孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

正月四日  深淵 七福神巡拝 & (天恩山五百羅漢寺)参拝

去る11月2日の「仏像愛好の集」定例会 ミーテイング時に 来年正月4日に「元祖山手七福神めぐり(目黒七福神巡り)」企画が実行と決定しました。
11月2日の「仏像愛好の集」定例会の席では 東急目黒線 不動前駅 集合の意見が出てましたが、 熟考の結果 下段のコースに 変更させて頂きます。

コースは3km余りで巡拝に要する時間は2時間程度だが、御朱印の待ち時間によって大きく違ってくるため、事前に、御朱印の件、話し合いが必要。御朱印の可否の決定をします。

各寺院はほぼ一列に並んでおり、白金の覚林寺(清正公)もしくは目黒の瀧泉寺目黒不動)から始めることになるが、途中の五百羅漢寺に立ち寄り可能性の都合、アフターの懇親食事会の店舗の点で、白金から目黒に向かう、を選択しました。 この順の巡拝は、無病息災・長寿祈願の御利益があるとされます。

修正の【集合場所日時】
4日 10:00am
都営地下鉄三田線東京メトロ南北線白金高輪駅:1番出口(清正公前交差点方面)防寒 風除けの為、の道路に出る前の構内側 階段の下にします。
↓ 徒歩5分

10:10(清正公 覚林寺):寛永8年(1631)可観院日延上人によって開創
日延上人は李氏朝鮮の臨海君(第14代国王・宣祖の庶長子)の子で、文禄の役の際、加藤清正が連れ帰って養育した。熱心な法華信者であった清正の信仰を受け継ぎ、博多の寺で出家。次第に頭角を現し、30歳で小湊誕生寺十八世となった。
誕生寺を退出した後に覚林寺を開き、清正公の像を祀った。以来、「白金の清正公さま」と親しまれ、開運・勝運の神として信仰を集めている。

  【毘沙門天】……武道成就、降魔厄除、家内安全、夫婦和合の神様
  (10分間)10:20

↓徒歩8分
10:30(瑞聖寺)御本尊:釈迦如来・札所本尊:布袋尊
  【布袋尊】……千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛
  (10分間)10:40
徒歩7分
10:50(妙円寺足利尊氏開運の念持仏である妙見大菩薩の像を奉安し、「白金の妙見さま」として親しまれている。
 【福禄寿】……財運招福、延命長寿、立身出世、招徳人望の神様
 【寿老人】……幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様 (10分間)
11:00
↓徒歩10分
11:10(大円寺)当寺は、目黒行人坂の途中にあり、大黒寺の通称で知られる。御本尊は清涼寺式の生身釈迦如来(国の重要文化財)だが当、釈迦堂に祀られており、正面本堂には開運大黒天を祀っている。
寺伝によれば、寛永元年(1624)出羽湯殿山の行者・大海法印が大日如来を祀る道場を建立したことに始まる。行人坂の名は、大円寺を拠点とする修験者たちが個々を往来したことによるといわれる。
明和9年(1772)江戸三大大火の一・明和の大火(行人坂火事)で焼失したが、その火元であったことから幕府の咎を受けて再建を許されず、本尊・大日如来像や過去帳などは隣寺の明王院に移された。境内の五百羅漢石像(都有形文化財)は、この大火の犠牲者の供養のために作られたと伝えられる。
嘉永元年(1848)島津斉興の帰依を得てようやく再建された。一方、明王院は次第に衰微し、明治初年に大円寺に合併されて仏像も移された。
山手七福神の大黒天は正面本堂に祀られた開運大黒天。『新編武蔵風土記稿』を見ると、当時は明王院に祀られていたようである。『江戸名所図会』の行人坂の図にも、明王院に「大こく」と書かれたお堂が見える。(20分間)

 【大黒天】……五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛の神様
11:30  
徒歩7分
11:40(蟠龍寺)宝永6年(1709)増上寺の霊雲上人が行人坂下にあった称明院をここに移し、霊雲を中興として、霊雲山称明院蟠龍寺と改めた。
さらに寛政6年(1794)浄土宗の戒律を復興するため、増上寺の妙誉定月和尚の志願により律院(戒律を厳守する寺院)に改められた。今も「不許辛肉酒入山門」の結界石にその名残を見ることができる。
 【弁財天】……恋愛成就、学徳成就、諸芸上達、福徳施与の神様 (10分間)
山手七福神の弁財天は、本堂脇の岩窟内に八臂弁財天の石像が、弁天堂に同じく木像が祀られている。岩窟内の弁財天は岩屋(窟)弁天の名で知られ、『江戸名所図会』にも「蟠龍寺窟弁天祠」として描かれている。弁天堂の木像は七福神詣の期間のみ拝観することが可能。
11:50
徒歩7分
12:00 )(瀧泉寺)(通称:目黒不動尊)札所本尊:恵比寿神
創建年代:大同3年(808)開山:慈覚大師円仁
宗派:天台宗

当寺は、慈覚大師円仁の開創による関東最古の不動霊場である。
大同3年(808)15歳の慈覚大師は、師の広智阿闍梨とともに比叡山伝教大師の元へ向かう途中、目黒の地に立ち寄った。その夜、大師の夢に不動明王が現れ、「我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり」と告げた。そこで、その尊容を自ら彫刻し、一寺を建立したと伝えられる。
江戸時代には徳川家光が深く帰依し、五十三棟に及ぶ大伽藍を造営した。以来、江戸の裏鬼門鎮護として歴代将軍がたびたび参詣し、広く庶民の信仰も集めたという(30分間)
JR山手線「目黒駅」へは、徒歩13分

(昼食)(天恩山五百羅漢寺)
昼食を 目黒不動門前町の店での摂る。 その後、近くの 五百羅漢寺で「目黒のらかんさん」として親しまれています。
元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年
の歳月をかけて彫りあげた五百体以上の東京都重要文化財に指定されています群像を鑑賞しませんか? 
天恩山五百羅漢寺は元禄八年(1695) 本所五ツ目(現在の江東区大島)に創建
されましたが、明治維新とともに寺は没落し、明治四十一年、目黒のこの地に
移ってきました。長年の風雪痛んでいましたが、昭和五十六年に近代的なお堂が完成し、名実ともに「目黒のらかんさん」としてよみがえりました。
どうぞゆっくりと「目黒のらかんさん」にお参りしませんか? 
(し
その後 目黒駅周辺で、懇親新年食事会をしませんか? 

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