【転載】⑤ 薄墨桜と横蔵寺の旅 第5回 秘仏 薬師如来座像 実践編
また暗夜軒さんが他のSNSの方に投稿されました。 ご了解を得てますのでまた転載致します。
2014年04月24日 01時35分
【以下は孤思庵添付】
★ネット検索して ブログから転載させて貰います。
木造薬師如来坐像(国指定・彫刻)
高さ87cmで、等身の坐像であり、左手に薬壷をのせ、右手を外にむけている。
桧の寄木造りで横蔵寺の本尊である。
もと洛北にあった仏像で、いかにもまとまりがよい。
作風は、運慶快慶にはじまる鎌倉彫刻の正統を継ぐものと考えられている。
上段の 薬師如来の胎内仏 (36.5cm)
キャプションは見つかりませんでしたので感想を述べます。一見古仏に思いがちですが・・・日記の本文にあります様に最澄の持仏との言い伝えがあるも、顔立ち衣文の様式から本尊の作仏と同時のものと思います。
★★★この件に関してMさんより 適切なフォローのコメントを頂いてます。本分下にある ブルーのコメント(5)を左クリックして Mさんのコメントを参照ください。
この像に似た薬師像の記憶が在ります。古い像なのに薬壷を持つので印象深かった、三井記念美術館 特別展 「琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展」で見た聖衆来迎寺の金銅小像薬師如来立像です。琵琶湖から現れた薬師と伝説を持つこの像を慶派の仏師が観る機会は在るのだろうか?願主が見たのであろうか? また他に この様な薬壷を持ち衣の端を握る珍しい姿が何処かに在るのだろうか?(知ってるわけでもないのですが中国の古像に在るような気もしますが・・・・)
http://www.shizubi.jp/blog/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5%E7%AB%8B%E5%83%8F.jpg
金剛力士立像は、像内の墨書銘により1256年法眼定慶が4人の小仏師を率いて造立したことが判明する。
73歳の晩年の作。
定慶は、積極的に宋風を取り入れたことで知られるが、ここでは伝統的な形式を採用している。
あるブログ、「仏僧」に関連した英語例文の一覧(9ぺージ目)-Weblioi英語例文検索ejje.weblio.jp > ... > 英和辞典・和英辞典 > 仏僧の意味・解説と云う?特異なブログに、どこかの論文の一部が掲載されているようで、その文に、「横蔵寺(揖斐川町)(岐阜)金剛力士像の銘に「坪坂住大仏師法眼大和尚位」とあることから、貞慶は晩年は壺阪(奈良県高市郡高取町)に住み、法眼の僧位を持っていたことが知られる。」を見つけました。
詳しくは解りませんが、解脱上人貞慶も横蔵寺に関係があったのでしょうか?
★★★ この疑問にMさんが 回答してくれたコメントが寄せられました。 此処にも加筆しておきます。
この件は、取り上げました あるブログが単に定慶を貞慶との誤記したものであるとの事です。金剛力士像の銘に「坪坂住大仏師法眼大和尚位」とあることは定慶の事だそうです! そうですね坪坂住で惑わされましたが、落ち着けば、その後に大仏師とありるじゃないですか!お騒がわせいたしました。 尚、本分下にある ブルーのコメント(5)を左クリックして Mさんの最下段のコメントを参照ください。
尚その上のコメントも 適切な素晴らしいコメントです。是非に参照ください!
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