孤思庵の仏像ブログ

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薬師寺東京別院縁日での 涅槃会に関する法話に【 加筆】

前の日記「薬師寺東京別院縁日での 涅槃会に関する法話」に不足が在りましたので、ここに追加を書かせていただきます。
 
 
 
★悉達多の時代(紀元前5~6世紀?)の印度は十六国時代で多くの国が乱立していたそうで、その東北部にコラーサ国が在り、その勢力下にまた北に在る小国のシャーキャ族のカピラヴァースト(カピラ城)はあったとの事です。その領国はインドとネパールにまたがった東西約80キロ、南北約60キロほどの 比較的狭い(京都府より少し広い)地域だったそうです。

コラーサ国の南にマガダ国が在り、そのマガダは(カーストが緩いので)当時としては野蛮との意味の蔑称の気味があった様です。

そして悉達多(釈尊)次代には、毘瑠璃王のこのコラーサ国に滅ぼされましたそうです。



★また悉達多の父浄飯王(シュドーダナ)の兄弟は白飯(王)・斛飯こくぼん(王)・甘露飯(王)と皆「飯」の字がついてます。これは稲作が行われていて、米飯が珍重されていたことだそうです。

またそれぞれに(王)が付いているのは我が国の親王or王の意味で平たく言えば王子の意味と思います。★


 ★カピラ城とコーリ城との間には幾重もの姻戚関係が在るを述べましたが、その両城の間の重なる姻戚関係には他の血縁の混入を嫌う考えが存在したのでしょう!