孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2月の「仏像愛好の集いin東博」

昨日2月の定例の「仏像愛好の集いin東博」をしました。 参集人数は10名ほど、回数も頓着・誇る気が無いので10回目度ででしょうか?
 
顧問の専門家も居ないのに、定着ご参集い頂けますに存続の意義を確信しつつあります。
先ずは30分ほどの11号室仏像鑑賞、引き続きは、予告通に特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」 を鑑賞
 
今回は小うるさい美術史的考察は余りせずに、楽しくその良さを感じれば良いように思いました。
 
 
 
 
迦楼羅烏天狗)立像
嘴(くちばし)の尖る鳥の頭に人間のからだをもっています。同じ形の像が烏天狗と呼ばれる例もあり、名称ははっきりしません。秋葉権現として造られた可能性もあります。玩具的で何とも可愛いですよね。
 
 
 
愛染明王坐像岐阜・霊泉寺蔵

本来弓と矢を脇手で持つ手などが略されていますが、円空仏としては省略の少ない、かなり儀軌の定型の姿で彫られています。僧侶による祈祷用として安置されたか?・・・。
 
 
 
金剛力士(仁王)立像 吽形
口には牙もあり左手は羂索を持つようにも見えてで、これは不動ではないかとの意見が出てました。
 
 
 
千手観音菩薩立像 岐阜・清峰寺蔵
脇手を別材で作って貼り付けており、丸彫りが多い円空にはめずらしい。前面下に僧形像を伴います。その顔が可愛いです。
 
賓頭盧尊者坐像※は手摺れで光沢がありました。柿本人麿坐像 岐阜・東山神明神社蔵は皆さんに好評でした。
 
【所蔵寺院名の記載なしで※はすべて千光寺蔵です 】
 
 
続いて昼に平成館休息コーナーに移り、各自持参の弁当を開き、恒例の午後の部のディスカッションは、先ずは円空仏が議題でして、最初は円空法隆寺で古仏に接し、作風の影響を受けたでした。
 
遊行中の円空は1669年39歳で故郷に戻り粥川寺で得度しました、そして再び旅に出て、1673年42歳の時、斑鳩法隆寺に入山します。円空は同寺で初めて血脈を受けたそうです。当時 法隆寺西円堂は行基菩薩が創建で、行基を慕う遊行僧が全国から集まったそうです。救世観音は秘仏で見ていないかもしれませんが・・・
 
当然に法隆寺には飛鳥時代を含む古代仏像が並んで居るので、円空法隆寺では、それら古仏像を見たと思われます。
法隆寺円空が彫った大日如来は口角が上がっていて不思議な笑みを湛えていて居ます。それはアルカイックスマイル(古拙な微笑)、飛鳥仏の笑み似ています。
 
 
             法隆寺大日如来円空作)
 
そんな中前述の事柄よりあの救世観音を見た可能性もあり、秘仏で見ることあたわずでも、法隆寺の事、飛鳥仏は必ず見たことでしょう。
 
飛鳥仏には特徴があり、上述の口角の上がる 古拙微笑とともに、立像の場合は、その衣紋が段々にギザギザに流れている衣文のデザインもです。
 
  参考 飛鳥像                           左:龍頭観音菩薩立像 岐阜・清峰寺蔵
                                  右:聖観音菩薩立像 岐阜・霊泉寺蔵
 
円空は飛鳥仏のアルカイックスマイルと縦引き鋸目状の衣文処理デザインを自作の立像彫刻に採用します。
  
 
 
法隆寺繫がりで、前日2日の奈良学文化講座『法隆寺、その祈りと仏像に秘められた謎」(参集の半数が受講)もあり、法隆寺談義になり、金堂釈迦三尊、救世観音が、飛鳥仏にあらず、天平の偽古作説の披露、(光背の銘文中のとの持論披露も出ました。金堂釈迦三尊光背銘のに法皇」の語は、天皇号の影響を受けたもので、後世に天皇号が成立した以後のものでなければならない!が 天平の偽古作説根拠の骨子でした。学界でも銘文は造像時のもの後刻説両方で、真偽決着は付いておらず、無論此処で言えるものではないが、銘文の疑念が即、天平造像に成るかの思いもあるがそこまでと成りました。
 
次いで、先に推奨しましたNHK2番組 Eテレ 100分de名著 「般若心経」と (ラジオ第2). 「文学・美術に見る仏教の生死観」 のコメントに呼応し多くの方もそのテキストを購読されていて、「般若心経」談義にも花が咲きました。これまた難しい解釈でそう簡単に結論が出る訳も無く・・・また時折論議を呼ぶ事でしょう。de名著 「般若心経」中にある十二支縁起説が判りずらかったので、メンバー持参の解説文章を読み上げ一同で勉強しましたが未だ判りきれませんでした。これまた継続審議になるようです。
 
その他、他のメンバーが受講中の「阿字観」のセミナーに付いても披露をお願いし、簡単に紹介されました。まだ数回セミナーは続くそうで、完了時に その内容をお願いする事にしました。
 
「阿字観」関連で大曼荼羅に言及し、胎蔵界曼荼羅の最外院の天部の話に成りました。マハカーラの図像の解説(シヴァと白瘤牛を吊るす)神道混合で稲荷となる荼枳尼をカーリーに付き従って屍林にて死肉をダキーニーはジャッカル(野干)に乗るという記述があり、それが中国で狐に替わった云々(円空展々示の稲荷神像は狐顔でした)
それに九曜との関係する日食月食などの触を起こす羅ごう星や星座と星占い等の星座(十二宮)など、胎蔵曼荼羅の楽しみとして最外院を紹介しました。
 
あれこれの仏像談義・仏教関係談義に・・・お花見と木喰仏の拝観ツアーの提案も出て具体的実施立案を他のメンバーが任命を受けました。
 
またご自分の研究を印刷した冊子の配布もありました。日本史の定説への疑念の研究でして、これから熟読させていただきます。
 
活発な仏談義・ディスカッションは4時ごろまでで続き、散会 内6名は東洋館を閉館の時刻5時まで散見し、恒例のアフター懇親会は内5名でビール・ワイン・清酒麦焼酎を潤滑油に、9時頃までフル回転の仏談義等々・・・特別にリーズナブルな場所で一人頭の口英世1枚と一番大きなワンコイン1と次のニッケル貨1枚で済ました。
安いでしょう!