孤思庵の仏像ブログ

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原点に立ち戻り秀作仏像を訪ねる巡礼を企画

原点に立ち戻り秀作仏像を訪ねる巡礼を企画
 
興福寺では、本年が創建1200年にあたる南円堂を特別公開中(6月2日・日曜まで)です。今回は同時に北円堂も公開されています。私の仏像仲間も拝観してきたそうです。
 
同時拝観ではなかったですが、南円堂・北円堂は私も何度か内部拝観をしました。
 
南円堂は毎年10月17日に特別開扉が行われてまして、この堂は 弘仁4年(813)に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)の冥福を願ってお建てになった八角円堂です。康慶作の不空羂索観音菩薩像を本尊とし、四天王像が安置されています。クリックすると新しいウィンドウで開きます
 
興福寺藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、その祖である内麻呂・冬嗣ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めた様です。興福寺を礼拝する順番 について「金堂、南円堂、西金堂、北円堂……」と、金堂に次ぐ2番目に礼拝すべき場所 としているそうで、寺僧たちにとっても南円堂は特別な霊場であったようです。
 
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その本尊不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏氏神春日社(767年、平城京鎮護のため、鹿島神宮武甕槌命春日大社の祭神に勧請した。この時、武甕槌命は白鹿に乗って、1年かけて御蓋山三笠山)に来られたという伝説から、鹿を神鹿として保護敬愛した。)との関係で不空羂索観音菩薩は藤原氏の信仰を集めた。

興福寺の(1180年)、、治承・寿永の乱源平合戦)に行われた平重衡の南都焼討にて、東大寺とともに大半の伽藍が焼失した。 この時、再興に奔走したのは焼失直後に別当職に就いた信円と解脱上人貞慶であった。現存の興福寺の建物はすべてこの火災以後のものである。なお仏像も多数が焼失したため、現存するものはこの火災以後の鎌倉復興期に制作されたものが多い。
 
興福寺を拠点とした康慶・運慶親子ら慶派仏師の手になる仏像もこの時期に数多く作られている。運慶の父の康慶(一門)は南円堂の本尊不空羂索観音菩薩像を制作した。これは当寺が、藤原の氏寺であることを物語り、
 
またその弥勒仏の須弥檀周囲には法相六祖像(これも康慶一門作・現在は国宝館に移されている)が安置されていた時期も有り、これは当寺が法相宗の寺院を物語ている。
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一方の北円堂には、
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康慶の実子 運慶作の本尊弥勒仏と脇侍に無着と世親(運慶の5男運賀、6男運助らが関与したと推定される運慶一門作)が居る。何故にここに、弥勒仏像があって、脇侍に無着と世親が居るのかを気にせずに来てしまっていたが、興福寺法相宗の寺で、唯識の学問をする宗派であり、弥勒(仏)は其の唯識の始祖であり、無著は其の弟子の大学者で、世親は弟でまた後は弟子であって、唯識の学論者という事を、最近唯識の勉強の中で知りました。ここ興福寺が、唯識を中心とする、法相宗の寺院とを良くわきまえて 再拝観したく思います。イメージ 1
 
弥勒の事も、釈尊の次に仏陀 となることが約束された菩薩(修行者)で、その未来仏に対し、衆生は死後に弥勒の住む兜率天(とそつてん)へ往生しようとする上生思想と,もう一つ、仏滅後五六億七千万年ののち,兜率天で待機の弥勒菩薩がこの世に現れ,釈迦の説法に もれた衆生を救うという下生思想の二種の信仰がある未来仏という面を認識して来ましたが、もしかしたら兜率天で思索しているのは唯識ではないかと思えるようになって来ました。
 
弥勒菩薩(梵名マートレーヤ)は初期仏典の阿含経にすでに在る菩薩で、それでは、釈尊に授記された、そちらの方が多く知られる弥勒でしょう。それで、釈尊に未来仏となる授記を受けた釈尊の弟子と解釈していたのですが・・・、それは実在の人物として存在した、西暦300前後に実在した論師にマートレーヤ(友に対する様に慈しむの意味を持つ名)なる人物が居て、唯識説派の始祖とされている。その人物を音写では弥勒と意訳で慈氏している。
 
この論師である人物が、後世には、未来仏の弥勒菩薩それと同一視されるようになったと考え始めました。
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要約すると瑜伽行派の論書では,マイトレーヤは《摂大乗論》などを著したアサンガ(無著(むぢやく))に唯識の教理を伝授した菩薩であるとされるが,このような伝説は実在したマートレーヤという人物が居て、論師であった無著に教授した事実、それを伝説としたとの見方が未来仏の弥勒に融合したとの考えを支持したいです。
 
今までこの寺には、この仏像があると考える事なしに、漠然と観るだけでしたが、何故に、この寺にこの仏像が伝わるかを意識する事にやっと気が付く体たらくでした。今度はしっかりとその辺を意識して再拝観したく思いました。
 
また新しい仏像仲間には、未だ奈良・京都にある、我が国の仏像の秀作に触れていない方が居て、その方の依頼にて、それら秀作のご案内に、今の自身の想いでの再拝観に意義ありと思いまして、近々に奈良の著明 秀作仏像巡りを企画したく存じます。
 
興味の方はお声をおかけ下さい。