孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

金銅仏頭部が焼残る訳・・・6/2「仏像愛好の集いin東博」から

2日の前回の「仏像愛好の集いin東博」は、途中参加者も含め参加は5名でした。   
 
「近々の仏像体験紹介」の時間帯には、A氏のグループ見学、千葉の印旛郡栄町龍角寺にある「千葉県立 房総のむら」という施設に、過日の「仏像半島-房総の美しき仏たち-」展にも出品された龍角寺薬師如来興福寺の旧山田寺仏頭と深大寺の釈迦如来倚象との、7世紀後半(白鳳期)の同時代の金銅仏のレプリカの並列展示が在ったそうです。
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ここで、旧山田寺の仏頭は言うまでま無いですし、、龍角寺像も火災で頭部のみが焼け残り、それに後の時代に身体部を後補と成ってまして、両者共に肝心の頭部が焼け残る幸いを感じます。
 
実は、金銅仏像が焼ける際には、理由が有るのです。金銅仏の重い頭を支えている首部分は比較細のでして、その構造上、火災の際には、その熱に溶け出す際に、頭部は支えきれずに、そこから切り落ちて、頭は床に落ちてしまうのです。火災時は床付近は他よりは温度が低い為、その落ちた頭は焼け残っる確立が高いのです。
 
A氏は勿論ご存知でしたが、頭だけ焼け残ったに理由があることを、存外知らない方も多かったのでは?
 
勉強コースの、東博の11室にも小金銅仏の展示が在りまして、土の中型(なかご)技法の中空像と、中型無しの無垢像があり、その見分け方の違いを、この様に考えてます。
足首上部が造形されていれば、為、無垢像であり、裳部分が造形されてい末広がりの鋳造仏は、中型ありで中空像考えます。鋳造後に湯口でした底部が、広口ラッパ状であれば、中型土が掻き出せるため、軽量化と金銅材料節約の為、中型技法を採ります。一方、裳に隠れない足首上部の造形をした鋳造仏では、中型土を掻き出すスペースが無い為に中型土を掻き出は出来ませんで、勢い無垢像と成らざるを得ません。
小型像は軽量化と金銅材料節約の必要が薄いので無垢像が多く在ります。
 
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ここでA氏の疑問で私はたじろぎました。小型仏像は良いが、大型金銅仏、(坐像は容易でしょうが、)立像で足首造形の場合、例えば、薬師寺東院の聖観音像は何処から鉄心、中型土を取り出したのでしょうか?、足裏から中型土は取り出せるのだろうか?蜜蝋、中型、外型、型持や笄は知るものの,その事に疑問を持たないで来てしまいました。
 
その時は解からずで宿題と成りました。帰ってブログ等で調べましたが、金銅仏鋳造の技法の説明は多くあるものの、説明は小型像に限られ、奈良の大仏の様な巨大像は特別で、これについての説明は多くあるものの、中間の等身大像やより大型の丈六本尊、その脇侍などの、大型の像(に関しては存外に解説が見い出せていません。
何方かご存知でしたなら、お教え頂きたく思っています。
ブログ検索でも、国宝の蟹満寺釈迦如来坐像 が本堂改築の際に調査研究され、その論文やシンポジュウムがなされたようでして、その関係は「国宝蟹満寺釈迦如来坐像 : 古代大型金銅仏を読み解く」 三船温尚, 奥健夫 編 ; 蟹満寺釈迦如来坐像調査委員会 著などが出ているものの 他に大型鋳造仏技法のブロクは見つけられませんでした。
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尚この国宝蟹満寺釈迦如来坐像は、昨年 数十年ぶりに拝観しまして、随分綺麗に修理されたな、マンガでのヤーさんの傷みたいで、随分と目立ち、とても印象深かった頬の傷が、だいぶ形成外科された感をも持ちました。
 
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そのようでして、ブログでは要を得ませんでした。で、今、裏付けは無いのですが想像で、補鋳(継ぎ足し鋳造)する技法がとられたのではないかとおもいます。
 
 
薬師寺の金堂薬師三尊の月光菩薩の昭和27年の「像首切り事件」で話題に成りました。その原因となりました、像の頸部三道下縁には、顕著な亀裂が昔からあり、それを鋳掛けで補修していた。これは鋳造時の溶銅の収縮に起因する「引き割れ」といわれるものだそうです。これらの事とから、技法といって良いか?なのですが補鋳造される前工程で、身体部の中型土の掻き出しがなされたのではないでしょうか。そんな理由によって、月光菩薩の補鋳の頭部には、中型土の下記代術が無く、鉄芯と土が今も残っているのかもしれません。
以上は常の学説や文献による事無しでの、全くの想像ですが、如何でしょう。どなたか、その事に付いてご存知の方はお教え頂ければと思って居ます。
http://www.imono-ya.org/gakkoubosatu01.gifクリックすると新しいウィンドウで開きます 
 
金銅仏つながりで、その日の「仏像愛好の集いin東博」は、法隆寺館にも移動見学致しました。 
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なお前述の「千葉県立 房総のむら」は体験博物館と銘うってまして、別所では仏像の着衣の勉強もされて来られたとの事、仏像鑑賞時には気に成る処です。西村公朝の本でその解説を読んだ事がありますが、調べましたらブログにも、「www.butsuzoutanbou.org/仏像コラム/仏像はどのように衣を付けているか」 などでも紹介されていました。
 
 
 今日はこの辺までにして、また次回に「仏像愛好の集いin東博」での話題を書かせてもらいます。