仏像の耳
2月10日に「仏像の顔 から 眉に付いての随筆」の日記を書きました。
そこでは、眉は一見存在の意味が無いように思いがちですが、感情の表現には重要な働きをしていると書きました。
そんな中、仏像学者の多くが、仏像の耳は良くその作者仏師の手癖を現しているとおっしゃるを聞きます。
その理由として、結構、願主・施主は仏像の出来について、ダメ出しをするそうです。昔聞いた話で出来上がった仏像に施主が不満を言うと小仏師の一人が丈六仏の顔まで登り、修正したというのです。金箔を押した顔に鑿とは、いささか乱暴で信じられない気もするのですが・・・。そして満足した施主は大仏師にあれは誰か?と聞いたら・・・「定朝」と答えたという逸話を読んだことがあります。
また公家達は定朝様仏像を一方的に好み定朝様が100年も流行った話の内に、奈良仏師の作を品性が無いと酷評する公家方は多く、その文章が残っているそうです。あるものは「捨ててしまった方が良い」とまで酷評しているそうです。
ですので斯様に、願主・施主もうるさく注文やダメ出しをする様です。そんな中、注文が出ない顔の部分が唯一に耳だそうです。
その時はふーんそんなものかとスルーしていましたが、先述の仏像の眉に次いで日記を書きましたので、眉は感情表現に重要な役割としまして・・・一方の感情表現の無い顔の器官には耳と気が付きました。
怒った耳、笑った耳、泣く耳なんてありません。そこで思い当りました、それで願主・施主連中は仏師に耳への注文はしないと、為に結構に複雑な形の耳( 難しくは耳介と云うそうです)、それを特徴づける隆起や陥凹には、外側から耳輪、舟状窩、対輪、耳甲介、耳珠、珠間切痕、対耳珠、耳垂(耳朶)の部位名称があるそうでですが・・・私は耳輪と耳朶ぐらいしか その名を知りませんでした。
その複雑な構成をしているのに感情表現が無いとて、施主側から形に注文が出ない耳です。 それで、仏師の手癖が出やすいのは必然と云えます。
今後は耳をも注視して仏像鑑賞に当たりたいと思います。
ここでまた蘊蓄ですが、精緻な印象を与える快慶ですが、快慶の耳は 左右がかなりずれ気味だそうです。真横からのX線撮影にそんなところが目立ってしまいます。レントゲンの無い時代の快慶には気の毒な話です。
もう一つ図像学的に耳朶に孔が開いているのは、インドの古代の貴族連が耳飾りを嵌めていまして、出家時にそれを外した跡の孔です。それですから、出家以前の貴族だった釈尊がモデルの菩薩像と、そして出家してからがモデルの如来像に、その孔が見られるのです。
ですから家来筋の天部像には少ないようです(梵天など出自の高い像には耳朶孔があるものも在るようです。)
それから耳飾りをしている菩薩像で有名なのは向源寺(渡岸寺)の十一面、法隆寺の九面の観音像ですね。向源寺の十一面の形のを耳璫は納得なのですが、形の異なる法隆寺の九面の揺れる耳飾もよく同様に耳璫と書かれてもいますが、耳飾の名称の方が良いのではないでしょうか?
それから、仏像の時代的判別に耳の形がわかりやすいとよく言います。おまけに少し如来・菩薩像の耳の特徴を簡単に述べます。
飛鳥時代 :断面的に縁が角張っている。耳朶端の後方が角張っている。耳朶の孔が開いていない。
奈良時代前期(白鳳期) : 耳輪から耳朶にかけての線が曲線を帯び始める、耳朶の孔は開く。
奈良時代後期(天平期) : 肉付き良く量感がある。 耳朶は丸太い。
平安時代前期(弘仁期) : 断面的に丸みがなく角張っている。
平安時代後期(藤原期) : 耳朶が細く長くなる
鎌倉時代 : 奈良時代後期に戻ったような量感がある。 耳朶は丸太い。
そうは述べましたが、耳の時代判別は、そう簡単に見分けがつかないものもあります。鑑賞の際は常に時代を意識して、詳細をも観察したいものです。
そこでは、眉は一見存在の意味が無いように思いがちですが、感情の表現には重要な働きをしていると書きました。
そんな中、仏像学者の多くが、仏像の耳は良くその作者仏師の手癖を現しているとおっしゃるを聞きます。
その理由として、結構、願主・施主は仏像の出来について、ダメ出しをするそうです。昔聞いた話で出来上がった仏像に施主が不満を言うと小仏師の一人が丈六仏の顔まで登り、修正したというのです。金箔を押した顔に鑿とは、いささか乱暴で信じられない気もするのですが・・・。そして満足した施主は大仏師にあれは誰か?と聞いたら・・・「定朝」と答えたという逸話を読んだことがあります。
また公家達は定朝様仏像を一方的に好み定朝様が100年も流行った話の内に、奈良仏師の作を品性が無いと酷評する公家方は多く、その文章が残っているそうです。あるものは「捨ててしまった方が良い」とまで酷評しているそうです。
ですので斯様に、願主・施主もうるさく注文やダメ出しをする様です。そんな中、注文が出ない顔の部分が唯一に耳だそうです。
その時はふーんそんなものかとスルーしていましたが、先述の仏像の眉に次いで日記を書きましたので、眉は感情表現に重要な役割としまして・・・一方の感情表現の無い顔の器官には耳と気が付きました。
怒った耳、笑った耳、泣く耳なんてありません。そこで思い当りました、それで願主・施主連中は仏師に耳への注文はしないと、為に結構に複雑な形の耳( 難しくは耳介と云うそうです)、それを特徴づける隆起や陥凹には、外側から耳輪、舟状窩、対輪、耳甲介、耳珠、珠間切痕、対耳珠、耳垂(耳朶)の部位名称があるそうでですが・・・私は耳輪と耳朶ぐらいしか その名を知りませんでした。
その複雑な構成をしているのに感情表現が無いとて、施主側から形に注文が出ない耳です。 それで、仏師の手癖が出やすいのは必然と云えます。
今後は耳をも注視して仏像鑑賞に当たりたいと思います。
ここでまた蘊蓄ですが、精緻な印象を与える快慶ですが、快慶の耳は 左右がかなりずれ気味だそうです。真横からのX線撮影にそんなところが目立ってしまいます。レントゲンの無い時代の快慶には気の毒な話です。
もう一つ図像学的に耳朶に孔が開いているのは、インドの古代の貴族連が耳飾りを嵌めていまして、出家時にそれを外した跡の孔です。それですから、出家以前の貴族だった釈尊がモデルの菩薩像と、そして出家してからがモデルの如来像に、その孔が見られるのです。
ですから家来筋の天部像には少ないようです(梵天など出自の高い像には耳朶孔があるものも在るようです。)
それから耳飾りをしている菩薩像で有名なのは向源寺(渡岸寺)の十一面、法隆寺の九面の観音像ですね。向源寺の十一面の形のを耳璫は納得なのですが、形の異なる法隆寺の九面の揺れる耳飾もよく同様に耳璫と書かれてもいますが、耳飾の名称の方が良いのではないでしょうか?
それから、仏像の時代的判別に耳の形がわかりやすいとよく言います。おまけに少し如来・菩薩像の耳の特徴を簡単に述べます。
飛鳥時代 :断面的に縁が角張っている。耳朶端の後方が角張っている。耳朶の孔が開いていない。
奈良時代前期(白鳳期) : 耳輪から耳朶にかけての線が曲線を帯び始める、耳朶の孔は開く。
奈良時代後期(天平期) : 肉付き良く量感がある。 耳朶は丸太い。
平安時代前期(弘仁期) : 断面的に丸みがなく角張っている。
平安時代後期(藤原期) : 耳朶が細く長くなる
鎌倉時代 : 奈良時代後期に戻ったような量感がある。 耳朶は丸太い。
そうは述べましたが、耳の時代判別は、そう簡単に見分けがつかないものもあります。鑑賞の際は常に時代を意識して、詳細をも観察したいものです。