孤思庵の仏像ブログ

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梵天の服装に付いて 教えて

Takさんが気付いたのですが・・・、仏像・仏画梵天と 吉祥天の服制が そっくりなのです。クリックすると新しいウィンドウで開きます クリックすると新しいウィンドウで開きます

梵天の服制は 中国の貴人の服制と聞きました。中国の古代の貴人の服制に男女の相違は無いのでしょうか? が Takさんとの間で、疑問話題になりました。  千葉の仏像教室で吉祥天の授業の際に、講師に尋ねましたが、中国の古代の服制に詳しくないのでと、明言は得られませんでした。  そこで Yahooの 知恵袋に 質問投稿してみました。 


梵天の服装に付いて 教えてください。当方仏像趣味人です。

2018/3/1704:14:13
梵天の服装に付いて 教えてください。当方仏像趣味人です。
興福寺に2躯ある 重文の 梵天立像、 や 奈良国立博物館蔵の 重文重要文化財 絹本 著色 金泥 掛幅 十二天像. 鎌倉時代 13世紀のうちの 梵天掛幅 などを観ますと、女神の吉祥天の着衣と そっくりです。その服制は 古代中国の 貴人の服制と聞きます。 その古代中国の 貴人の服制には、 男女の区別は無いのでしょうか?

そもそも梵天を 男性と見るのが誤りなのでしょうか?ブラフマン(brahman)は、古代インドにおいて万物実存の根源とされ、それは中性名詞。それを神格化したブラフマー(brahmanā) が
梵天サンスクリットbrahman に そもそもインド哲学における宇宙の根本原理で中性名詞。 それを神格化し、派生したブラフマーbrahmanā は、は男性名詞(語幹末が ā で終わる女性名詞と、 男性名詞、中性名詞で語尾変化した後に ā で終わる単語とを区別しなければなりません。 例えば、-anで終わる男性名詞は、主格単数が-ā になります。) これで良いのでしょうか???と ややこしいのですが、それに付いての御高説を賜りたいです。

とにかく現状では、仏教天部の梵天を男性神と思ってます。 その梵天の服制が、吉祥天女の服制と同じに・・・、違和感です。

その梵天や吉祥天の服制は 古代中国の 貴人の服制とあります、その貴人の服制に、 男女の区別は無いのでしょうか?

梵天の着衣が 吉祥天の着衣と 同様に見える理由を お教へ 願います。
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回答

1〜1件/1件中
tisa・・・さん
2018/3/1809:38:41

梵天さんは男性です。
着衣ですが、奈良には、もう1体東大寺二月堂に、有名な梵天さんがおられます。この梵天さんは、薄い羽織もののしたにヨロイを着用しているのが特徴です。
穏やかな姿の下にはヨロイを隠す、武神としての性格が表現されています。

そう言えば、古代インドの神話にこんなのがあります。
あるとき、ひとりの下っぱの神様が、急ぎの願い事があり、梵天の元を訪れると、門番に「ただいま梵天さまは、お昼寝中です。しばらくお待ちください」と止められた。ところが、何百年待っても起きてこないので、「ねぼすけの神め。貴様など信仰するものはいなくなるが良い」と呪いの言葉を吐き、シヴァのところに行った。
そしたらシヴァさんは、エッチの真っ最中、何百年待っても終わらないので「淫乱な神め。お前なんぞ性器の姿で祀られろ」と呪いの言葉を吐き、インドラのところに行った。
するとインドラさんは、すぐに会ってくれて、願いをかなえてくれたので、この下っぱの神様は感激し「世の人間たちは、こぞってあなたを信仰します」と慶びの言葉を述べて去った。
この神の言葉通り、梵天を信仰する人はいなくなり、シヴァはリンガの形で信仰され、インドラは一番有名な神となった…。


【回答に対しての質問者(私)のコメント】
御回答中に、「東大寺二月堂に、有名な梵天さんがおられます。」は 東大寺二月堂の誤りと存じます。
古代インドの神話で、ある神様が、急ぎの願い事があり 梵天と インドラを訪ねる・・・云々の話は初耳でした。がブラフマンの信仰から シヴァへの信仰へ、更にはインドラ信仰へ との移ろいの  説話は面白かったです。  しかしブラフマンの信仰から シヴァへの信仰へは 簡単には知りますが・・・、インドラへの評価は無知でしたので、ウィキペディアで勉強してみました。

インドラ - Wikipedia に依りますと。
リグ・ヴェーダの時代には神々の中心とも言える絶大な人気を誇ったインドラも、時代が下り、ヒンドゥー教が成立した時代になれば影が薄くなる。「雷を象徴する強力無比な英雄神」として、変わらず重要な立場にある神であることは間違いないが、神々の中心の座はシヴァやヴィシュヌなどに譲ってしまい、代わって世界を守護するローカパーラ(世界守護神)の地位に落ち着いている。 四方にそれぞれ神が配置され、インドラはその中でももっとも重要とされる東方の守護神の地位に位置づけられた.。

以上の事から 仏教に取り入れられた帝釈天は 武人守護神 の位置づけに納得できました。
回答者の話の後半の帝釈天の好色的性格の 説明に合致の事は、以下が有りました。
インドラの性質はやや変容し、一部の面が強調された。例えばインドラは女性と、時には夫のある女性ともしばしば関係を持った。ある時は、アスラ神族の王から娘のシャチーを強奪し陵辱した後結ばれている。また、ガウタマ聖仙の妻アハリヤーと関係を持った際には、1度目は全身に女性器の印を一千個も付けられる呪いを、2度目は自身の性器を奪われるという呪いをガウタマ聖仙から受けた。

以上の事から 帝釈天は 欲界の尊であり、梵天は その上位の 色界の尊で、 もはや 性的欲望は脱していると思えました。 帝釈天は男性に依存は無いものの、御回答に「梵天さんは男性です。」といただいてますが・・・、 梵天はかなり高尚な神であって、 もはや性は脱していて、 中世なのかなとも考えてみました。
 ブラフマンは 最高の理法。宇宙の統一原理。万有の根本原理 で 中性名詞・単数・主格形
人格神のラフマーはブラフマンの男性名詞・単数・主格形
さすれば ラフマーは男性神となります。 その男性神の服制が、女神の吉祥天と同じ服制に 疑問なのです!



Yahoo知恵袋での回答は 上の一つだけでした。  他に回答は無しでして ・・・、

回答受付終了まであとわずか ベストアンサーにふさわしい回答を選択してください
回答受付期間が終了すると、自動的にベストアンサーの投票を開始します。

に成ってしまいました。そして、ベストアンサーの投票も無かったようで、 質問の掲載期間が過ぎ、Yahoo! JAPANによって質問が削除で、質問が自動的に取り消されてしまったようです。   

 梵天の服制についてでネット検索しますと・・・、 仏像愛好の集のメンバーのMさんの回答記事が出てきます。  

Mさんからの寄稿 「梵天帝釈天の服制・肉身色と蓮華座の件」 ( その他 ...

blogs.yahoo.co.jp/susumu_shiba/27939853.html - キャッシュ  

興福寺の定慶作梵天の服はやはり他の梵天の作例と比べて異例のようです。岩波六大寺大観興福寺2(昭和45年)の水野敬三郎梵天解説によれば、「鰭袖の衣の襟を肩甲のような形に先を尖らせて折返す形式は興福寺曼荼羅図に見えず、天平時代の他の遺品にも見あたらない。浄瑠璃寺吉祥天像その他鎌倉時代に入っての作品にこの種のものを多く見ることができる。この点からすれば鎌倉再興像(定慶作梵天)の服制は形のうえで必ずしも旧像にとらわれることなく、むしろ自由に造られたものと察せられる」そうです。同じ興福寺のもう一組の梵天帝釈天は定慶の梵天帝釈天と同じ頃の作(定慶の像より10年後ぐらい?)ですが、梵天は通例の礼服を着ています。なお、集いの場では梵天の腹前に垂れている蔽膝や丸く膨らんだ衣・袖のことも話題になりましたが、蔽膝は興福寺のもう一組の梵天帝釈天梵天も着用しているし、丸く膨らんだ衣・袖は上記の水野解説によれば「浄瑠璃寺吉祥天像その他鎌倉時代彫刻の写実的な新手法」とのことで、ともにこの定慶作梵天像に特有のことではないようです。
 

こちらは、薀蓄のある御回答でした。 こちらなら ベストアンサーに選定できます。 

吉祥天の服制に似た梵天の服制は ,鎌倉時代に限られるようでして、 興福寺鎌倉時代の再興像の様式で、問題の定慶作梵天の服制は形のうえで必ずしも旧像にとらわれることなく、むしろ自由に造られたものと察せられる」そうです。 ので定慶の思考によったもので、図像学的にの深い意味合いは無いようです。