、面白いが私だけの独自の評価では公開するに当たらないものもある。今回は事前調査時の評価に似合わないものが多く、チョット期待外れだった。疲れたこともあり、メモもあまり取らずに終わった寺院もあり、今回の拝観報告を省略する。でも、行く先々でひなびた里山や丘陵地でのいろいろな草花の咲き乱れるさまが圧巻な場所が多く、眼を奪われることが多く、癒しというのはこういうことだと感じた。日が落ちてから帰宅のために新幹線に飛び乗った。


●7月13日(土)〜15日(月)

早朝から奈良行き予定。興福寺佛教文化講座、奈良博「法徳寺の仏像」展覧会拝観、その他寺院拝観予定。





十津川村天川村、曾爾高原

『夜間、ある不時の来訪者からの「十津川郷の者だ、坂本先生は在宅か」との申し出に、醤油屋「近江屋」の下僕は二つ返事で2階の下宿者に来客を伝えようと、階段の手すりに手をかけたところを、幾人もの男たちが下僕の背中を切りつけ、階段を押し上った。不意を突かれた「坂本竜馬」、「中岡慎太郎」は狭い部屋で応戦する間もなく惨殺された。』ドラマでもおなじみのもっぱらのシーンだ。その時の来訪者の「十津川郷」、「十津川藩」が気になる。「司馬遼太郎」も注目していた十津川藩(名ばかりの京都藩邸を持つ)を名乗る理由が史実では明らかになる。当時それほどに山狭部の食糧困窮するものの、でも「天領」十津川藩、藩士(自分たちで農民ではなく士族だと自負して名乗った)は注目されており、維新時期にも「天誅組」の舞台とな
り、多くの農民士族が関わることとなった。私は、最近には有史以来の歴史の為政者により作られた「十津川共和国」、「滅私奉公」の歴史を知りたくて、奈良時代からこの地域の歴史を掘り起こしている最中だ。

「金光明最勝王経」の「夢見金鼓懺悔品」を典拠に、「會津八一」は興福寺西金堂に安置されていた「華原馨」と「金鼓」について説明を行なっており、論文に金鼓について記している。古くは會津八一が「大江親通」が「七大寺巡礼私記」に「其金鼓上、円盤状台座、合掌菩薩坐像、動揺流転、向方不定也」についての記述があることを伝える。これは「阿修羅像」はじめ「八部衆像」ほかの慈悲面相の遠因になる。また、「小林剛」も「興福寺流記」の「宝字記」を引用し、「…疑問」という論文に金鼓について記している。そして「福山敏男」によって現代の通説が出来上がっているようだ。私が、現在の興福寺国宝館安置の「華原馨」には無いものとして気になるものの一つとして流記にある「坐白石一面」と「基遠川白石云々」については、福山敏男は「造仏所作物帳」の記事を引用して、「十津川・洞川」辺りの河原で石工を擁して切り出され奈良・平城京に運ばれた石材の一部に当たるという。

以上長々と記した「奈良県最奥部」の「大峯奥駈修験道」はじめ、「十津川村」、天川村」、「室生寺古道から曾爾高原火山群へ、そして赤目四十八滝へ」という空間は、私がだいぶ以前の中年おじさんの頃からの注目・憧憬地域だったこともあり、近いうちに体力のあるうちに脚を運ぶことを思い立って、最近になって登山ルートなどを考えることとした。今年中に実現が困難であれば来年中には出掛けたいものだ。五輪にはあまり関心が無いので、五輪開催中に出掛けるとあまり混雑していなくて良いのかもしれない。もっとも当該地域にはあまり外国人も脚を向けないと思うので、いつでも空いているかもしれないが…。



ちょうど今しがた、NHK・BS101チャンネルで「にっぽんぐるりええトコ」という深夜番組で「山のずっと奥へ、行ってみたい」というテーマで「奈良県十津川村」、奈良県五条市」、「奈良県下北山村」の探訪取材を放送していたので、このメールを記しながら横目で見ていた。これからの計画に役立つかも。





2019年7月13日  AM0:30    Tak



★当初メール送信のシステムの都合か?で、文章に段落に不備があるのに気づきました。しかし、転載時に当方に余裕がなくて、やむなく その段落不備のまま、転載掲載してしまいました。
遅ればせながら、やっと本日7/19に修正しました。かように修正作業が遅れまして失礼しました。」孤思庵


7/12Takさんからの投稿 「会津地区巡拝報告。」①


7/12の Takさんからの投稿①



●福島・会津地区巡拝:

7月9日(火)、私は早朝に、『行無輿兮帰無家、國破孤城乱雀鴉、治不奏功戦無略、微臣有罪復可嗟、・・・』(『戊辰150周年プレ事業冊子発刊「信念を貫き通した会藩士秋月悌次郎」』、「有故潜行北越帰途所得」北越潜行の詩冒頭)と『落花は枝に還らずとも』(中村彰彦著、新田次郎文学賞受賞作、中公文庫、上下巻)、そして『徳一菩薩と慧日寺』(磐梯町教育委員会発刊、1・2巻)を持って、だいぶ嵩張る荷物になったが會津の地へと出掛けた。

天気予報では雨模様の時期だったが、幸いにも旅行中はほとんど曇天あるいは晴天で、雨には遭わずに快適な行動が出来た。列車内からはあいにく磐梯山も雲の中だったり、頂上部分が雲に隠れたりで、満足には姿が拝せなかった。馴染みとなった「磐梯町駅」で降車し、のんびりと「慧日寺」に向かった。



史跡・慧日寺跡:

県道の先の「薬師橋」の袂に「史跡・慧日寺跡」と刻した大きな石柱が目印になっているが、今まで気が付かなかった興福寺・多川俊英貫首の筆になるものでした。橋の先は一本道で慧日寺跡に突き当たる。主要な寺域範囲はここ数年の馴染みとなった場所で、「徳一廟」の先、「今与供養塔」、「磐梯神社」と「不動院龍宝寺不動堂」、「乗丹坊供養塔」など、これまで工事中だったりであまり脚を向けなかった寺域まで出かけてみた。入口の小さな受付では、2人の女性職員が拝観受付をしていたが、昨年秋の拝観時にもお会いしていたので、しばらくお客様が見えるまで、と云っても小一時間あったがいろいろとお話しをして過ごし、暇つぶし兼業務妨害まがいなことをして過ごしました。復元「金堂」内では昨年夏に復刻落慶薬師如来坐像」の姿をいろいろなアングルから撮影し、制作期間の記録ビデオや写真パネルを幾度も拝見した。史跡の先の「旧本坊・恵日寺」の山門と本堂に向かい、これまでお寺の方にお会い出来なかったが、今回は初めてお寺の方(女性)にお会い出来た。そこでまたしばらくの立ち話しで、私が以前から気になっていた本堂の屋根の「向拝」というか
「庇」の金板葺き屋根の形状が特異なことを伺ったが、形状の由来は不明とのことだった。豪雪地域のお寺なので、積雪対策としての屋根の形状という考えが出来るのではないかと思う。様式として出来た形状ではないと思う。



磐梯山慧日寺資料館:

その後に隣の「磐梯山慧日寺資料館」を訪れ、「磐梯町教育委員会学芸員」という山中氏にお会いして、しばらくの歓談や質問に対応していただいた。山中氏は名刺に文学博士、日本考古学協会会員ということで、考古学・発掘調査を中心に活動をされてきたそうで、明日は喜多方市方面での調査があるということだった。彼の話しのなかで、徳一は厳密には興福寺僧とは言えずむしろ東大寺学僧ということで、兼学道場としての学僧で、法相宗でも大きく2系統の教えがあるうちの1系統に属していたのではないか、ということまで教えていただいた。徳一が会津地域から福島北部に寺院創建などにより、大きな影響力を持って仏教信仰を広めた後のことや、空海最澄との宗教論争を超えたつながりがあったから、徳一以降の天台、真言の浸透、勢力拡大につながったということが彼の主張だった気がするが、その通りだっただろう。ここでは複雑な話しなので伺った内容については省略する。彼のおかげで徳一の後継者となった「今与」の活動や慧日寺の「衆徒頭乗丹坊」のことも知ることが出来た。彼には史跡+資料館+県博入場券をそろえての料金割引やらドリンク割引などのサービスがあったり、期限なしの次回入場料割引などの特典を教えてもらった。しかし知るのが遅かった、残念。資料館のパンフレットによると、6月には県博の塚本麻衣子学芸員が講演済で、7月20日(土)には東北大学・長岡龍作教授の講演会が予定されているようだ。長岡教授の講演会は都合がつかず聴講不可で残念。

資料館退出後には、毎回立寄る「龍ヶ沢湧水群」、「戒壇跡」を巡って下山し、「道の駅」には寄らずに磐梯町駅へ戻った。曇天の一日約6時間の滞在・拝観だった。会若松駅に着いた頃に小雨が降り始めた。それでも行く先々には色とりどりの多くの花が咲き乱れており、散歩にはもってこいの一日を過ごせた。





7月10日(水)、早朝から雲一つない上天気で、快適な出発となった。「鶴ヶ城」方面に脚を運び、県博会場までは、「西郷頼母邸跡」、「山本覚馬新島八重生誕地碑」、「日新館・天文台跡」、「山鹿素行生誕地・直江兼続屋敷跡」、「蒲生氏郷墓」などを歩いて巡り、午前9時30分前に「福島県立博物館」へ向かった。ここまでにもかなり歩き回った感じだ。これまでにも当地を訪ねた際に観た「司馬遼太郎文学碑」、「秋月悌次郎詩碑」、「新島八重像」、「土井晩翠胸像」などを眼にしてから県博に入る前に、散歩中の恰幅の良い高齢の男性にお会いして、長話となったので途中から「循環バス・ハイカラさん、あかべえバス」の停留所ベンチで二人でおしゃべりとなった。地元の方で会津若松市役所の建設関係の部署にお勤めだったということで、市内の詳しいお話しや歴史、特に戊辰戦争時の主な藩士の活動の事など、色々と話しの展開が早く、なかなか話しについていくのが大変だった。特に私が心酔してい秋月悌次郎については、「北越潜行の詩」の時の悌次郎のこと、「長州藩士・奥平謙輔」との親密な間柄、鶴ヶ城落城明け渡し式の取締り、その際に奥平に託した若き山川健次郎はその後教育界での活躍で、京都帝国大学東京帝国大学総長を歴任する
ほどの教育者になった事なども。悌次郎は新政府から恩赦となり請われて東京大学備門から熊本第五高等学校教授となり、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)に「神のような人物」と評され、その後の五高ではハーン、夏目漱石と並ぶ名物教授として知られているなど、会津以降の明治維新のことまで、彼からは細かい話しまでいろいろ
とご教示頂いた。そして会津は「河合継之助」との関係も切り離しては語られない人物ということで、私の知らないこともいっぱい教えて下さったが、メモも取れずにいたので、改めて彼の話したことを反芻して自分で調べなくてはと思っている。昨秋の鶴ヶ城内でお会いした老夫妻とのお話しが思い浮かび、話しの内容も似通ったものもあったので、地元の方はやはりよく歴史、特に戊辰戦争の頃についてご存知だと感心した。おかげで約50分のおしゃべりタイムに費やしてしまったので、県博入場時間は10時30分となってしまった。

(Takさんからの投稿 「会津地区巡拝報告。」②に続く)



★当初メール送信のシステムの都合か?で、文章に段落に不備があるのに気づきました。しかし、転載時に当方に余裕がなくて、やむなく その段落不備のまま、転載掲載してしまいました。
遅ればせながら、やっと本日7/19に修正しました。かように修正作業が遅れまして失礼しました。」孤思庵