孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

朗読と仏像

彼Aと私は中学から高校・大学まで同窓で、もう還暦を過ぎてまでの一番の友人である。彼は中学国語教師を辞めてから、朗読に打ち込んでいる。私は隠居してから仏像趣味。
 
Aがオーディション合格で、あるプロダクションの朗読家に登録され、幾つかのステージ経験の末、朗読教室を思い立ちそれを主宰した。当初は人数が少ないので、老人施設をボランティアで紙芝居・朗読の慰問をしていた私の妻も弟子になった彼女を含め、弟子は2人の発足、やむなく私も借り出され、一度は発表会のステージで自信も朗読もした。
 
昔からの親友Aの弟子 と言う立場に居心地が良くなく、勉強会は何時しか辞めて、発表会の裏方の仕事(照明・音響・録音など)に住み替えた。
 
そんな経緯で、あちこちの朗読を聞く事は多くなった。最初は声を出して本を読む事ぐらい、滑舌が良ければ程度の認識だった。小学校から国語の授業で、当てられたら誰でも教科書を読むのだから誰にでも出きる・・・・誰にでも出きるは事実だろうが、聞くうちに、その朗読の旨い下手は直ぐに感じた。
 
幾分Aの教室にも要った経験が僅かにあるので、朗読が如何なるものか少しは知れた(視覚障害者向けの音訳とは根本的に立場を異にする事も知った)。 最初は他人の文学作品を読んで、言わば他人の褌で・・・的に考えた事も在ったが、朗読は同読者が多くの文学作品から、これと選択する事から始まり、場合によっては長編の何処を切り取るかも出てくる。次に作品を読み下し、その魅力、価値を見極め、その表現に腐心する、言わば台本を読み演じる役者に似ている。
 
本の価値を見極めなければ薄いものと成る。Aの教室では、Aが演出家になって事細かに演出はしない、幾分のアドバイスはあるも、朗読者の自主性に負かすが多い。
 
色々な朗読を聴いてきた。役者もする、アナウンサーもする。しこうして朗読の教室も、演劇的なもの、淡々と読む感じのものと色々スタイルもある。ある会の発表では衣装を付け、舞台を動きながら、本は持たず、全て暗証で語るものさえ在った。
 
又そこまでは行かぬも、「表現読み」と題して、感情を入れた読み方も演劇的と言って良いだろう。それは過ぎると臭くなるは言い過ぎか、でも鼻についてくるは事実。アナウンサーの教室では読むの意識で、伝わるを重きにしているようです。どちらかと言うと私はアナウンサーの朗読の方が好きです。
 
朗読に色々ありますが、演劇的とアナウンサー的の二つに大別できそうです。理想は相容れたものかとも思います。今度Aに語ってもらいましょう。
 
Aは、どちらかと言うと「表現読み」から出発で、近頃はそれを抑えてきて良くなってきているように思う。わが細君はNHKのアナウンサーOBで嘱託で、ナレーションを今も勤める方と、もっとアナウンスに徹した感で、今も深夜のニュースを担当との二箇所ののNHKのアナウンサーOBの朗読教室にもAの教室にも、並列に通ってっているらしい。(私もあちこちの仏像講座に通っているので文句は言えない。似ているのかも・・・・)
 
彼女をそこまでかき立てる何かがあるのでしょう。門外漢の私が言うも憚られるが、良い作品を見極め、その良さを鑑賞し、理解し、表現する。それが朗読なのかも知れない。
 
私の仏像趣味もで、数多ある仏像から良い作品を見極め、その良さを鑑賞し、理解し、感相の文を書く・・・似ていはしまいか? 「趣味」とは物のもつ味わい、おもむき。情趣。 物の美しさ・おもしろみを鑑賞しうる能力。好み。感覚。センス。と定義されていた。
 
数多在るも朗読も仏像鑑賞も「趣味」と言う範疇で共通するのでは・・・・・
 
あなたも朗読・仏像鑑賞を覗いてみませんか、明日はAの朗読会(同会は本当にある域に達したと思う。)、明々後日は私の仏像鑑賞会(最近に旗揚げ)があります。ご紹介させていただきます。
 
★第八回蘆笛 朗読散歩 --言葉を紡ぐ声の文学ワールド--【入場無料】
 
2012. 12. 14 (金) 15:00~17:30 (開場14:30)
ミユーザ川崎(JR川崎駅西口連絡通路徒歩3分)ミユーザ川崎音楽工房・市民交室 
 
1.  星 新一「友好使節」(リレーリーディング)
2.  レベッカブラウン「汗の贈り物」
3.  小泉八雲「人形の墓」
4 太宰治「雪の夜の話
 
    休憩(16:10~16:20) 
 
5 菊池寛「勝負事」
藤沢周平「おぼろ月」
北原亜以子「こはだの鮓」
8 柴田錬三郎「高輪泉岳寺
 
 
 
●「仏像愛好の集いin東博
2012. 12. 16 (日) 10:00~16:00頃まで
東京国立博物館 本館1F 玄関脇 11号室前10:00集合 
詳細は前号日記に掲載あります。