私の仏像関連愛読書③ (叢書内容 ハイライト)
http://ic.mixi.jp/p/9f1f3e025c814a3fa3fb9b325a033969ce53e94154/53efbe6a/diary/1931033535_198s.jpg | http://ic.mixi.jp/p/fafae0c673ea8220c477189f3eac324d7f79b1454a/53efbdb7/diary/1931033535_19s.jpg |
太子の病気平癒が動機で、亡くなられた時に祈りが太子(同時頃に没した母・后も含んで)が上方浄土に行くようにと変更しまして、 その請願と経緯を光背裏面に刻書して居る事です。尚母君と后(側室)は三尊像の脇侍になぞらえました。
請願とは、大乗仏教において、仏道を志す者が願いを成就させるという誓いを立てること。 菩薩が一切衆生を救済するという願い と誓いを立て如来に成るのでして、大乗仏教において仏道を志すと思えば私達はすでにその時(新米の)菩薩なのです。
よって、太子に残された皇后や大臣たちが立てたも誓願なのです。上方浄土に行くようにとの誓願で、それ叶えるための善行(追善)として造像したのです。その事で太子が浄土へ行けたなら・・・今度は 造仏と云う善行を為した人々は、報いで太子の力で自らも昇浄土を遂げたいとの複合の祈りだそうです。
三尊像の光背の縁に今は欠失していますが、嘗て飛天が取り付けられていました、飛天は其処が浄土を現していて、三尊像は浄土での太子と母と后の姿なのです。
その後の坐像にはその表現は無いのですが此の中尊の結跏趺坐は中央が落ち込む湾曲をしていて硬い平面でなしに柔らかい上で坐しています。
またその台座は二重の宣の字座で高さが在り、遠目に浮遊感を演出してます。そう浄土の雲の上がイメージです。
ついでに宣の字座は須弥座でして方形ですがこれは須弥山が方形なのに由来です。
そして、その宣の字座の腰板には(日本最古の絵画の候補)の 須弥山とダブル中国神仙思想の崑崙山と見られる絵がかすかに残っていて、この三尊の居場所が上方の浄土と意味づけています。