孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

7/20改★部分  【参加募集】康慶の地蔵座像を瑞林寺に訪ねるツアー

★【7/20 追記】
応募連絡を頂きまして、ありがとうございました。現時点で、最初の1台分の定員5名は埋まりました。 今後の応募は、キャンセル待ちか、追加2台目の確保待ち、に成ります。宜しくご御承知おき願います。

【7/16 追記】
孤思庵 及び マイカーのフリー日は
7月の…×・×・ 20・×・22・×・24・25・26・27・28日・×・×・× 8月の…×・7・8・9・10・11・×・13・14・15・16・17・18・19・20・21・22・23・24・25・26・×・28・29・30・31日です。 9月以降はまだ調べてません、9月に入る様ならば・・・、 改めて 募集を掛けます。
この広告が遅れまして、一部には フリー日以外の 日程のお申し越しを、すでに頂いてしまいました。申し訳ありません、何卒、上記のフリー日での ご希望日に変更して頂けます様に お願い致します。m(__)m



参加者募集】康慶の地蔵座像を富士市の瑞林寺に訪ねます


8月15日の一般公開を避けて、単独グループでの拝観をしたく思います。
昼食は沼津港飲食街で美味しい魚を・・・、
そして田方郡函南町の「かんなみ仏の里美術館」で実慶作の阿弥陀三尊 他を鑑賞します。

暑い最中と、交通の便が良くないのと、経費節約等を考慮して・・・、自動車での移動ツアーとします。ご理解ください!

 2次 参集者を募集してます 「日帰り 仏像拝観ツアー」 byマイカー利用
                                              
古くて、擦り傷ありのボロですが…、大いほうですので 割とゆったり 乗って頂けるかと存じます。
      
参加者希望の方は、此処へのコメントかメール等で参加申し込みと実施希望日(ご都合)連絡ください!
現状車1台を考えてますので、運転手以外の3~4名の応募を考えてます。もし多数の応募がありましたら・・・追加の自家用車の提供を求めます。

     日程・修正案等は、 応募者間での相談で決定します! 先ず参加者の募集をしてます!
     
     参加をご希望の方は、此処へのコメントか、Eメールsusumu_shiba@yahoo.co.jp 等で、
     実施の希望日、ご自身の都合状況等を添えてご連絡ください!


★【7/20 追記】
応募連絡を頂きまして、ありがとうございました。現時点で、最初の1台分の定員5名は埋まりました。 今後の応募は、キャンセル待ちか、追加2台目の確保待ち、に成ります。宜しくご御承知おき願います。
2台目の自動車が確保できれば、二事次参集者も実施されます。二事次参集者の内に自家用車提供者は居ませんか?                                    
2次参加者希望の方は、此処へのコメントか、孤思庵のアドレスなどご存知の方は、メールでもOKです。お申し込みと 下記の当方フリー日の内の、実施希望日をお寄せ願います。


【スケジュール】

JR大崎駅際⇒ 富士市瑞林寺⇒ (沼津魚市場食堂)かんなみ仏の里美術館⇒ JR大崎駅

   9:00 発 →→→→→→→→  ( 約9時間 )  →→→→→→→→→  着18:00頃

   
JR大崎9:00→(140km・2時間・ETC3,030円)→11:00富士市瑞林寺(滞在45分)11:45→(32km・50分・ETC650円)→12:35沼津港飲食店街(滞在60分)1:35→16km・40分・一般道→2:15 かんなみ仏の里美術館(滞在1時間半)3:45→(112km・2時間。ETC2,510円)
→5:45JR大崎



【費用概算】 
ハイオクガソリン代 300km/5km=60L   127円×60L= 7,620円 
(燃費悪くて済みません!以上は予測概算です、実際使用料でご負担いただきます。)
高速代ETC  3,030+650+2,510= 6,190円
拝観料  瑞林寺(志納・2,000円)×1 =2,000円
観覧料  かんなみ仏の里美術館 (300円-年齢割引100円)×5人=1,000円
昼食代は 各個人払いとして 計算に含めません

総計:7,620+6,190+2,000+1,000=16,810円 
総額16,810円÷5名=一人頭 3,360円(4人の場合4,200円)






① 瑞林寺の地蔵菩薩像 運慶の父・康慶前半生の作      クリックすると新しいウィンドウで開きます  

★数年前に同所で拝観しました。 その時の印象は 衣皺のつれ具合などに写実を感じ 鎌倉彫刻の原点と感心しました。この頃では衣皺の表情に 慶派ながらも、その後の衣の襞が深い慶派鎌倉彫刻とは相違で襞は浅目で平安期のの名残が在るように思えてきました。 
今では、この像は、康慶の史料上の初見の頃である。治承元年(1177)の作品です。これは平安時代なのです。ですので、先述の鎌倉彫刻云々は誤りで、平安仏なのです。 そういう意味で慶派の祖の作品でありますも、慶派の確立の以前の仏像、と知りましたので、今度はそんな意識で、鑑賞したく思います。それに付けても・・・、まだ平家の世に、既に康慶はこの様に東国にまで意識を配っていたなんて、したたかな人物と改めて感じます。
この地蔵座像、左足の脛から先の存在感が無いと批判されて居ますが、本当にその様か 今回は良く見たいと思ってます。もしかしたら、遊戯坐の表現として許容範囲内ではないかと思ったりしてます。」孤思庵

www.butsuzoutanbou.org/ホーム/静岡県/瑞林寺/ - キャッシュ
ほぼ等身の寄木造の坐像で、玉眼、足は右足を組まず前に出す安座という座り方をして いる。

瑞林寺の地蔵菩薩像     運慶の父・康慶前半生の作     


お寺や仏像のいわれ
瑞林寺は黄檗宗の寺院で、17世紀の創建。
この地域の新田開発を助け、この寺を開いた鉄牛禅師という方が本像をご本尊として迎えたと伝える。それ以前の伝来は不詳。
 
 
拝観の環境
地蔵菩薩像は収蔵庫に安置されている。
収蔵庫内に上げていただけるので、間近で、また側面からも拝観できる。開けた扉から光が入り、とても拝観しやすい環境である。
 
 
仏像の印象など
ほぼ等身の寄木造の坐像で、玉眼、足は右足を組まず前に出す安座という座り方をしている。
両手先と裳先、右足つま先、持物等は後補である。
 
像内には銘があり、1177年8月に造立が開始されたことや、大仏師として「法橋□慶」の名などが書かれている。「□」は読み取りが難しい字であるが、同年12月に法橋(ほっきょう)という位にのぼった康慶ではないかと推定されていた。近年赤外線撮影によって、この字がやはり「康」であることが確認された。
康慶はかの有名な運慶の父であり、師である。生没年は不明だが、1152年から造仏の記録が現れる。師は奈良仏師の直系、康朝とされる。1196年に再興東大寺大仏殿の四天王像(現存せず)を定覚、快慶、運慶とともに完成させたのが最後の事績で、それからまもなく亡くなったと考えられる。 瑞林寺像は彼の前半生の作品として確実なものとして唯一現存するものである。
 
像の印象だが、とにかく全体が整っている。
片足をやや前に出しているため少しだけだが膝の間に余裕ができ、ゆったりと衣が表されている。全体に襞(ひだ)は浅めだが、左の腰など深く彫り込まれ、メリハリがある。
きりっとした顔は理知的で、理想化された人間の顔の表現である。ここに平安末期のほかの彫刻との違いがあるようだ。定朝様式の仏像が、はじめから人を遥かに超越した存在を目指して制作されているのい対し、康慶(及び、その後を襲った鎌倉彫刻の創始者たち)は、人の写実を尽くし、理想化を実現し尽くしたところに仏をあらわそうとしているように思う。いささか乱暴な言いだが、像のつくりにおいて、前者では人と仏ははじめから異次元にあり、後者では人と仏は同じ地平にあるという違いである。
定朝様式を見慣れた人々にとって、康慶の仏像は極めて新鮮に映ったであろう。いや、今見てもこの本像はとても新鮮である。
 
左足の膝から下はすっぽりと衣に隠れ、実在感が得られにくいのは康慶の彫刻のくせなのかもしれない。興福寺南円堂の法相六祖像(興福寺国宝館で展示、一部は奈良国立博物館に寄託)の衣の下の足が写実感を失っているのと共通点といえるようにも感じる。
 
 
銘文からわかったこと
地蔵菩薩像の銘文には、結縁者として宗慶など慶派の仏師の名前があるほか、すでに亡くなっていたと考えられる康朝の名前も見える。このことから、康慶はこの像の作者であると同時に願主でもあり、師の菩提を弔うとともに康慶を中心とした仏師集団の結束を固めるための造像であったとの推測が可能である。
また、銘文中にはのちに鎌倉幕府と深いかかわりをもつ人物と思われる名前も見える。やがて平氏政権が幕を下ろすとともに、それまで活躍の機会が限られていた奈良仏師は、頼朝の推挙もあって、平氏によって焼かれた奈良の復興や東国の造像に力をふるうことになる。康慶と東国の有力者とのつながりがこの瑞林寺像の造立の時点ですでにははじまっていたことが知られて、興味深い。
 
 
その他
富士市立博物館の常設展示室にレプリカが展示されている。
 
 
さらに知りたい時は…
『運慶ーその人と芸術』、副島弘道、吉川弘文館、2000年
「瑞林寺地蔵菩薩像の銘文と仏師康慶」(跡見学園女子大学美学美術史学科『美学・美術史学科報』28)、牧野あき沙、2000年




 
  ②  【かんなみ仏の里美術館】 
 
★桑原薬師堂時代にも3度ほど、「かんなみ仏の里美術館」になってからも2~3度訪れてます。
桑原薬師堂時代はとても鄙びていて、また堂守をされてました麓のお寺の奥さんが趣のある接待をしてくれてました。打って変わって、「かんなみ仏の里美術館」はモダンな建物に、仏像の美術館として、展示仏像の他にも仏像一般知識の基礎的なパネル展示もあり 他の美術館には少ないと感心しました。


かんなみ仏の里美術館】  については かんなみ仏の里美術館でネット検索してご覧ください

沿革 | かんなみ仏の里美術館

www.kannami-museum.jp/about_enkaku.html
方南桑原区では、平安時代の「薬師如来像」や鎌倉時代の「阿弥陀三尊像」など、二十四体の仏像群が、里人の厚い信仰心によって守られてきました。 これら仏像群の散逸を防ぎ、後世に保存継承していくための施設として、..明治30年代後半に桑原の有志により、長源寺の裏山中腹に「桑原薬師堂」が建てられました。2008年(平成20年3月)に桑原薬師堂の二十四体の仏像群が、桑原区から函南町に寄付されました。
寄付された仏像群には、国指定重要文化財阿弥陀如来及両脇侍像(略称・阿弥陀三尊像)の他に、静岡県指定有形文化財薬師如来坐像毘沙門天立像、聖観音立像、地蔵菩薩立像、十二神将立像)があり、その中にも全国的に貴重な文化財が含まれています。町民の財産である貴重な文化財を、
後世に保存継承するとともに、多くの方々が鑑賞し、学ぶことができる施設として「かんなみ仏の里美術館」が設置されました。




国指定重要文化寺 阿弥陀如来 及び 両脇侍像   実慶昨


県指定 十二神将
平安時代の三体をはじめ、鎌倉時代南北朝時代末~室町時代初期、江戸時代の作品です。
また、小型品が多い中、像高が1メートル前後と大型品で、十二体が揃っていることも貴重です。





③沼津港飲食店

沼津港飲食店街沼津港で水揚げさればかりの新鮮な魚介類が楽しめる飲食店街。沼津名産の干物などのお土産も豊富で、多くの観光客でにぎわっています。平成21年4月には約13店舗が入った大型マーケットモール「沼津みなと新鮮館」もオープンしました。


★ Mさんより、「康慶作瑞林寺地蔵菩薩坐像の銘文については、牧野あき沙の論文がインターネットでダウンロードできます。」 とのコメントを付けて頂きました。 ご参集予定の方は参照なさってください。

Cメールの方には、早々に「8/3or8/5 なら」との希望付きの参加希望のメールが届きました。 当方のミスで、8/3も8/5も 当方の都合が付きませんでした。このブログ最上段の孤思庵 及び マイカーのフリー日に変更して頂けませんでしょうか?! 不手際深くお詫びします m(__)m

応募が集まりました状況で、その方々のイニシャル公表しようかと思ってます。
尚、(1台or2台)車の定員に余る人数と成った場合にはやむなくご遠慮いただく場合もあるかと存じます。
まずは 参集人数を掴みたく存じます。そして実施日選定の為、 孤思庵 及び マイカーのフリー日、9月以降の希望日をお寄せ願います!(7/16)


【7/20 追記】
応募連絡を頂きまして、ありがとうございました。現時点で、最初の1台分の定員5名は埋まりました。 今後のご応募は、キャンセル待ちか、追加2台目の確保待ち、に成ります。宜しくご御承知おき願います。