孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takからの投稿 (遅れて掲載です) 11月の近況報告ー1

Takからの投稿 (遅れて掲載です) 11月の近況報告ー1

月日が過ぎてしまいましたが、昨年(2018年)暮れに貴兄宛てに送付したはずのメールですが、当時のPC不調時に遭遇して、送信されていなかったもののようです。帰宅して見つかりましたので、遅くなりましたが送信TESTの確認のつもりでお送りします。うまく送信できれば良いのですが…。
以下当時の原稿です。
 
集いの会の定例会に参加出来ず申し訳ありません。出席して報告が出来ればよろしいのですがそれも叶わず、とりあえず私の近況をお伝えします。
MIUさんからの投稿に感激
長期間留守していたら私のPCが不具合で苦心惨憺しましたが何とか回復しました。「サークル…」も回復です。さっそくブログを見てビックリ。Miuさんからの投稿がいっぱい掲載されていました。お仕事が忙しいと伺っていたので、そんな中で精力的に遠くまで寺社仏閣の拝観に出かけられている様子が伺い知れて、感激しました。拝観日記ということで拝観の経路や周囲の様子も案内されていて、まるで私自身が出かけているような感じで当時の様子が分かり、お寺や仏さまに向かうまでの様子に、まさに「白洲正子」のようにひたむきに自分の足で歩きながら、単なる仏さまの拝観だけでないところが一生懸命に行動されている様子が分かり、うれしい限りです。読み進んでいって驚いたことがありました。拝観した寺院の中で、私と同じ時期に仏さまを拝していることでした。
Miuさんの1015日(月)の京都・清水寺・随求堂・随求菩薩坐像です。私は、「西国33所草創1300年」の特別拝観ということで、1012日(金)午前9時過ぎに随求堂に到着しましたがあまり並ばずにスムースに入堂出来、粘って1時間弱ほど拝観することが出来ました。次々に後ろから来る拝観客に逆行するように必死にオペラグラスを眼から離さない状態でした。よく拝せないこともあって、何度も行き来して他の拝観客からは迷惑がられたかもしれません。随求堂本尊として、豪華な宝珠付きの朱色の蓮弁の蓮華台座から獅子の頭部を廻らした大きな下部の返り花までの七重の台座が眼を見張り、想像以上に大ぶりな顔の何倍もあるような、大きな細緻な金色の宝冠や瓔珞などの荘厳を「これでもか」というほどに身につけた姿や、八臂には各種持物に衆生の願いを聞き随う姿が立派でした。白っぽい大きな円光背も目立つほど立派でした。相貌は下膨れの感じながら優雅な姿にふさわしい雰囲気でした。玉眼嵌入ということでしたが、うす暗い堂内でゆっくり鑑賞している暇はありませんでした。8月のお盆の日(終戦の日)に「七日詣で」に出かけて本堂内々陣でのお前立本尊御開帳を拝しましたが、先の投稿時にも記したように次は随求菩薩坐像公開だと決めていたので、日程の厳しい中での拝観となり感激でした。
そして、Miuさんの記事にある1017日(水)の奈良・興福寺南円堂開扉には午前915分前に到着ということでしたが、私も手前の寺務所の御朱印帳の行列を避けてその頃には到着しており、柵前のテーブルでの受付場所に居ました。時間にはお堂に入る前に、石段下で「朝日新聞」支局員と共に、眼下に眺められる「三重塔」にカメラを向けていたので、堂内へは既に入堂された方々に少し遅れて入堂しています。そうするとMIuさんは眼と鼻の先にいらしたのですね。まったく気が付きませんでした。私は堂内では長く居座り、朝日新聞の腕章を付けた支局員とはつかず離れずの感じで、ほかにいろいろと話しを伺っていた男性と共に一緒にいました。入堂直後の頃に私はうっかりいつもの帽子をかぶったままで、堂衆の方に注意されて脱ぐ始末でした。(帽子を脱ぐ前に朝日新聞支局員に撮影されたのが、朝日新聞紙面に掲載されてしまいました)しかし、Miuさんが指摘されたようなカメラのフラッシュのことは気付きませんでした。早朝の拝観は、先の私の投稿にも記したように光線の状況が微妙で、厳かな雰囲気を醸すのが良いようで、これがお寺での拝観の魅力のひとつのようです。
他にも、和歌山の「道成寺にも出掛けられているのに驚きです。私も昨年秋に和歌山県立博物館「道成寺日高川」展覧会で大河内智之学芸員にお会いした際に、道成寺まで出かけて拝観しましたが、畿内のように寺院が密集していないのと交通機関の不便さで、拝観に時間と労力が必要です。當麻寺も「當麻曼荼羅」だけでなく庭園や東西塔も拝されているようですし、Miuさんの精力的な計画的な行動には感服です。Miuさんがいろいろとご報告下さるのがうれしいです。お会い出来ないのが残念です。
 
 
東大寺「ザ・グレイトブッダ・シンポジウムー明治時代の東大寺—近代化がもたらした光と影—」(2日間):
301124日(土)13301700 金鐘ホール
  1. 「近代仏教の見直しと東大寺島薗進上智大学教授
  2. 「明治期における神仏分離修験道」田中利典・金峯山寺長臈
  3. 東大寺に残る神仏習合」狹川宗玄・東大寺長老
301125日(日)10001700 金鐘ホール
  1. 明治新政府の仏教政策とその波及について」谷川穣・京都大学教授
  2. 文化財写真の資料的意義—明治時代の奈良の調査を中心に—」田良島哲・東博情報資料室長
  3. 「近代南都の奈良博覧会」黒岩康博・天理大学教授
  4. 「近世近代移行期の東大寺—組織と寺宝管理を中心にー」坂東俊彦・東大寺史研究所
シンポジウム(司会:吉川聡・奈良文化財研究所)
2日間のイベントで、初日は予想以上の聴講者で一杯の盛況ぶりでしたが、2日目は極端に聴講者が減ってしまいました。いつもの位置の席に腰かけて、2日間の最初から最後までじっくりと拝聴しました。特に2日目の谷川教授の講義内容と田良島室長の講義は全く異なる領域の講義内容ですが、各々に関心が高い受講者としては聞き逃せないものでした。シンポジウムが終了してからは壇上から降りて来られた田良島室長と坂東研究員、谷川教授などに挨拶と話しを伺いました。特に持参した「MUSEUM」誌の興福寺写真資料との関係で田良島先生にはいろいろと確認や問い合わせをしました。また、「廃仏毀釈」などの明治初期の政策・法令についての再認識についても、講義では話されなかった事柄などについても谷川教授はじめ各パネラーのご意見などを伺いました。全国の寺社の具体的な対策や結果についても各パネラーの方々の意見を伺うことが出来ました。
 
この後は、名古屋の熱田神宮徳川美術館覚王山日泰寺などを訪れ、滋賀・甲賀・櫟野寺地域を拝して来ました。
 
2018122日 AM0:00   Tak