孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

鍮石仏(黄銅仏像)の歴史


http:// blogs.y ahoo.co .jp/sus umu_shi ba/2609 9842.ht ml でご覧になれる 過去の日記「玄奘の将来した仏像」の講義受講の内、鍮石の仏像 で、真鍮(黄銅)の鋳造仏像の事を書いた事がありますが、この度さらに少し勉強が進みました。



知己のブロウの論説文章の中に

1)鉄の鋳造の作品は、丈夫だが重たい、高温にしないと鉄は熔けない。  

2)銅に亜鉛を加えて黄銅として、容融点を下げて加工しやすくする。
   
3)銅に錫を加えて青銅として、容融点を下げて加工し易くする。    
仏像彫刻史の中で鉄の鋳造製のものは数が少ない。圧倒的に3)の青銅製である。




を見つけまして その論説に、いささかの疑念を覚えました。


2)銅に亜鉛を加えて黄銅として、容融点を下げて加工しやすくする。 ですが前の勉強で真鍮は昔は製造が難しく、安易な合金では無かったと勉強したからです。



まずは、
http:// blogs.y ahoo.co .jp/sus umu_shi ba/2609 9842.ht ml でご覧になれる 過去の日記「玄奘の将来した仏像」をご覧いただけると有難いです。



そこがあっての「2)銅に亜鉛を加えて黄銅として、容融点を下げて加工しやすくする」の一節です。



僭越ながら 先輩の日記にコメントを付けてしまいました。






貴文「私の想い」文中にも鉄仏に関係して 仏像彫刻史の鋳造仏像の概説に言及は尊敬します。 益々の研究をご期待申し上げます。

この像と快慶の三尺阿弥陀との関連に言及されていますが、時代は快慶晩年の「法眼快慶銘」に合致しますが、快慶作品の特徴の大腿部から脛にかけての安阿弥様特徴の一つの 笹の葉重ね状の縦基調の衣皺衣皺 は見られませんですね!?

2014/11/18(火) 午前 11:37[ but*z*usuk*kos*i*n ]




2)銅に亜鉛を加えて黄銅として、容融点を下げて加工し易くする。にまで言及は恐れ入ります。

私も先月の興福寺文化講座で 早大 肥田教授の「玄奘三蔵の請来した仏像 上」を受ける迄、古代の 黄銅仏(鍮仏)を知りませんでした。

そして少し勉強しました。

真鍮は約350年ほど前から広く利用されるようになった。青銅に比べて歴史が短いのは、亜鉛の融点は低いため、銅の融点以下の低い温度で蒸発してしまう。そのため、開放式の製造法ではその合金がが得られなかった。そんな理由で日本では江戸時代まで黄銅を作ることが出来なかったとされていましたが、今年2014年の4月21日 奈良大学東野治之教授たちの調査発表で、12世紀の平安時代に既に黄銅は作られたとされる写経に、黄銅が古代にも比較的にに使われていたことが判明したそうです。削除

2014/11/19(水) 午前 10:27[ but*z*usuk*kos*i*n ]


上記の如くに、精錬は難しいが、既に12世紀には黄銅は日本でも製造され、金の代用品とされていたことが新たに分かったそうです。さすれば、お説の「銅に亜鉛を加えて黄銅として、容融点を下げて加工し易くする」と云うよりは、黄銅その色合いから金の代用品だったのではないでしょうか? それでも貴重な金属だったでしょうが、青銅と違い何時までも金色を保つ鋳造仏は魅力で作られたのでしょう。

そのニーズもっともですのに…、それにしても、滅多に古代の黄銅仏(鍮仏)の作例を見ないのは何故でしょうか? 江戸時代迄 黄銅が造れなかったの定説が邪魔をして、調査が進んでないのでしょうか?削除

2014/11/19(水) 午前 10:28[ but*z*usuk*kos*i*n ]



と ・・・・コメントを付けてしまいました。 これだから 他人に嫌われると、自分でもわかってはいるのですが・・・・